トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

モラトリアム

後に政府が警鐘を、鳴らすようになった傾向の一つ。進路意識や目的意識が希薄なまま 『とりあえず』進学したりする若者が増加し ていることが指摘され、こうした状況に危機感が表明されてきてもいる。

今では進学も就職もしようとしなかったり、という場合もありそうな。自分はというと、そこまでの確たる確証もないのだが、なんとはなく、届いた合格通知に胸を撫でおろして、校舎の門を潜ったのだった。当時の世相、今の空気感と引き比べることも多く。近頃の日中関係の様相からいっても、想定され、描いてきたものとも、ますます、離れていくばかり。

モラトリアムは、その後に否定的表現で使われる場合が多くなったことも致し方ないがあの学生時代に得た自由な時間と空間は貴重な経験でもあった。戦争を、知らない世代には違いはないが、今でいうところのウクライナでの戦火、同様に、あの頃では、ベトナム戦争はいつまで続くのやらとその不安の行末も話題に。当時、学内の雰囲気も地方でありながらも、珍しく学生運動静まることのない、得意な学生学内自治を強味のように吹聴されそういった学生らの闊歩する雰囲気があった。

それまで、製図版を前に実習に取り組んでいた生徒が、わずか、数ヶ月後に、民法の教授の講義をノートにとって、傾聴しているのだから、なんとも、変わりようといったら、面白くもある。シャワーをあびるかのように、180度違う世界を知ることの新鮮さで堪能してもいた。かといってそれ程、よく、学べばたわけでもない。成績は、優秀でもなかったが、卒業必修単位だけは、卒業する一年前に自慢じゃないが取得し、あとは下宿仲間だけでなく、地元在住の学生とも親しく、キャンプなどに好じていた。引き比べている。コロナ禍に遭遇してしまった学生たちへ。

これは非接触を強いられるという不幸な側面は、側面として、嘆くなかれと。呼びかけたい。

多いに自身の本音と向き合って、心からの友との言葉も交わせれる機会かもしれないではないかと。そう喜べることもあるではないかと。呼びかけたい。

 

建学の精神である日中友好の考え方。意識しないわけではなかったが、そのようなことよりも、まわりは進学もともと目指してきた学生たちで、自分はというと、就職組から、一転、大学受験に舵を切って、なんとか、現役合格はたしたそれも、馴染みのない県外組。憧れてという、口々にいう、友とも違って、半ば、なんとなくモラトリアム組の先駆けだったなと。