トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

イッセイ・ミヤケ

 



ご冥福をお祈りします 。

生前の三宅一生さんといえば、NHK総合テレビで東北への思いやお仕事を語られていた番組内容を思い浮べます。
三宅一生さんは、過去にも和紙でできた服を発表した経験があるらしく、材料の和紙の職人との出逢いが映像で紹介されていました。

この番組は震災の有った翌年のたしか2012年の正月にみている。

三宅さんは、東北の手仕事と再び向き合う中で、3月に日本で起きたことを改めて考えている。3月の震災についても被災者の凛とした懸命さに敬意を感じている。
ブランドの仕事は後進に譲ったという三宅さんの工房には何人かの若手スタッフが白石和紙と格闘。材料のコウゾ、和紙作りの様子を紹介。宮城県白石市にたった1軒残る紙すき農家を訪ねていく。白石和紙での新しい仕事を決意。
職人同士の熱い魂のなせるちょっとした衝突もありながらも三宅さんの和紙を素材にした服づくりの試行錯誤が続いていくというもの。

番組内で三宅一生被爆体験がチラリとすこしだけふれられていました。

そこで、
ふれられていたエピソードを再検索しておきます。
イサム・ノグチとの交流。パリでの修行。オバマ大統領への手紙(2009年7月15日)

備考として (ニューヨークタイムズでも公表されているもの)そのときの新聞記事から抜書きしておきます。
以下引用

 イッセイ・ミヤケからオバマへ送ったという手紙の文章

オバマ米大統領プラハで行った演説のなかで、核兵器のない世界を目指すと約束されたことは、私が心の奥深くに埋もれさせていたもの、
今日に至るまで自ら語ろうとはしてこなかったものを、突き動かしました。
大統領の演説は、私も「閃光」を経験した一人として発言すべきであるということ、自身の道義的な責任ということを、かつてなく重く受け止めるきっかけとなりました
1945年8月6日、私の故郷の広島に原爆が投下されました。当時、私は7歳。目を閉じれば今も、想像を絶する光景が浮かびます。
炸裂した真っ赤な光、直後にわき上がった黒い雲、逃げまどう人々……。すべてを覚えています。母はそれから3年もたたないうち、被爆の影響で亡くなりました。
私はこれまで、その日のことをあえて自分から話そうとはしてきませんでした。むしろ、それは後ろへ追いやり、壊すのでなくつくることへ、美や喜び喚起してくれるものへ、目を向けようとしてきました。
衣服デザインの道を志すようになったのも、この経験があったからかもしれません。デザインはモダンで、人々に希望と喜びを届けるものだからです
服づくりのしごとを始めてからも、「原爆を経験したデザイナー」と安易にくくられてしまうことを避けようと、広島について聞かれることにはずっと抵抗がありました
しかし今こそ、核兵器廃絶への声を一つに集める時だと思います。広島市内では現在、8月6日の平和祈念式ヘオバマ大統領をご招待したいという市民たちの声が高まっています。
私もその日が来るのを心から願っています。それは、過去にこだわっているからではありません。そうではなく、未来の核戦争の芽を摘むことが大統領の目標である、と世界中に伝えるには、それが最上の方策と思うからです
先週、ロシアと米国が核兵器の削減で合意しました。非常に重要なひとつのステップです。ただ、楽観してばかりもいられません。
一個人の力、一国の力だけでは核戦争を止めることは不可能です。他にも、核のテクノロジーを手に入れている国々があると聞いています。
世界中の人々が声をあげて、平和への望みを表明しなければなりません。
オバマ大統領が、広島の平和大橋(彫刻家イサム・ノグチが自身の東西のきずなへの証しとして、
さらに人類が憎しみから行ったことを忘れないための証しとして、このデザインした橋)を渡る時、
それは核の脅威のない世界への、現実的でシンボリックな第一歩となることでしょう。そこから踏み出されるすべての歩みが、
世界平和への着実な一歩となっていくと信じています。」

 

あの時抱いた希望と逆行するような現在の、そこかしこの対立図式。象徴するのは終わりの見えないロシアのウクライナ侵攻