宇都宮市が投票用紙260人に交付誤り、比例代票用紙に選挙区候補者名を記載した票は無効と消える。
選挙に行こうと、投票率の進捗が多少ともあるなかで、公務に携わる者の失態。今回、その前の大事件として警視庁のSPや奈良県警による警備が甘かったという批判があるが、選挙の遊説警護の問題も囁かれ、その後にこの国の行政の選挙管理委員会も大丈夫だろうかというようなニュース。
一体何やってるんだという他ない。
確かに治安警護側にも、問題がなかった訳ではないだろうが、そちらに批判のほうを声高に放つ一方で、世相全般の根腐れ感といったようなものが通奏低音としてあるような気がします。
また今回の事件に際しても、宗教思想、信教の自由のいうところの日本国憲法の謳われているところが正確に理解されているとは言い難い様な、いかにも歪んだ論調で事件を印象付けようとするようなSNSでのやりとりも見かけたりと、それだけに危惧の念を強く持ちます。
SNSではいかにもリベラリストの自分は進歩的なという風な、それでいて言っていることは言論テロに近い様な誤った憲法20条理解も見受けられたりと。これが護憲派の一般的な象徴ではないにしろ、似たような偏向解釈を、かつて見てきたこともあって危ぶまれるなと。
新聞紙面では大事な視点が網羅されている鵜飼信成の著作。書評欄に見つける。
少なくとも少しくはずっと過去に学んだことを再び思い起こすように。
昨今の熟議のない憲法審査会論議と照らし合わせてしまう。緒に就いたばかりでまだ、自衛隊の存在をどう表記するかだけですか。
議論がその程度では思いやられます。そして、議論を当たり前に呼び掛け、前に進めようとされた立場ある人と、
他方ではまたそれを冷静に見ることのできなかった人も
「国会で狂ったように憎悪を煽った議員もいた」「ヒトラーにいわれなく例えた市民運動家と称する人もいたよね」ある人いわく
たしかに具体例を挙げられればキリがないなあと。
報道で、安倍氏をこれまで口汚くののしってきた人たちが「無事を祈ります」と言うのを聞くのもそのような感想を抱いていただけに苦痛に。自分には違和感。煩わしさでしかなかった。
それだけに新聞の書評にある『注解日本国憲法上中下』鵜飼信成(うかいのぶしげ)の貴重な著作の解説がより貴重なものに。
「憲法論のもつ文明的な意義についてたしかな手ごたえが得られるに相違ない」とある。
その通りだろう。
しかし、昨今の改憲論議。護憲派も改憲を唱える派も、焦点が定まっているとはとても思えない。
メディアで散見される野党の意見にも。事件当日、死亡報道が夕刻にはいってなされると、同時に、落ち着いた態度で、立場が違ったとはいえ、惜しむとの声、まだこれらのほうは分をわきまえたほうともいえるが、
言うことにことを欠いて長期政権の驕りが恨みを買う結果などと、今回の事件のことを安易に語ってみせる野党議員まで出る始末。悲しすぎます。
またこのようなときにさらに心を凍らすようなことしか
いえない人を議員に送り出していた地元の有権者の方々の反応を知りたいものだなと。この程度の認識しかないのかと。
関連する意見を拾っていく。貴重な意見もなかには。
例えば
こういうもの。自分の得心したところ。さもありなん。
安倍氏の札幌での選挙演説中に「安倍辞めろ」とヤジを飛ばし警官に制止された男女が「政治的表現の自由を奪われた」と訴えて勝訴したのだ。
たとえ明らかに演説妨害に見えるヤジであっても「表現の自由」であるならば、街頭演説における警備というのはやりにくくなるだろう。あの判決以来、現場で警官による職務質問が減っているという。
これらの検証。事実、実態の方はどうなんだろうと。
「卑劣な蛮行は許せるものではない」「決して暴力には屈しない」と言ったがそんなことは言われなくてもわかっている。私たちが苦しんでいるのは、日本という国が、今回の事件を生んでしまったもっと、深くもっと根元的な欠落した要素があるんではないかということのほう。
あの時も、遊説時だった。帰れコールを自由の表現の範囲内とどこまで許容しうるのか。
すでに詰めておかなかった司法の判断の曖昧裁量。民主主義への挑戦。選挙妨害そのものではないのかという自分なりの感想は時の司法の判断では撥ねられてもいたなと過去を振り返る、床屋談義。
そういった例えば社会の空気感が、安倍さんを殺してしまったのではないかということのほう。
今は岸田首相の心中
いかばかりか。日本の舵取りが、いまはこの人に託されているのだ。今回は参議院選挙とはいえ、政局の安定はより強固となったとはいえ、もっと、もっと、本質の劣化事情に迫って欲しい。
事件への声明もあわせて傾聴。
各党党首のそれぞれの表明「民主主義への冒涜だ、暴力は断じて許さない。」いずれの政党もだ。
しかしながら、許してしまっている現実があるではないか。そういった現実を、何度もみせられてきてしまっているうえ、今回は一国の元首相までがしかも卑劣な銃弾に倒されたのである。
何の落ち度のない、警察官が交番で殺傷されたときも。介護現場での無残な殺人事件多数の死傷者。交差点天国の歩行者の命が突然奪われる事件。何の落ち度のない小学児童が殺傷される事件。新幹線車内での刺殺事件
、地下鉄通勤途上での放火殺人。クリニックむけての放火殺人事件。それ以前までも京都アンメーション社屋放火殺人と多数の何度と悲劇を見てきたことであろうか。
もちろん時々の無念にも亡くなられた立場がどうであろうと命の尊さに差はなく、平等であることはもちろんのことだが、治安の安全評価が国際社会の中で今後とも維持されてはすでにいかない現実。
この事件ですでに信用急落してしまった、これをどう受け止めているのかという問題意識ではないでしょうか。
残された、ご遺族に
お悔やみ申し上げます。
これまで私たちのこの国の未来をと
導いてくださった安倍元首相
ご冥福をお祈りいたします。
本当にありがとうございました。