アルバムの写真はいつか色あせる
お墓だっていつかはなくなる
たとえ動画でなかってもデジタルだったら
その画像は色あせないのではないか
アルバムから
色あせないうちに大切な人のデジタル化の編集を
コロナ禍自粛時の思いついたこと
そのうちの一つに違いない
なかなか、作業は
行きつ戻りつ
感謝と一方で贖罪の意識も
というのも、「愛してる」
「お世話になりました」を
昨今は自然体で
てらいもなく、手際よく
子供たちの世代でのやられているのとは違って
あんまりできていなかった反省を
生前は当たり前だった存在
失ってその大切さが染みわたる
支えてくれた両親の大きさ
励ましてくれたどこまでも応援の温かさ
「ジイジはスイカ作りの名人だった」
「バアバのサバ寿司は日本一」
伝えたい…
面影さえ知らない自分の孫に伝えたい
残したい。自分のルーツ
それは私にとっての軸足の確認
進めては止まり。
また、止まっては進める作業。
巣立った身内、仲間らのアプリを参考にしながら
すでに今はあの世に逝った
親たちのことを
アルバムから偲ぶことに
今まで言えなかった
言えたのは
葬儀の棺に
こうべを垂れたときではなかっただろうか
自分だけのオリジナル人生…
永遠に残る
遅きに失した感謝の
プレミアム静止画像編集動画
残したい…という
それは自己満足か
この世に生まれ成長し
仕事にはげみ、家庭にそそいだ
育ててくれた感謝は仏前で
本当に届くかどうかは
使命に生きてこそなのだが
「届ける」ことに。
わたしが生まれた理由
それは両親に望まれたから…
自分に家庭ができてはじめて
育てられた感謝に気づかされる
元気で生きてるうちに
背中を見せてくれた父には
「あなたがいつも目標でした」
常に味方でいてくれた母には
「産んでくれてありがとう」を
届けたいものですね…
おことわり事項
画像と記事は直接の関係はありません。
まわりめぐってくる
抵抗感のある
敬老の日の前に記す