トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

アホらしやのカネがなる

週刊誌の記者を『代理人』にしたような、匿名の手口でグチグチ言っている人の言い分をただ垂れ流しているマスコミの一部、ジャーナリズムのあり方としてはどうなんだろう。片方の意見を贔屓にし過ぎないか。どうしても、マスコミに対するそれまで抱いていた偏見の故なのだろうか。どこまで正確に流しているかどうかもわからないような報道ぶり。いかにも、コレが正義みたいな。疑念をばかり煽り立てるから、マスコミ不信の自分なんかは、いずれにしても報道する側の取材姿勢について勘繰らざるを得ない。いまだ信頼をおいていない。

 

人のもめ事、スキャンダルのほうを好む、取材者側の、卑しい構え方に見えてしまって仕方ない。
あわせて、視聴率とかのバラエティ番組、週刊誌の購買行動にも左右されていると同様の変わることのない内容、情報の送り手もそうだけれど受け手の現状も、また同じく似たような不可解な和解したことよりかバッシング等を好む。平和の有り難さも、喉元過ぎればなんとやらで、似たような、コロナ回復後の大衆心理の紆余曲折。過去を振り返り想い起こすことも多し。

 

バッシングのネタは、コロナ禍でとくに炙り出されていく。自粛警察といった、ねじ曲げられた正義。歪んだ正義感。

潔癖が、癖なのか、それまでも色々と散見される出来事も。

最初に視られたのが、医療従事者の家族、子どもの通園、通学拒否。極端な不安感情が、不毛な差別感情を引き起こしていくまでをこの世に見てしまった。

ねじ曲げられた民主主義というのもある。

何優先してんだといった、自分本位の、信じ込んだ定規で、見てしまう抗議の数々。

都会からの帰省を、公的規制よりもいち早く、求めての、とんだステッカー、謎の張り紙騒ぎ。謎の密告、タレコミ。

風評被害に至っては、それで、被害は行きつくところは閉店、廃業までに。


その営業の苦衷に一軒
一軒と、訪ねて
解決策の営業持続していってもらうためにと、立ち上げたコロナ給付金の数々。個別には困窮度に応じての持続化給付金。

休業し続ける期間の雇用継続を守ってもらうための施策、雇用調整助成金等々。またはオンライン導入補助金等々。

学業中断、奨学金等々への返済猶予策。

定額給付金10万給付に、連なる、申請に基づく大学生への貸付じゃない給付。

感染の波の終息期には、悼んだ経済の回復策としての景気浮揚策。

これは、感染の増減との見合いによる按配。Gotoキャンペーンと称する一連の、旅館、旅行業界の救済策として。もちろん、関連する飲食の業界にも波及の及ぶところ。

もちろん飲食においてはイギリス同様のGotoイートといった個別の施策も。各都道府県で。

しかしながら、そういった、恩恵もあったはずなのに、

昨今は、聞えの悪い、あんまり、札びらに物をいわすような、嫌らしい政策よね
なんて、バラまき批判の片棒を担ぐ側にまわられてしまっている景色まで見てしまった。

驚きもしないといった人もなかにはいたが、自分の場合は半ばあきれてもいた。

 

あの時と、比較しての、違いは、批判の標的は、ターゲットの単語が変わっただけで、政府の、政策を揶揄することにかけては、共通していることに変わりがない。

いわく、物価高騰対策。物価上昇を上回る賃金上昇。政府主導の給与所得、賃金交渉、賃上げと定額減税策。子育て支援策の数々。助かることは助かるがと、そこのことは、脇に置いておかれてしまって

 

メディアに言わせれば、増税目眩しのアメ、ニンジンの如くに一刀両断してくれている。

軍拡増税

それが、あたかも、真実であるあるかのように、また、口々に吹聴されてしまうのもどうかなと。まことに、由々しき風潮ではあるなぁと。