トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

教育勅語論争・論点整理

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前後の文のかかりを無視して切り取るのはマスコミの得意技じゃないですか()

それはいいとして、確かに教育勅語に民主主義があるなんてのは、恣意的な解釈以外の何物でもない。ただ一方で、我々が古典を引用するとき、そこまで文脈に厳密かというと、そうでもない。

「天は人の上に人をつくらず」を平等主義を謳ったものと扱うのも、厳密には趣旨が違う。

だから、市長が職員に対するお説教で勅語を引用したからといって問題にしすぎないほうがいい(これをやりすぎると、まさに構図として逆不敬事件です)

あと記事にある説明ですが、「皇運」の「皇」を「皇室」と解釈するのは少し狭い読み方だし、「学問により国をもり立てるべし」を「国のためにならない学問は不可」と読みかえるのは論理的にかなりの飛躍がありますけどね。

 

その他。

 

「教育の背骨」的なものは必要ではと思う。教育勅語の主語は「朕」であるが、これを「我々日本国民」に置き換え、守るべき客体を「日本国民」とすることで主権在民の現憲法とも齟齬は発生しないように思える。

 

今考えると片寄った思想教育と思える。教育勅語はうるさく言うが新聞のコラムも使うべきではない。コラム欄で教育勅語の批判をするが、戦争を先導したのは今の朝日新聞です。世にいう識者でも分かっている人はメディアのズルいところには安易に加担しません。

 

 

教育勅語を全部読んだけど、そんなに悪いものではありません。

人間として生きていく上で、大切なことが書いてあるだけ。

 

それより、今だ教育勅語を使わなければならないほど、教育方針を示せない現状の方が問題。

 

一か所だけ見て「全部良い」とか「全部だめ」ってことじゃないよって話なんだよ。

「兄弟ニ友ニ」「博愛衆ニ及ホシ」「学ヲ修メ」は今も通用する内容だが,後ろ部分は通用しないから書いてないってだけじゃねぇか。論点が全然違うんだよ。教育勅語が作られ、広められた時代的背景と当時の思想から判断すれば当然、立憲君主制的な思想になる。しかも古くからあっても新しい権威の象徴に祀り上げられた天皇を絶対君主のようにその権威を強化する必要が国家として必要だった。だからそこに民主主義的な発想はないと言い切る専門家の言も一つの説としては間違いないだろう。ただ、現代の視点で教育勅語を解釈すればどうなるだろうか。そこに書いてある言葉を現代的解釈で行っていけば確かに民主的な発想の言葉に置き換えることもできる。私は歴史はその当時の人間の思想や背景から見るべきだという思考を持つ人間なので、教育勅語を現代的視点で見直すというのはどうかなという疑問はあるが、それは人それぞれの考えなので明らかに間違っているとは言えないと思う。

 

教育勅語の研修引用、広島市長の「民主主義的な発想の言葉が並ぶ」は本当? 専門家「明らかに間違っている」のタイトル記事によせられるコメントを引用しました。