トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

必要ならバトルを

あまりにも、おかし過ぎる。謎めいて。

わかってきてみれば、宗教のかざかみにもおけない。

不幸に導く歪んだ教え。

どうして、そういった自虐歴史観がまかり通るのだろう。

目的がそもそも、政治的過ぎる。

そう理解してみれば、政治家に近づこうとするのも、わからなくはない。

訳じりにいう人もなかには。

よく、飲み込めなかったが、目的がそうとしてみれば、わからなくもない。

 

そうとう初期の段階。

ミンセイ崩れの連中が入会していったんだとか。

なんだか、思想的に似ても似つかしくもない、しかしながら、歴史感から、贖罪意識もつ要素、国籍によって、立場、変われば、ハマっていく人間も出てくるのかもしれないなあと。

政治的に侵略、そこからの贖罪感持つ人と、

いやいや、対等合併とはいわないまでも、合議の上の、なんら贖罪意識のもつ余地のない歴史。

見る立場によっては、元々が貧しかった遅れたところの近代化に貢献した併合、それを途中から大国介入による、イデオロギー対立に巻き込まれて分断してしまったのだが、元の統一に協力してやることぐらいやぶさかでないとする立場をとる保守の人も中には。それらの人にとっちゃあ親切心。マイドコントロールに落ちた側の人間にとっては使命感。

しかし冷戦下はあくまでも反共。旗振りの色からも政治家からみても旨味もあったにしても、知るともなしな聴こえてくる教団の手法。

派手な合同結婚式なるイベント。

 

先導役のかつて元は左傾活動家くずれの連中なんかは、疑問も抱かなかったのだろうか。

転向後移り住んでも、人間を道具としてしか、捉えられてない我が身の現実に、二度も目にしてさど裏切られた気持ちだっただろうな。

彼等のそのような悔いも、そもそもの判断の過ちは何だったのだろう。なにから始まっているのだろう。

疎外感からが、始まりなのだろうか。

そのようなものに染まり走ってしまう

原因。日本人の活動家にとっての根は現実を見ないユートピア思考のなせるわざか。

もしくは一部に在日コリアンのメンバーがいるとしたなら、日本社会で受けた差別からの反動か。

教団の教祖が、むこうの半島出身の人であることを知り信用してみようかとなったのか。

場合によってはそれが決断の入会だったのか。民族統一を掲げての反共はあくまでも看板であることを嗅ぎつけて今はどのような感情でいることだろう。そこら辺にも複雑な思いを抱く人もいるのでは。他方疑い抱かないベースがノンポリのタイプは別段、そのような感情に侵されることもないのかもしれない。

よって、贖罪意識感情と体制批判感情が向こうの意図する政治的意図のはかりごとに絡めとられるのにはそういう人、時間もかからない。

以降は、平和と家庭の看板に

易々と居場所を得たごとくのように、誘導される、献金の要請も、償いのごとく、植え付けられた、罪からの解放よろしく、あたかもそれが、召される未来の天国への唯一導きでもあるかの如く。嬉々としてこの流れに身を任せていくのだろう。

貢がれて、北へも、渡ったお金は

どう化けていったのか。

国際社会が忌み嫌う独裁者のまさか、ミサイル、核開発に間接、支えているのが現実ではないのか。

偽り看板の平和のほうは、ダムに例えたら決壊していないだけで、家庭のほうの看板は、容疑者の家庭が物語るようにすでに決壊してしまっている。

この平安を破ったのはどこまでいっても原因はどこにあるかといえば、発生元の教団側に求めるのが筋だろう。

リアリズムの国際政治の現実に、教団の進めてきたこととの乖離をどう説明しようとするのだろう。

昨年の安倍首相からの祝辞メッセージなるものは、聴き終えても社交辞令にあくまでもとどまるもの。あんなメッセージ如きで有り難がって、お墨付き貰ったような気分になれるだろうか、ちゃんちゃらおかし過ぎる、このような会員の受け答え場面見ただけででも。

 

しかし、その後の教団側の追悼行事をおこなった時点では、すでに、ロシアのウクライナ軍事侵攻も起きていた。核の威力をその上に原子力発電所あたりへの攻撃もちらつかされているという状況の中で

この後に及んで、それら威嚇体質、同質の全体主義的体質をいやまして、持った北の独裁者である金正恩からのメッセージやらお花を受け取る教団とは、そもそもなんなのだろう。少なくとも受け取ることはあったとしても、これみよがしに、メディアの前で、うやうやしく紹介これ務めるだろうかと。感覚が、ちょっと違うようだ。

 

画面のあれ見た、日本国民は違和感抱いて、とんだ、容疑者の素性知るにつけ、どうしようもない奴にやられたもんだと憐れんだに違いない。例え、安倍元首相と政治心情は違った人までも、そのような感慨で犯行を憎んだはず。

 

安倍氏の功罪語られゆくなかで、その功の方理解出来ない側からは、もちろん引き継いだ

リーダーの仕切り方には不満と批判が。

 

それであっても、反対政党であっても、外交手腕への評価は、見ていた人も。

理解できる部分は

ここに極まって、異を唱え出したのは、安倍政治に泥を塗る結果になっているその責任を問おうとする気持ちからなのだろう。

これは、党派とか、関係ないよと。

国際社会での日本の政治的プレゼンスの問題。

いうのはそこだ。

これらを放置し続けて、何がある。

徳なことなどありはしない。

政局に持っていくこと好む政治家、余計頂けない。

野党のほうは、さもありなん。しかしながらだ、押さえの大将亡くしてしまってからというもの、派閥の腹芸かなんかしらんが好みは

いまだ古い手法の年季議員が浮上してきたりする。今に始まったことでもない、愛媛のこと、もとから、そのようなことは以前から、驚くには当たらない。政権自民党

前へ前へと、もっと自覚的に連立友党のような

一致結束したものを見たいのだが。

それは、詮無いことかもしれんなと。

自民党は、党あって党無し。

自分党だから、仕方がないか。自分が軸。

周りでみえてくる風景といえば

政策は、後付け、一票の格差問われての

議員定数配分の見直しに戦々恐々といったところが実態のようだ。恥ずかしい、微笑うわとの告白めいた他の保守王国県、和歌山。

いわれながらの、昨今の分裂。

 

多分にいずれの過疎圏なら、

似たり寄ったりの景色かも。

違いがあるなら、多分、利権を巡っての争いなんだろうぐらいのもの。落下傘候補に及んでは、看板倒れで懲りた革新陣営首長でない限りはましかぐらいのもの。笑う。

過去の印象に残している風景、最後には

探してきて

貼り付けてもいい。

 

それにしても、統一問題の方は縁を切ると

今後の在り方明言されても、いままでの実態がどうなのかも知らないからね。

咎めようもない。

 

参照するほどに、影響のほども推し量れない。行政に求められるべきは、いかなる団体とも公平、公正なること。思想、信条で扱いが変わることもない。結社の自由もだ。

ただ、法を犯したものは、いずれの人であっても罪は罪。手加減あろうなく、公正なる処罰を。金銭詐欺も含めて被害者感情から、犯行者への同情からか、支援金の集まりも報道されたりと。

暴力的解決を助長しかねない行為。

事件が、これが、憎むべきテロでないとでもいうのだろうか。至った行為とその結果に情状の余地などあるとは思えない。

かかわりの余地を与えたかもしれないとそこは広告塔になったかもしれない部分を認めて

党は踏み込んだ決断。

教団のほうでは、言い繕うのに事欠いて、信教の自由、侵されたと騒ぎ出す。普通、支援は、そう言われて、馬鹿らしくてしませんと言うなら理解も出来るのだが、残念ですとは?どういうつもりだろう。片思いでもそれでも続けていくのでしょうか。わからない世界。

さらなる、加盟系列団体名、巧妙化するんでしようか。

 

政治の側に

要望したいことは善悪の判断、化粧直しされて、近付かれようとも、そこは、銘々のアンテナを錆び付かせてしまわないことを、利用されてしまわないこと要望するしかないでしょうね。