トトヤンの家庭菜園

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ゴルバチョフの死を悼む

ブログ記事にした翌日に亡くなるとは

遡ってゴルバチョフの憂慮された頃の

当時に立ち戻ってみる。


財団関係者によると、ゴルバチョフ氏はコロナ対策もあって病院の部屋で過ごし、お祝いの会にはリモートで参加していたいう。


 会には、プーチン政権を批判してきたリベラル紙「ノーバヤ・ガゼータ」のムラトフ編集長も姿を見せた。


 報道の自由を貫いて昨年のノーベル平和賞を受賞している。ちょうど自紙のサイトに、プーチン大統領の核による威嚇に警鐘を鳴らす声明を出した。


 ゴルバチョフ氏は同紙の株主で、90年にノーベル平和賞を受賞した際には賞金で同紙のコンピューターを買いそろえたりと。


 2年前のゴルバチョフ氏にインタビュー。ゴルバチョフ氏は「ノーバヤ・ガゼータ」について、改革の一環として進めたグラスノスチ(情報公開)を体現したものだと答えた。


 こうした事実はゴルバチョフ氏とプーチン氏との今の関係性も物語っている。ゴルバチョフ氏の側近は今年1月、「もう長い間、2人はコンタクトをとっていない」と記者に明かしている。


 「我々ロシア人ほどウクライナのことを気にかけている者はいない」と書き出し、「私の母はウクライナ人だった。妻のライサもウクライナ人だった。これはプロパガンダとして扱ってはならない問題だ。ロシアとウクライナの間に敵意をあおり、両国の関係を悪化させることに関心を持ち、それが必要とする誰かがいる」と書いている。


母なるウクライナ


 ゴルバチョフ氏は2017年に出した自叙伝「オプチミストのままで」(AST出版)の中で、「ウクライナ危機」の項目を立ててこの問題を論じている。


 ゴルバチョフ氏は危機の原因を、2013年の欧州連合EU)とウクライナの連合協定をめぐる署名問題だったとする。


 「この問題がロシアとウクライナの関係にどう影響するかを顧みることなく検討された事実に、私は最初から胸騒ぎがした」。ロシア・ウクライナEUの〈トライアングル〉を築くため、交渉と調整のメカニズムを模索する必要があったが、EU側がロシアとの協力を一切拒否した、とゴルバチョフ氏はみた。


 「ウクライナのヤヌコビッチ大統領(当時)は自身の政治的利益を優先し、結局はEUとの協定書に署名しない決定をした。これはウクライナの多くの人に理解されず、デモと抗議が始まった。最初は平和的だったものの、次第に急進派や過激派、扇動集団が主導権を握るようになった」


 ゴルバチョフ氏は、141月にプーチン大統領オバマ米大統領(当時)に公開書簡を送り、大規模な流血を防ぐために交渉のイニシアチブをとるよう呼びかけたと明かしている。


 「私の書簡は文字通り魂の叫びだった。しかし、それは届かなかった」


 142月のヤヌコビッチ政権崩壊後、親ロシア派勢力が南部クリミア半島を押さえた。ロシアは同年3月、クリミアを一方的に併合した。


 自叙伝の執筆時点でゴルバチョフ氏は、ウクライナ問題の解決策は、149月と152月、ウクライナ政府と同国内の親ロシア派との間で交わされた停戦合意協定「ミンスク合意」の達成に尽きるとしている。


 だが、ロシアはウクライナがこの合意を履行していないと主張した。今年2月にはついに、プーチン大統領が合意を破棄して軍事侵攻に踏み切ってしまう。


 ゴルバチョフ氏は自叙伝で、「ウクライナ国民のためになるのは、民主的なウクライナであり、ブロックに属さないウクライナであると私は確信している。そうした地位は国際的な保障とともに憲法で裏付けられなければならない。私が想定しているのは、1955年に署名されたオーストリア国家条約のようなタイプのものだ」と述べる。


 これは、第2次世界大戦時の連合国がオーストリアの主権回復を認めた条約だ。オーストリアはその後、永世中立を宣言した。


 ゴルバチョフ氏が強調しているのは、国際関係における信頼の概念だ。それは、「双方がお互いを尊重し、お互いの利益を考慮するときに現れてくる」と述べる。


 そして西側が冷戦で「勝利」を表明し、信頼は損なわれたとゴルバチョフ氏は指摘した。


 「西側はソ連崩壊後のロシアの弱体化を利用した。国際関係での平等の原則は忘れ去られ、我々はみな、今のような状況に置かれていることに気づいた」


 ロシアが最も神経をとがらせてきた北大西洋条約機構NATO)の東方拡大についてはこう記す。


 「NATO軍とロシア軍はごく最近までお互い離れたところにいたが、今は顔をつきあわせている。かつて我々は、ワルシャワ条約機構を解散した。当時ロンドンでNATO理事会の会合が開かれ、軍事同盟ではなく、政治が軸となる同盟が必要だという結論に至った。これは早々と忘れられた。NATOがこの問題に立ち返るのを私は望んでいる」


 ゴルバチョフ氏は80年代後半、「(複雑な世界情勢を)我々は手を取り合ってそこから抜け出した」とし、こう続けた。


 「もちろん、当時と現在とがまったく同じだというわけではない。だが、教訓を引き出すことはできる。それは、現状から抜け出るためにはまず、お互いを尊重し、対話を重ねるということだ。それがなければ、何も変えることはできない」


冷戦後を見つめ直す必要


 ウクライナに軍事侵攻し、「核大国」を誇示して威嚇するプーチン大統領の行動は決して容認できない。一刻も早い停戦に向けて各国は尽力すべきだ。


 ただ、冷戦終結ソ連崩壊から30年以上たった今、なぜ今回の事態が防げなかったのかを冷静に振り返り、見つめ直す必要がある。


 留意しておくべきは、西側が冷戦終結後の対ロシア戦略を誤り、東西をカバーする安全保障の国際管理に失敗したという現実だ。


これらのゴルバチョフ氏の視点は、事態を読み解くための一つのヒントになるだろうか。


財団が出した声明の全文は次の通りだ。


「相互の尊重」「双方の利益」


 「224日に始まったウクライナでのロシアの軍事作戦に関連し、一刻も早い戦闘行為の停止と早急な平和交渉の開始が必要だと我々は表明する。世界には人間の命より大切なものはなく、あるはずもない。相互の尊重と、双方の利益の考慮に基づいた交渉と対話のみが、最も深刻な対立や問題を解決できる唯一の方法だ。我々は、交渉プロセスの再開に向けたあらゆる努力を支持する」


 注目される、「相互の尊重」と「双方の利益」という表現。


旧ソ連の指導者として、冷戦を終結させたゴルバチョフ氏は、ウクライナをめぐる問題の根底にあるものを見据えてこられたのでしょう。最悪の事態に発展したいま、その視座から何を学ふべきか。


 対立ではなく協調を模索し、人類共通の利益を優先するというゴルバチョフ氏の「新思考外交」の理念がにじんでいる声明。


 この新思考が、「核戦争に勝者はない」というレーガン米大統領との合意を可能にし、米ソ初の核軍縮条約を引き寄せた。それは冷戦終結ドイツ統一、そして統一ドイツのNATO加盟につながっていく。


 これはまさに米ソをはじめとする東西諸国の共同作業だった。ゴルバチョフ氏は「ヨーロッパ共通の家」構想も唱えた。


 ゴルバチョフ氏は国内でもペレストロイカ(改革)で民主化を進めたが、しかしながら急進改革派と守旧派の双方からも揺さぶられていくことに。


 19911225日、核兵器の権限を新生ロシアのエリツィン大統領に引き渡す命令に署名し、ソ連大統領を辞任した。その後はゴルバチョフ財団総裁として、さまざまな提言を世界に発信してきていた。これまでも。




ゼレンスキー大統領もプーチン大統領

冷静に傾聴すべきは、侵攻はじまって2日後の緊急なゴルバチョフの魂の叫びだ。


今まさに、ザボロジエ原発攻撃、核の脅威の高まり。振り返ってのNPTの誓い。

「核戦争に勝者はない」


コロナ対策で延期され、しかも、逆行の

合意に至らずの国際社会。NPT会議。


先導役を、果たしてきたゴルバチョフの死。

ウクライナもロシアも国民は

平和を望んでいるはず。


再び日本でキエフ国立バレエ団観賞出来る日を期待しつつ



ゴルバチョフ氏のご冥福をお祈りします。