トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

カルチャー.パワーポリティクス雑感

アニメ界の宮崎駿が政治家麻生太郎に批判的発言しているのは、知らないわけでもない。

漫画好きを公言されるのも、よろしくは感じていないのだろう。この点においては、自分は麻生に同情する。好きなものを好きと、あちこちで、語ろうとも別にかまわないではないか。麻生に軍配挙げる自分。それに関して、周囲の違和感の反応もないわけではないのだが。別の件では、批判的な視点で、「このジジイ、やるねー」と笑ってしまったりしている。褒め方、持ち上げ方麻生流。分からない人、批判したくてたまらない人に掛かればやはり、マスコミ側の書き振りではそうなるのだろうなと。変に得心して笑ってしまっている。

政治の話になるが、思い出す。かつてのガルージン大使の発言の軽さ。

ロシアにウクライナを占領する意図はないと約束してから、以下のことが起こっていることからも。よくよく、注意してみている。

国際社会は、ロシアのウクライナに対する理不尽で違法な戦争非難で一致団結している。プーチンの代弁者たち―それが駐日ロシア大使であろうと、また世界のどこかで別の役割を果たしていようと―これ以上嘘を流布することは決して許されない。ロシア軍は子どもを含む6000人以上のウクライナ市民を殺害した。ロシア政府は数百カ所の病院、学校、教会を爆撃した。ロシア軍は、ウクライナ市民に対して、拷問、身体の切断、性的暴行を行い、住まいを略奪した。ウクライナ4州を違法に併合しようとするプーチンの試みに対して世界の大多数の国が拒絶した。何十万人ものロシアの優秀な人材が国外へと脱出している。ロシアのウクライナ侵攻は、ロシアも署名している国連憲章への違反行為だ。日本を去ったガルージン大使がこれに対して抗弁すらできなかった。語られたことは決して誠実で事実に合致するものでもなかった。あくまでも、プーチンの世界観を信ずるプロパガンダでしかなかった。ロシア大使の世界観もそうであるが、それ以前に日本を去った中国の程永華にしても習近平プロパガンダでしかなかった。ガルージンも、程永華にしても、日本には造詣深いと言っても、母国への過ちを警告できるほどの起立した哲学あるわけでもない。日本が産んだ偉人の一人、朝河貫一に比較して及ぶべくもなく、両者は、劣るなと批判したところで、公務上の立場からしても、両名が首肯するわけでもないのだが。

 

ロシアの反政権派指導者ナワリヌイ氏が死去、G7も「憤り」表明。ロシア国内で新たな拘束も。のニュース。

ロシアが変わるには、幾人かのナワリヌイが生まれなければならないだろう。中国はどうか。囚われの身だった民主活動家、 劉暁波(りゅう・ぎょうは)氏はすでに数年前に亡くなって久しいが言論統制厳しくなる中国が本当に変わるには数万の劉暁波が生まれなければ決して変わることがないだろう。

そしてウクライナ戦争、ガザ危機も含めて、昨今の国連の機能不全は、日本を含むアジアの平和、安全保障においても、影響なしとは言えない。20188月の刊行のフィクションノベル。読み終える。

北朝鮮による核攻撃に関する特別委員会。この最終調査報告書という形をとったシュミレーション小説。執筆時点までの事実は著者が長年核戦略の研究をしているアメリカ人というだけあってリアリティあった。マティスが国防長官のままで、ポンペオは国務長官をクビになっているところは、予測が外れていた。北朝鮮の核攻撃を受けたアメリカの被爆者の声として、広島・長崎の被爆者の声を引用しているのも印象的。小説のなかで北朝鮮が核ミサイルを発射する引き金となったのは、前近代的なレーダーしかもたない北朝鮮軍が、誤って韓国の民間機を撃墜したという設定だ。

文在寅はその事態に直面し、セウォル号事件の朴槿恵のように対応が遅れては自分もヤバくなると判断し、なんでもいいからやらなければと決断する。そこで平壌金正恩の邸宅を通常弾頭ミサイルで報復攻撃するのだ。もちろん金正恩がいないことを知っていてだ。

避難先の金正恩は携帯電話網が輻輳しているということに気づかず、敵の情報遮断攻撃が始まったと夢想して核ミサイルをバンバン撃つというストーリーだ。まったく権力者の判断稚拙だがありうる事が。最初の小さな判断ミスの積み重なり。そこから引き起こされるトランプ政権内のドタバタこそが本書の目玉だ。

世間では「もしトラ」続いてやって来る未来。

トランプのこと、ミソくそにいう人もいるし、その心情、分からないわけでもないが、批判してりゃ済むという問題でもない。拮抗して、それだけの支持もされている限りは、その内在的論理に、深く思いを致さなければ、物事、真の意味で理解したとは言えないだろう。

 

それぞれの底の浅い思い込みと基本的な能力不足、不毛な政治的ポジションが大惨事を引き起こすという小説のストーリー。著者のジェフリー・ルイスは核不拡散と地政学の専門家。金正恩の核ミサイルで攻撃されたのはソウル、釜山、東京、ニューヨークなどで、合計280万人が死亡したという設定で、物語が始まっていく。2020年、米朝核戦争。幸いにもこの時には、起こらなかった。しかしながら、この先、決して起こらないとも限らない。緊張の火種は、すでに国際社会が抱えている。抱えてしまっているこれらの危機を他人事と捉えるか、そうでないかの違いだけなのだ。読了後に物足りなさと不満の残るのは、日本の首相の登場もなければ、朝鮮半島以外に、共産中国政権内の詳しい著述が乏しかったところだろう。その点では、ボルトン回顧録の、ノンフィクション本のほうがさすがに読み応えあった。安倍晋三首相の裏面での振る舞いと発言。やっぱり、事実が検証もされ、リーダーシップのあったことの証のそれぞれの記述ページ。その後の日本の存在感は、今はどうなのか。それぞれの、見方はあるもののフルネームで呼ばれもしない今の岸田の人気のなさ。自分のこと棚に上げて、人のことは安易に一刀両断していく風潮。専門家外の人を巻き込んでの機微な外交問題論じまくる、報道とはかけ離れたバラエティ番組のそれは所為なのか。政治には.不祥事も相まって、当然ながら冷ややかなのは致し方ないのかも。クールジャパン、日本アニメの先見性、旗振り役だった政治家も、ここ最近の、本人への評価は本人以上に辛口のもの多し。ウヒャヒヤヒヤひや。