トトヤンの家庭菜園

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いっそ改組されたら?学術会議

日本学術会議、いっそ改組されたら?


今日は、この件で、一応、合点した記事。

以下、転載。


老人会・蛸壺温床・政策提言僅少の「日本ガス抜き会議」


2020.10.6(火) 伊東 乾

日本学術会議が推薦した新会員が首相官邸で覆されて大騒ぎ・・・。
 
 

 東京大学総長選考の現実には無風の状態で火のない所に煙を立てるのとはわけが違い、これはまた下品なことをしたものだ・・・。

 そう思いながら追加報道を見ていたのですが、まあこれが揃いも揃って「日本学術会議」とは何たるものか、およそわきまえない、説明にも何にもなっていない怪説だらけで呆れました。

 筆者は2004年、黒川清日本学術会議会長のもとで「第三次科学技術基本計画」の学術会議分のドラフトを自由に(今ですからハッキリ書きますが、好きなように)加筆改訂させてもらった経験があります。

30代の私に、「縦横に腕を振るってよろしい。責任は俺が取るから」と投げてくれた黒川さんは、本当に器量の人で、のちにも3.11以降の福島など様々な案件で、大変多くご指導をいただきました。

「政策提言を出す」のが、学術会議の仕事です。

 この経験のおかげで、政策を書くことに関しては、30代半ば以降かなり慣れました。

 知る人は知るように、戦略マン政策職人もやっているわけですが、公務なので連載にはほとんど記しません。

 しかし、ごく最近、私は学術会議のとある小委員会を見捨てたばかりです。あまりにもバカバカしいので相手にしないことにしました。

 まあ率直に言いますと(定評がありますので)小委員会を作って3年だか6年だか、アクティビティがゼロなので、何とか助けてほしいと頼まれたのです。

 六本木の建物で、5省庁から次官級などにも来てもらってシンポジウムも開き、提言も2回まるまる、大がかりなものを、完全に一人で書いてやりましたが・・・。
何もできないお歴々が、意味のない難癖をつけるだけであるのに加え、直接頼んできた連中の身勝手と無礼があまりにも酷くなり、バカバカしいので見捨てたのです。
 
 

 断続的にですが30代から16年ほど、この組織の舞台裏を支えた経験がありますので「学術会議」というものの現実の姿をスケッチしてみます。

●この際だから名前を変えたら?

●英語のサイエンスカウンシルはそのままでよいから
●「日本科学技術政策答申会議」

 といった、名が体を表すものに改組したらよろしかろう。

 長年お仕えして愛想が尽き、見捨てさせていただいた観点から、極めて穏当な範囲だけ記してみます。

学術会議がダメなところ(1)老人会

 私が日本学術会議に最初にコミットしたのは2004年の夏か秋で、東大で副学長を務めていた小宮山宏さんの紹介で、黒川会長を訊ねたのでした。

「イトー君はいろいろできるけれど、東大の中に敵ができちゃったりして、学内では使いにくくなってしまった。でも人材を埋もれさせるのももったいないので、東大よりもっと大きな日本全体の舞台で仕事してみたらよい・・・」というようなご紹介だった記憶があります。

 一応、その舞台裏も記しておきます。

 これも、もう定年前に早期退職した人物のことなので、問題なく記しますが、私は2001年の春先に、とある女子学生から、教官のセクシャル・ハラスメントを受けて困っていると相談を受けました。

 その学生の希望に沿った海外大学(MIT)への紹介などしたところ、私がその事実を知っていると感づいた当の容疑者から、逆レッテル張りで「伊東にはアカデミックハラスメントの疑いがある」と、完全なる冤罪に落とされました。

 実はそれ以降19年間、ロクでもない状態が今現在も続いています。
今日ただいまも私は、東大の中に1平米も研究室の部局固有面積がありません。全学共通面積に割り当てられた部屋は、先月から「発熱外来」が棟の1階に作られ、共通の入り口に「発熱している方はここでお待ちください」との立て看板。
 
 

 可哀そうにうちの学生は部屋に上がるには、そこを必ず通らねばならない仕儀となってしまいました。

 学生にそんな危ないことはさせられませんから、別の部屋を取って、理論解析の研究打ち合わせを行っています。

 そんな具合に、学内で私を敵視する新左翼などが出、これがまた様々な悪さをしましたので、工学部長だった小宮山さんが保護してくださり、隣接キャンパスにプロジェクトで避難するスペースも(2007年までは)でき、東大は狭いから広い所で仕事するといい、と「放流」してくれたのが、学術会議だったのです。
ここで30代の私は「科学技術基本計画」に加筆し、「世界物理年」日本委員会の幹事となってノーベル賞審査員の碩学たちと仕事し、高校・大学生向けにノーベル賞受賞者が直接教える教室など、様々なプランを実現してきました。

 2008年以降、私のノーベル賞解説記事は定番で来週もまた書くつもりですが、それは39~40歳にかけてここで仕事し、世界の学術トップとご縁ができたからにほかなりません。

 一言でいうと、私の大学公務は一新しました。

 だったら、学術会議は素晴らしいところではないかと言われそうですが、そうではないのです。

 学術会議の「新入会員」の平均年齢は、当時で62歳を超えていました。60歳定年の時代です。そして、この会議自体も70歳定年。

 つまり、大学を定年退職した高齢者が、名誉職でやって来るのが「学術会議」なんですね。「老人会」なんですね。
でも、位置づけは「内閣に日本の科学技術政策を提言する」といった、ビビッドな仕事をしなくてはならない。新人の平均年齢が60歳超の集団がです。
 
 

 今回、内閣に承認を拒まれた6人にしても

小沢隆一:東京慈恵会医科大学憲法学)1959- 61歳
 岡田正則:早稲田大学行政法学)1957- 63歳
 松宮孝明立命館大学(刑事法学)1958- 62歳
 加藤陽子東京大学歴史学)1960- 60歳
 芦名定道:京都大学キリスト教学)1956- 64歳
 宇野重規東京大学政治学)1967- 53歳

 平均60.3歳は私より若い宇野氏が一人で下げているもので、それ以外の5人だと61.8歳、やはり16年前と大差ありません。

そして、この人たちの一人として、政府に政策答申する、米国で考えるならランドコーポレーションのような仕事のプロはいない。

 1度目の人生をゴールまで走った後、余生の名誉職でやってきた「学術会議」で、いったいどのような、生き馬の目を抜くようなシビアでシリアスな、また現実に使える、即効性のある政策マン、戦略マンとしての仕事ができるか・・・。

 できるわけがない。

 小宮山さんが私を黒川さんに預けたのは、30代で元気であり、新しい仕事を次々覚えていたからにほかなりません。

特に内閣府の担当官たちと緊密に連絡を取り合いながら、本当に政策を動かしていくのに、担当官は20代から50代までいろんな人がいますが、学者先生の方は皆、孫のいるご年配ばかりでは、動くものも動かないからという理由もありました。
 
 

 私はそこで好きにさせてもらったので、いろいろ経験できましたが、そんなのは数十年に何回あるかという例外であって、大方は何も動かないのです。

学術会議がダメなところ(2)
 予算のない「日本ガス抜き会議」

 学術会議は、こと文系に関しては、むしろ左派の牙城といった様相を長く呈していたように思うのは、私だけでしょうか?

 アカデミシャンのコメントがメディアに載ると思うので、見てみていただければと思います。
 

 


 どちらかというと、政府に批判的な意見の答申が珍しくなく、それを「具申する」役所の側は「聞き置く」として、そのままお蔵入りという「日本ガス抜き会議」の側面が、こと文科系に関しては、非常に明確にあったと思います。

 そんな具合だから、政策答申にリアルな可能性は希薄で、べき論に基づく提言も少なくない。

 私が先ほど、ある小委員会を見捨てたというのは、少子高齢化を迎えて、どのようなイノベーションが必要かを取りまとめるようなものでしたが、何もできないのです。

 大半の60代で名誉職メンバーの皆さんは。

 ただ、文句を言ってるだけという場合が少なくない。私はその答申に、正味1か月×2回、莫大な時間と労力を費やしました。


ところが、それこそ報酬に換算したら莫大な金額になる手間暇と時間を費やさせ、対価はゼロ。そもそも私は学術会議の正会員ではありませんし、政策答申に筆者名は入りません。
 
 

 その部会を取り仕切っていた企業出身の男性(「会員」)によるハラスメントがあり、バカバカしいので、私はその答申を書くのをやめました。

 それまで書いた草稿は、すべて私一人で、莫大な数の図まで自作していましたので、無断転用は刑事事案になることだけ告げ、一切コンタクトを断ちました。

 その後、その分科会は一切、提言などまとめることができず、コロナ禍になりましたので、リモートでお茶を濁すZOOM会議を1回行い、解散したらしく聞き及びます。
 

 


 単に生産性が低いだけでなく、予算がついていませんから、周りにいる若い人をタダ働きさせ、ひたすら迷惑な委員会でした。

 私が30代なら、まだ「若い人」でも勉強になりましたが、20年が経過し、50代で中核的な責任を持っている私を、何を勘違いしたのか70歳前後の縁の薄い人々が、タダで使える便利なアシスタントとでも思ったのでしょうか・・・。

 その実、きちんと政策答申など書ける人は正会員の中でも数える程度だと思います。有名無実化した権威主義的な組織の面がハッキリありますので、解体改組した方がいいのではないかと思います。

 その決定打的として 学術会議が日本の学問の「縦割り」「タコツボ」化の一大背景になっているという、もう一つの理由を挙げなければなりません。


私は、東大では「大学院情報学環」などという正体不明の組織に籍があり、実際には音楽屋ですから、私の商売、作曲も指揮も、学術会議とは縁がありません。
 
 

 翻って「学術会議」会員は、エスタブリッシュメントの学会推薦で、「学際新領域」などからは普通は選ばれません。ときおり「名誉白人」みたいなケースはあり得ますが、新領域に居場所はありません。

 逆に私は楽隊という別の持ち分で、自分の畑ではノーベル賞も別段何とも思わない程度に仕事はしてきましたから、何も臆することなくノーベル賞審査員諸氏とも同じ目線で仕事させてもらってきました。

 ノーベル賞審査員諸氏は立派な仕事をしておられますが、別段組織的に上下があるわけではない。
 

 


 また、政策マン、戦略マンとしてきっちり仕事はしますが、定年後の名誉職お達者クラブにお仕えする趣味もない。

 私の著作物から名を消されて、その人たちの業績を作ってやる義理もありませんから、見捨てたという、今年に入ってから現実にあった事例を引いて、学術会議の一つの横顔として紹介しました。

 そこまでひどいのが学術会議のすべてと誤解されませんように。もっとまともな分科会もたくさんあると思います。

 ただ、旧来からの学術分野、その縦割り・タコツボ温存の大本が、部に分かれて構成された「学術会議」にあるのは間違いありません。

「学際」何ちゃらかんちゃらと名のつく所の実態も、これは別原稿としますが、およそ極北の寒さにあります。今回ハネられた6人にしても、

小沢隆一:(憲法
 岡田正則:(行政法
 松宮孝明:(刑事法)
 加藤陽子:(史学)
 芦名定道:(キリスト教) 
 宇野重規:(政治学) 

 と、どなたも確立された領域の人間ばかりでしょう?

 つまり、学際新領域などというものは、背景となる歴史の古い学会が存在しないので、実質的には学術会議に正会員として推薦される可能性がゼロなわけです。

上の世代は「若い人は新しい境界領域をどんどん作って・・・」とか、いろいろ甘言を弄したし、そういう言葉を真に受けて、30代の私はできる限りの努力を惜しまなかったばかりでなく、学術会議名義で莫大といってよい量の仕事も完全にタダ働きで貢献してきました。
 
 

 しかし、何一つクレジットなんか残っていない。私の業績として知財を囲うこともできない。

 いってみれば、官製の縦割りたこつぼ製造機であるうえに、学術会議という権威に、若い人のオリジナリティを吸い取る搾取機構にすらなっている。

 しょせん私は呼ばれる気配もないので、また、はっきり長年貢献もしてきたので、言わせてもらいます。

 

 


業績横取り製造機「ガス抜き会議」は解組した方が生産性は上がる。

 若い、未来のある研究者の皆さんには、くれぐれも学術会議などに近づくものではないと、経験者としてアドバイスしておきます。

 黒川さんのような上長がトップであれば、例外的に面白い経験もできましたが、現在どういう状況であるか定かでないし、前期までの状態はお寒い限りでした。

 学術会議の本当の使命は、「御用学者」たることにあります。

 政府に役立つ科学技術提言を出すのが仕事なのだから、いっそ20代、30代の若い世代で、コロナ対策とか、本当に役立つ政策提言ができる人間が集まる組織に全面改組したらよろしい。

 そうであれば、「政府がいいと思う人を採る」で構わないわけで、いまの官邸の方向性とも合致するでしょう。

 お達者クラブ+業績横取り+縦割りタコツボ温床の「日本ガス抜き会議」なら、有名無実ですから、さっさとやめておしまいなさい、というのが、長年「介護」だけさせていただいた、無名の黒子に徹した一個人の、率直な感想です。

 

 

 

 

 

伊東 乾のプロフィール


 

作曲家=指揮者 ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

1965年東京生まれ。東京大学理学部物理学科卒業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学東京藝術大学などでも後進の指導に当たる。若くして音楽家として高い評価を受けるが、並行して演奏中の脳血流測定などを駆使する音楽の科学的基礎研究を創始、それらに基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進している。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトなどが、大きな反響を呼んでいる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)、『知識・構造化ミッション』(日経BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。