トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

6月4日雑感

共産主義の反宗教的心理は実は裏返しされた宗教的心理である。」とベルジャーエフは述べています。

 

言論の自由だけでなく、内心の自由もない社会、いやですね。よくわかる論述です。

 

肉体ばかりでなく霊魂までもーー要求する。

 

多くの多くの人命を損なった革命、恐ろしいものです。

 

レーニンスターリンの肖像をかついで練り

歩く、無神経な民衆。疑いもなく、神のように従うのは.共産主義という名の宗教。「ニヒリズムの心理とロシア人の無神論」大審問官の精神はカトリックにも、古い歴史上の教会一般にも内在したし、ロシアの専制体制にも、また、ありとあらゆる暴力的絶対主義国家にも内在し、そして今日ではその精神が、宗教の代理となってバベルの塔をうちたてようと豪語している実証主義社会主義にも乗り移っている。

 

これらの、事象を笑えるだけの自由がある社会に。国民がきちんとそれを監視できるような体制、国民のためになるような体制が必要。「ロシア人の宗教的心理と共産主義無神論」からの脱却が必要。

 

良心の自由を否定し、異端者を火刑に処し、権威を自由の上に置く旧教会にも、満足のために至高の自由を犠牲にする、人類を神格化する実証主義という宗教にも、カエサルとその剣に跪拝する国家原理にも、人間の自由を否定して軽蔑すべき家畜のように人間を世話しようとするあらゆる形式の国家絶対主義や国家崇拝主義にも、そして社会主義にも、この精神が存在する。

 

ニコライ・ベルジャーエフ(一八七四―一九四八):ロシアの思想家。本来合法的マルクス主義の立場をとり、革命運動にも参加したが、後にキリスト教哲学に傾倒した。モスクワ大学で哲学を教えた後、一九二二年にパリに亡命、雑誌『道』(一九二五―四〇)を編集した。実存主義の先駆者の一人といわれ、現代ロシア思想にも影響を及ぼしている。ドストエフスキーを、物質的な価値に対する精神的な価値の優越を説いた作家の典型と捉え、特にその自由論を自らにひきつけて論理展開した。ここでは『大審問官』に描かれた思想を、誤った宗教的政治思想の一類型として性格づけている。

 

 

今に置き換えて言えば、戦争を正当化するプーチンウクライナ侵攻を支持した、キイル総主教。自らが『大審問官』になってしまっている。

 

ドストエフスキーがその内在性の悪を描き出したように、その悪魔性を諭す者がいなければならない。

 

1989.6.4天安門の日にあえてこれを記す