トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

いっそ改組されたら?学術会議

日本学術会議、いっそ改組されたら?


今日は、この件で、一応、合点した記事。

以下、転載。


老人会・蛸壺温床・政策提言僅少の「日本ガス抜き会議」


2020.10.6(火) 伊東 乾

日本学術会議が推薦した新会員が首相官邸で覆されて大騒ぎ・・・。
 
 

 東京大学総長選考の現実には無風の状態で火のない所に煙を立てるのとはわけが違い、これはまた下品なことをしたものだ・・・。

 そう思いながら追加報道を見ていたのですが、まあこれが揃いも揃って「日本学術会議」とは何たるものか、およそわきまえない、説明にも何にもなっていない怪説だらけで呆れました。

 筆者は2004年、黒川清日本学術会議会長のもとで「第三次科学技術基本計画」の学術会議分のドラフトを自由に(今ですからハッキリ書きますが、好きなように)加筆改訂させてもらった経験があります。

30代の私に、「縦横に腕を振るってよろしい。責任は俺が取るから」と投げてくれた黒川さんは、本当に器量の人で、のちにも3.11以降の福島など様々な案件で、大変多くご指導をいただきました。

「政策提言を出す」のが、学術会議の仕事です。

 この経験のおかげで、政策を書くことに関しては、30代半ば以降かなり慣れました。

 知る人は知るように、戦略マン政策職人もやっているわけですが、公務なので連載にはほとんど記しません。

 しかし、ごく最近、私は学術会議のとある小委員会を見捨てたばかりです。あまりにもバカバカしいので相手にしないことにしました。

 まあ率直に言いますと(定評がありますので)小委員会を作って3年だか6年だか、アクティビティがゼロなので、何とか助けてほしいと頼まれたのです。

 六本木の建物で、5省庁から次官級などにも来てもらってシンポジウムも開き、提言も2回まるまる、大がかりなものを、完全に一人で書いてやりましたが・・・。
何もできないお歴々が、意味のない難癖をつけるだけであるのに加え、直接頼んできた連中の身勝手と無礼があまりにも酷くなり、バカバカしいので見捨てたのです。
 
 

 断続的にですが30代から16年ほど、この組織の舞台裏を支えた経験がありますので「学術会議」というものの現実の姿をスケッチしてみます。

●この際だから名前を変えたら?

●英語のサイエンスカウンシルはそのままでよいから
●「日本科学技術政策答申会議」

 といった、名が体を表すものに改組したらよろしかろう。

 長年お仕えして愛想が尽き、見捨てさせていただいた観点から、極めて穏当な範囲だけ記してみます。

学術会議がダメなところ(1)老人会

 私が日本学術会議に最初にコミットしたのは2004年の夏か秋で、東大で副学長を務めていた小宮山宏さんの紹介で、黒川会長を訊ねたのでした。

「イトー君はいろいろできるけれど、東大の中に敵ができちゃったりして、学内では使いにくくなってしまった。でも人材を埋もれさせるのももったいないので、東大よりもっと大きな日本全体の舞台で仕事してみたらよい・・・」というようなご紹介だった記憶があります。

 一応、その舞台裏も記しておきます。

 これも、もう定年前に早期退職した人物のことなので、問題なく記しますが、私は2001年の春先に、とある女子学生から、教官のセクシャル・ハラスメントを受けて困っていると相談を受けました。

 その学生の希望に沿った海外大学(MIT)への紹介などしたところ、私がその事実を知っていると感づいた当の容疑者から、逆レッテル張りで「伊東にはアカデミックハラスメントの疑いがある」と、完全なる冤罪に落とされました。

 実はそれ以降19年間、ロクでもない状態が今現在も続いています。
今日ただいまも私は、東大の中に1平米も研究室の部局固有面積がありません。全学共通面積に割り当てられた部屋は、先月から「発熱外来」が棟の1階に作られ、共通の入り口に「発熱している方はここでお待ちください」との立て看板。
 
 

 可哀そうにうちの学生は部屋に上がるには、そこを必ず通らねばならない仕儀となってしまいました。

 学生にそんな危ないことはさせられませんから、別の部屋を取って、理論解析の研究打ち合わせを行っています。

 そんな具合に、学内で私を敵視する新左翼などが出、これがまた様々な悪さをしましたので、工学部長だった小宮山さんが保護してくださり、隣接キャンパスにプロジェクトで避難するスペースも(2007年までは)でき、東大は狭いから広い所で仕事するといい、と「放流」してくれたのが、学術会議だったのです。
ここで30代の私は「科学技術基本計画」に加筆し、「世界物理年」日本委員会の幹事となってノーベル賞審査員の碩学たちと仕事し、高校・大学生向けにノーベル賞受賞者が直接教える教室など、様々なプランを実現してきました。

 2008年以降、私のノーベル賞解説記事は定番で来週もまた書くつもりですが、それは39~40歳にかけてここで仕事し、世界の学術トップとご縁ができたからにほかなりません。

 一言でいうと、私の大学公務は一新しました。

 だったら、学術会議は素晴らしいところではないかと言われそうですが、そうではないのです。

 学術会議の「新入会員」の平均年齢は、当時で62歳を超えていました。60歳定年の時代です。そして、この会議自体も70歳定年。

 つまり、大学を定年退職した高齢者が、名誉職でやって来るのが「学術会議」なんですね。「老人会」なんですね。
でも、位置づけは「内閣に日本の科学技術政策を提言する」といった、ビビッドな仕事をしなくてはならない。新人の平均年齢が60歳超の集団がです。
 
 

 今回、内閣に承認を拒まれた6人にしても

小沢隆一:東京慈恵会医科大学憲法学)1959- 61歳
 岡田正則:早稲田大学行政法学)1957- 63歳
 松宮孝明立命館大学(刑事法学)1958- 62歳
 加藤陽子東京大学歴史学)1960- 60歳
 芦名定道:京都大学キリスト教学)1956- 64歳
 宇野重規東京大学政治学)1967- 53歳

 平均60.3歳は私より若い宇野氏が一人で下げているもので、それ以外の5人だと61.8歳、やはり16年前と大差ありません。

そして、この人たちの一人として、政府に政策答申する、米国で考えるならランドコーポレーションのような仕事のプロはいない。

 1度目の人生をゴールまで走った後、余生の名誉職でやってきた「学術会議」で、いったいどのような、生き馬の目を抜くようなシビアでシリアスな、また現実に使える、即効性のある政策マン、戦略マンとしての仕事ができるか・・・。

 できるわけがない。

 小宮山さんが私を黒川さんに預けたのは、30代で元気であり、新しい仕事を次々覚えていたからにほかなりません。

特に内閣府の担当官たちと緊密に連絡を取り合いながら、本当に政策を動かしていくのに、担当官は20代から50代までいろんな人がいますが、学者先生の方は皆、孫のいるご年配ばかりでは、動くものも動かないからという理由もありました。
 
 

 私はそこで好きにさせてもらったので、いろいろ経験できましたが、そんなのは数十年に何回あるかという例外であって、大方は何も動かないのです。

学術会議がダメなところ(2)
 予算のない「日本ガス抜き会議」

 学術会議は、こと文系に関しては、むしろ左派の牙城といった様相を長く呈していたように思うのは、私だけでしょうか?

 アカデミシャンのコメントがメディアに載ると思うので、見てみていただければと思います。
 

 


 どちらかというと、政府に批判的な意見の答申が珍しくなく、それを「具申する」役所の側は「聞き置く」として、そのままお蔵入りという「日本ガス抜き会議」の側面が、こと文科系に関しては、非常に明確にあったと思います。

 そんな具合だから、政策答申にリアルな可能性は希薄で、べき論に基づく提言も少なくない。

 私が先ほど、ある小委員会を見捨てたというのは、少子高齢化を迎えて、どのようなイノベーションが必要かを取りまとめるようなものでしたが、何もできないのです。

 大半の60代で名誉職メンバーの皆さんは。

 ただ、文句を言ってるだけという場合が少なくない。私はその答申に、正味1か月×2回、莫大な時間と労力を費やしました。


ところが、それこそ報酬に換算したら莫大な金額になる手間暇と時間を費やさせ、対価はゼロ。そもそも私は学術会議の正会員ではありませんし、政策答申に筆者名は入りません。
 
 

 その部会を取り仕切っていた企業出身の男性(「会員」)によるハラスメントがあり、バカバカしいので、私はその答申を書くのをやめました。

 それまで書いた草稿は、すべて私一人で、莫大な数の図まで自作していましたので、無断転用は刑事事案になることだけ告げ、一切コンタクトを断ちました。

 その後、その分科会は一切、提言などまとめることができず、コロナ禍になりましたので、リモートでお茶を濁すZOOM会議を1回行い、解散したらしく聞き及びます。
 

 


 単に生産性が低いだけでなく、予算がついていませんから、周りにいる若い人をタダ働きさせ、ひたすら迷惑な委員会でした。

 私が30代なら、まだ「若い人」でも勉強になりましたが、20年が経過し、50代で中核的な責任を持っている私を、何を勘違いしたのか70歳前後の縁の薄い人々が、タダで使える便利なアシスタントとでも思ったのでしょうか・・・。

 その実、きちんと政策答申など書ける人は正会員の中でも数える程度だと思います。有名無実化した権威主義的な組織の面がハッキリありますので、解体改組した方がいいのではないかと思います。

 その決定打的として 学術会議が日本の学問の「縦割り」「タコツボ」化の一大背景になっているという、もう一つの理由を挙げなければなりません。


私は、東大では「大学院情報学環」などという正体不明の組織に籍があり、実際には音楽屋ですから、私の商売、作曲も指揮も、学術会議とは縁がありません。
 
 

 翻って「学術会議」会員は、エスタブリッシュメントの学会推薦で、「学際新領域」などからは普通は選ばれません。ときおり「名誉白人」みたいなケースはあり得ますが、新領域に居場所はありません。

 逆に私は楽隊という別の持ち分で、自分の畑ではノーベル賞も別段何とも思わない程度に仕事はしてきましたから、何も臆することなくノーベル賞審査員諸氏とも同じ目線で仕事させてもらってきました。

 ノーベル賞審査員諸氏は立派な仕事をしておられますが、別段組織的に上下があるわけではない。
 

 


 また、政策マン、戦略マンとしてきっちり仕事はしますが、定年後の名誉職お達者クラブにお仕えする趣味もない。

 私の著作物から名を消されて、その人たちの業績を作ってやる義理もありませんから、見捨てたという、今年に入ってから現実にあった事例を引いて、学術会議の一つの横顔として紹介しました。

 そこまでひどいのが学術会議のすべてと誤解されませんように。もっとまともな分科会もたくさんあると思います。

 ただ、旧来からの学術分野、その縦割り・タコツボ温存の大本が、部に分かれて構成された「学術会議」にあるのは間違いありません。

「学際」何ちゃらかんちゃらと名のつく所の実態も、これは別原稿としますが、およそ極北の寒さにあります。今回ハネられた6人にしても、

小沢隆一:(憲法
 岡田正則:(行政法
 松宮孝明:(刑事法)
 加藤陽子:(史学)
 芦名定道:(キリスト教) 
 宇野重規:(政治学) 

 と、どなたも確立された領域の人間ばかりでしょう?

 つまり、学際新領域などというものは、背景となる歴史の古い学会が存在しないので、実質的には学術会議に正会員として推薦される可能性がゼロなわけです。

上の世代は「若い人は新しい境界領域をどんどん作って・・・」とか、いろいろ甘言を弄したし、そういう言葉を真に受けて、30代の私はできる限りの努力を惜しまなかったばかりでなく、学術会議名義で莫大といってよい量の仕事も完全にタダ働きで貢献してきました。
 
 

 しかし、何一つクレジットなんか残っていない。私の業績として知財を囲うこともできない。

 いってみれば、官製の縦割りたこつぼ製造機であるうえに、学術会議という権威に、若い人のオリジナリティを吸い取る搾取機構にすらなっている。

 しょせん私は呼ばれる気配もないので、また、はっきり長年貢献もしてきたので、言わせてもらいます。

 

 


業績横取り製造機「ガス抜き会議」は解組した方が生産性は上がる。

 若い、未来のある研究者の皆さんには、くれぐれも学術会議などに近づくものではないと、経験者としてアドバイスしておきます。

 黒川さんのような上長がトップであれば、例外的に面白い経験もできましたが、現在どういう状況であるか定かでないし、前期までの状態はお寒い限りでした。

 学術会議の本当の使命は、「御用学者」たることにあります。

 政府に役立つ科学技術提言を出すのが仕事なのだから、いっそ20代、30代の若い世代で、コロナ対策とか、本当に役立つ政策提言ができる人間が集まる組織に全面改組したらよろしい。

 そうであれば、「政府がいいと思う人を採る」で構わないわけで、いまの官邸の方向性とも合致するでしょう。

 お達者クラブ+業績横取り+縦割りタコツボ温床の「日本ガス抜き会議」なら、有名無実ですから、さっさとやめておしまいなさい、というのが、長年「介護」だけさせていただいた、無名の黒子に徹した一個人の、率直な感想です。

 

 

 

 

 

伊東 乾のプロフィール


 

作曲家=指揮者 ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

1965年東京生まれ。東京大学理学部物理学科卒業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学東京藝術大学などでも後進の指導に当たる。若くして音楽家として高い評価を受けるが、並行して演奏中の脳血流測定などを駆使する音楽の科学的基礎研究を創始、それらに基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進している。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトなどが、大きな反響を呼んでいる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)、『知識・構造化ミッション』(日経BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。

軍縮・安全保障のスタンスは

日米台に期待。

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 最後に

ここ最近で、

一番、こころに留めた

一中国人の一文。

忘れないように、

大切に転記しておこうかなと。

 

以下、周さんの文章を転載しておわります。

 

「お疲れさまでした」1人の中国人から、安倍前首相へ

<安倍さんは本当によくやったと思う。国益のために働き、全方位外交をした。カッコよくないパフォーマンスやエピソードもたくさんあったが、それがむしろ中国では受け、好意的な反応が多かった>


これまでこのコラムに書いたことに対し、さまざまな意見を頂戴してきた。ただ、私個人というより「中国人」に向けたものが多かったように思う。改めて言明しておきたいのだが、コラムの内容はあくまで私個人の見解であり、中国政府を代表するものでも(当たり前だ)、中国人全体の一般的見解でもない。だから今回も、個人の見解です。安倍さん、お疲れさまでした。【周 来友(しゅう・らいゆう)】

個人的に、安倍晋三前首相は本当によくやったと思う。国のトップとして、私利私欲のためではなく、国益のために働いた。経済面では対中関係を重視し、結果的に日中関係も改善した。トランプやプーチンにぺこぺこと頭を下げながらも、バランスを取りつつ全方位外交をしたと言っていいだろう(韓国との関係はともかく)。

安倍さんの辞任で一番感動したのは、会見で「国民の皆さまに心よりおわびを申し上げます」と謝罪したことだ。任期途中であり、またコロナ禍の最中の辞任だからということだが、政治家が国民に謝るなんて中国ではあり得ない。そういう意味でも、安倍さんは優れた政治家であると思う。

実はこうした考えを持っているのは、私だけではない。冒頭で「個人の見解」と書いたが、多くの中国人が安倍さんをおおむね肯定的に評価しているのだ。辞任のニュースが流れると、中国のSNSには「中国にはいない立派な政治家」「自分のイメージを度外視して、国のために働いた」といった声が次々と上がった。

「イメージを度外視」という表現については、少し説明が必要かもしれない。2016年のリオデジャネイロ五輪の閉会式に安倍さんがスーパーマリオのコスプレ姿で登場したことは、覚えている人も多いだろう。ああしたパフォーマンスはある意味滑稽だ。政治家としては、決してカッコよくはない。だが当時、「国のために、あんなカッコ悪いことまでして!」と、中国ではものすごく評判がよかったのである。

2017年にはトランプとのゴルフ外交中、安倍さんがバンカーに転げ落ちたこともあった。また2015年には、プーチンとの会談に遅れた安倍さんが、小走りでプーチンに駆け寄った──満面の笑みで。どれもこれも、カッコいいエピソードではない。ところが中国ではその必死さが受け、好意的な反応が多かったのだ。小走りの動画までネットに出回ったくらいである。あるいは、いつも仏頂面の自国のリーダーを暗に揶揄したのかもしれない。

もちろん政治体制が大きく異なる両国の政治家を単純比較はできないが、自国の政治家がひど過ぎるため、中国人には日本の政治家がましに見える。私腹を肥やし、愛人を囲い、海外の銀行にお金をため込む。それが中国の政治家なのである。全人代全国人民代表大会)の代表(日本の国会議員に相当する)の3分の1から半分は、いざというときのため、外国籍を持っているという噂もあるくらいだ。

そんな訳で日本の政治家は中国で高く評価されるが、その中でも安倍さんは本当によくやったのではないだろうか。

異なる意見があることは承知している。私の安倍評に反対し、「モリカケ桜を見る会、安保法、歴史修正主義......」などの問題を列挙した日本人の知人もいる。また、安倍さんが辞任早々、靖国神社を参拝したことは大きく取り上げられた。それでも私は第2次安倍政権を生んだ日本の政治体制を羨ましいと思う。

そしてもう一つ。私としては、安倍さんが病気をきちんと治し、もう一度首相をやってくれることを願っている。安倍さんはきっと、トウ小平のような老練な政治家になれるはずだ。私に言われても余計なお世話かもしれないが、あくまで「個人の見解」なので、悪しからず。【周 来友(しゅう・らいゆう)】

 

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あらたな少女像がドイツに

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慰安婦合意の件にしても、

前政権の朴との完全不可逆的という文言を無視したかのように、

新たに、国際社会にむかって、日本非難を始めてしまう。現状建てられてきた像の撤去を約束していたはずなのに

サンフランシスコでは新たに少女像が建てられ、韓国政府は日本と取り交わした約束を忘れたかのように、

民間のやることまでは拘束できかねるみたいに突っぱねる。


日本が、相手の良心にあくまでも、期待をよせているという姿勢に、

甘く見たのか韓国は、ドイツの公道においても、

新たに少女像を立ててしまう。

日本が約束通り、合意事項をまもり、基金設立にお金を出そうが、

結果がこれでは、このさき、逢って、物事の取り決めの、

内実が、どのようにあったとしてもどう信頼できようというのだろう。

徴用工の問題。

現金化は

韓国最高裁判定に従う他ないだのと宣わっている。

そのような判定を導き出すように、裁判所判事の人事に介入して

それこそ、ムンジェインのいうところのそれが三権分立なのか

分立を楯にしてくるところの底が透けて見える。


しかし、朝日新聞なんかは、

その司法の独立というところに力点がおかれて、日弁連との連携も

騒がしく、盛んに安倍批判に紙面を

割いてきていた。まるで、問題を起こしたのが日本であるかのように。


国際法の順守を、

日本が求めるのは、

当然の理屈。

ムンジェインは

gisomiaとか、輸出規制がとか、

個別のことを絡ませることなく

そのようなことを引き合いにだすよりは、真正面から、

被害者に韓国政府としてきっちりとむきあって、解決を国内で付けるべき問題。

韓国政府の責任でということは日韓請求権協定が相互にそれを承認している。

国際法に照らし合せば、そうしていくことをムンジェインは決断すべき。

輸出管理のホワイト国扱いは、

それまでと違って、

安全保障上、いずれの国としても個々に行っているし、

軍事転用されるおそれにある物品の行く先は。

不明の回答をそのまま放置しがたい故の管理強化。

マスコミがこの管理と規制がごっちゃに、引用されて、

日本が盛んに、輸出規制をかけて、隣国に経済制裁加えているみたいに喧伝してしまう。

ムンジェインもそれの対抗としての

あたかも正統な行為みたいに、


日韓請求権協定を

反故にするような

解決済みの徴用工を

問題化していこうとする。

ブラフだったのか、本気なのか。

gisomiaはブラフだったようだけれど、

徴用工現金化は

もう司法手続きに入って、進行中でもある。

 

それに、朝日新聞。日韓問題、韓国側に責任があるのに、安部が去った後でさえ、原因をつくったのが、安部だと決めつける論調がつづいていく。あきれてしまう。修復が容易でないなんて。まるで、日本にボールがあるみたいに。

冷静に考えてみれば、「不都合な真実から目を背け」る韓国の政府、市民団体であり、そして朝日新聞だ。すでに日韓基本条約締結時に法的に解決済みの問題を、蒸し返すことだけでも異常なことだ。
さらに言えば、日本は「法的」責任のみならず、「道義的」責任を取るとまで主張し、アジア女性基金まで設置し、過去を償おうとした。この日本の試みを一方的に拒絶し、「和解」よりも「反日」を優先させたのが韓国ムンジェイン。

 

27日の紙面。


 「不都合な事実から目を背けた、独りよがりの『美しい国』を日韓が競い合っても、果てるところはない」そのような朝日新聞の結び。

 

 冷静に考えてみれば、「不都合な真実から目を背け」ているのは、韓国の政府、市民団体であり、そして朝日新聞

良識あるコラムニストから、朝日がやり玉にあがって、それは当然だよなの印象。

コラムの末尾は、次のように結ばれていた。

日常生活において、これほど本末転倒した議論を聞くことは滅多にないのだが、朝日新聞においては平常運転に過ぎないようだ。

 

 

 

ペルー 大使公邸人質事件

127日後、ペルーの特殊部隊が強行突入し、テロリストを全員射殺、人質は解放された。作戦の鍵となったのが「マリアは病気だ」という謎めいた言葉。

様々な明かされる新証言。

ペルーで起きた日本大使公邸人質事件。(1996年12月)

アナザーストーリーズ備忘録のつもりで。

TV画像(bs再放送)を。

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食品会社にお勤めの

それから、

大使館勤務の

壮年部のかたも

監禁経験をされていたということを

後から体験談の書で

知りました。

尾張のエンタテイメント大名を偲びます

bs番組

昨日の再放送の新日本風土記

視聴して

思い出す。

似たような歴史発掘解説。

それらのことを、思いだしながら、番組での

印象シーンを

備忘録のつもりで。

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大須大道町人祭」。日本全国から50組近いパフォーマーが集結。2日間で40万人の観客を動員する商店街主催のお祭りです。42年前の第一回、目指したのは江戸時代の大須の姿でした。派手好きの殿様、七代目尾張藩主の徳川宗春を偲ぶように。

 

宗春は幕府の緊縮政策に抵抗するように取り締っていた芝居や興行を奨励し「芸どころ・大須」のきっかけを作りました。

 

令和元年のお祭りでは商店街を南北2チームに分け、広場に立つ金と銀の柱を賭けた対決が10年ぶりに行われました。

 

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暴れん坊将軍ドラマなんかでは史実と違って宗春のほうを悪役にし過ぎの感があります。

宗春は、自ら奇抜な衣装に身を包み、家臣一同にも思い思いの衣装を着させて、壮大なコスプレ行列を作り上げて姿を現し、尾張の民衆の度肝を抜いた。

宗春が藩主となって早々に派手に振る舞って見せたのは、民衆を喜ばせることが第一だったのはもちろんだが、自らが率先して楽しんでいる姿を見せることで、民衆に遠慮なく楽しむことを促そうとした意図があったのでしょう。


よほどの自信と強い信念がなければできることではありません。


民衆が豊かになれば自ずと国も豊かになる。繁栄した国家では民衆の生活も豊かであるという、この真理を宗春はよく理解していたということでしょう。

 


 しかし、江戸時代の商業振興には致命的な問題が有ります。 実は江戸時代の税制は基本が農地に対する課税であり、 商業者からは余り税が取られていないのです。
 …つまり。積極財政で商業振興しても、思うように税収が増えない。 だから、宗春の改革は、 尾張領内を楽しく華やかに彩りながら、財政は傾くだけ。
…流石に「お家を預かる」のが仕事の家老達はたまりかね、 幕府に介入してもらい宗春を「強制隠居」に持ち込みました。

安倍総理は「積極財政と規制緩和(特区政策)」を行い、 経済振興をしていますが、これより大きいのが「資金供給」です。
 (日銀が)市場に資金を供給して経済を振興しました。 アベノミクスと対比されているように、実は江戸時代の幕府もこれを上手くやっています。 元文の改鋳

 



時の流れをもってしても、評価が定まらない人物も多いです。そんな一人に徳川宗春もあがるのでしょうね。
 いずれにせよ、彼をザックリと評価するのであれば、徳川吉宗享保の改革による、国内における経済、綱紀粛正した時代の中で。
 ただ、尾張だけはある程度の規制緩和を実施して、めずらしく明るい街にした。
間違いなく、その部分は評価に値… まぁ…
街を明るくして、消費を喚起させ、経済を活性化した。

幕府の貨幣鋳造策、金融緩和。
 この部分は、安倍晋三元首相も徳川宗春も似ている気がするのですが、彼ら二人の政策で違うのはどこなのか、その活性化を推進する本体たる、国の財務状況は健全か?と問えば、双方とも不健全な財務状況のスタート。
  いずれにせよ、アベノミクスとの比較で評価してみた場合”私個人としては”宗春の積極財政を好みます。裏も表も無く、とにかく世の中明るくするためにバカ騒ぎする。

消費だけじゃなく投資になるような戦略。

そんな方策も、長い目で見れば、消費の喚起と同時に、少子高齢化にブレーキをかける事のできる妙手であるのかもしれませんからね。

現在で、叫ばれているところの成長戦略の足らなさ。

 

宗春の場合結果だけみると×の暗君ですが、名君に入れときます。


藩政改革を行った行動力はありますし、宗春侯が藩主になってから、財政は更に悪化していますが、
行った改革の結果がでる前に、罪を受けて隠居させられてしまったからで、 改革を続けていたらどうだったかまではわかりません。


ですから、かなり大目には見てですが、「徳川宗春・名君説」に、一票いれときます。

 


そもそも吉宗vs宗春の構図で短絡的に語られがちですが、歴史家の新たな分析によれば、新事実も。


つまり吉宗は、宗春が自身と異なる政治理念(政策)の持ち主とわかった上で重用していたともいえること。

宗春が尾張藩主として対立する政策を公然と実施したところで、吉宗がそれをただちに理由に失脚させようなどと考えにくい点。

 吉宗は、通春(宗春)を奥州の梁川藩主に任命している。この梁川藩というのは、尾張藩の分家にあたり、3代藩主が跡継ぎの亡いままなくなって、幕府の直轄地となったばかりだった。
吉宗は、一度幕府のものになった梁川藩を、石高をそのままにして通春(宗春)に与えた。
石高が減らされずに藩が再興されるというのは珍しいことらしい。この辺りからも、宗春への厚遇ぶりがうかがえるということも。

今一度常識に立ち返れば地域密着型の積極財政政策をとれた宗春と幕府のみを考え「天下」一律の倹約政策しかとれなかった吉宗。
どちらが経済的に効率がいいか。暴れん坊将軍ドラマなんかでは史実と違って宗春のほうを悪役にし過ぎ。

 

教科書的には、享保の改革を行った吉宗が名君とされる。新田開発、人材登用(大岡越前など)、火災対策(町火消し)、医療政策(小石川養成所)、目安箱の設置など、善政を敷こうとした努力によりウェイトをおいて評価。

しかし、過度の倹約や増税で民衆を苦しめていたのが現実ではないのか。

幕府がこの方針を強化するものだから、各藩が右に倣えとなるのも当然である。


政府の財政重視で民衆の生活を度外視していた側面はいなめません。


 宗春の場合は、倹約や増税でがんじがらめにされた民衆を豊かにするために、祭りや派手な衣装で民衆を喜ばせることで、活気を与えようとした。


その中で、宗春は真っ向から対立する規制緩和を断行した。

よほどの自信と強い信念がなければできることではない。

その信念とは、民衆の生活を豊かにすることに他ならない。


実際のところ、対立した、宗春との経済政策の成果の差を検証しておくことも無意味なことではないのかも。


宗春は再評価たるべき人間だと思います。

 

 

 

 

毎日ダメ新聞

64%という高支持率で発進した菅内閣がこの勢いを維持すれば、菅首相が早期の衆院解散・総選挙に踏み切る可能性も高まる。派閥の論理を優先させた組閣の顔ぶれには、衆院選に勝利して本格的な菅カラーの布陣にアップデートしたいとの思いもにじむ。

 その大前提として、菅首相は民意の分断疲れを癒やせるだろうか。菅首相は民意の「分断疲れ」を癒せるだろうか。毎日新聞世論調査室長・平田崇浩】9/23

 

 

この記事書いた人、世論調査に私的感情を挟み過ぎでは無いですか?
石破氏が菅総理に地方でも大敗したのは、石破氏の支持は、元々が自民党支持層からでは無かったのが原因では?主に野党を支持する反自民勢力が、より自分達に近い石破氏を支持していたと推測するのが分かりやすいと思います。また、菅総理が総裁選に出馬した事自体が想定外の人も多かったのでは。菅さんが出馬するなら菅さんが良い、と思った人も相当数いたのでは無いの。

国民に分断が有るとするならば、それを主導したのはメディアです。他人事のように書いていますが、自分達の思惑通りに世論をコントロールしようとしている事は、かなり見透かされてきていると言う事も、メディアは自覚したほうが。

 


分断という強いことばを使って対立が顕在化していたことを印象付けたいのは分かるが、果たして適当か。
与党を否定しない有権者の中での見解の違い、意見の相違程度のレベルではなかったか。
でなければこんな簡単に”融和”できなかったのでは。
対立を煽るようなワードを積極的に用いるのは、主要メディアとして適切なのだろうか。

 


メディアが造りだそうとした「石破は国民人気No.1!」というウソが、バレてしまった今、国民を騙し続けるのは、もう無理だと思う。

 


民意の分断疲れっていうが、民意とマスコミが分断しているだけ。
マスコミの意図する考え方が、民意には響いてない。


毎日新聞記者らしい記事。菅内閣高支持率をあたかも国民が疲れているから冷静な判断ができていないが如くの内容を書くとは。さらにマスゴミがミスリードした国民的人気が高いという石破をまだ何故敗れたのか不明のごとく擁護したり、立憲にも合流効果は表れている等の好印象を与えるかのような事を書いているがここまでして菅内閣を貶めたいのかと正直辟易するような記事だった。


民主主義国家なのだから、多種多様な言論・思想はあるのが当然。
それを政権批判に結び付けたい毎日が「分断」と主張しているだけ。


>分断に疲れた民意が「癒やし」を求めた結果ではないだろうか。


って、これは分断ではなくて、多くの国民がマスコミのフェイクニュースに騙されなくなっただけでしょうね。


なにも「親安倍」「反安倍」の分断で解釈することもないと思う。コロナ対応でマスコミが「アベノマスクだ!」「10万円給付ゴタゴタ!」と囃し立てれば、コロナ不況への不安とも相まって、支持率など下がるのが当たり前だ。それが辞任を表明した途端にハネ上がったのは、そこまでの不支持がコロナ対応へのその時点での不満の表明であり、総括評価はまた別モノだという証拠ではないか。

中間層はもともとそこまで思い入れがないんだから。

本当に「分断疲れ」なるものがあるとすれば、安倍政権の支持が退陣表明後に上がることはないし、安倍政治を継承すると公言している菅さんが、総裁選の最中から高支持率を得ることはない。


野党の支持率が低いのが気に入らないのだろうが、それは実力不足。毎日新聞が叱咤激励してまともな政党にしてあげて下さい。


分断を恣意的に助長する元々が自己反省の無い体質のマスコミに、まあそれを期待するのもおかしいか。


また、内閣の支持率ばかり取り上げるが
それに対抗すべき野党の支持率を見たら、実際には日本国民に深刻なまさか分断などというほどのことか。

石破さんがトップにならなくて良かったって思ってる人もかなり居ると思いますけど、私情を挟みすぎてる気がします。


結局のところ『反安倍』という言葉が全て。書いた本人気付いているかどうかわかりませんけど。

今までの毎日の社説、論調、知らないとでも思っているの。

森友学園の件を執拗に首相と結合させる、夫人の不品行を連日連夜報道したり非難する。

親安倍とか反安倍とかに区別して結局「分断疲れ」と結論づけている。
恐らく、マスコミ自身がそう区別して「つかれた」だけだろう。


癒しとは程遠いと思うよ。

即ち、情に流されない。


それを批判する気は無いけどね。


実務型と言われる人なら、理を重視するだろうし、厳しいのでは?菅さんのほうが。


しれっと民意の分断で片付けているけど、
それならマスコミの間での当初からの反安倍というのは無かったのかね。
本来なら不偏不党で、あらゆる情報を提示した上で結論は国民が下すべきなのに。
報道しない自由の行使で、国民の知る権利の阻害は無かったのか。
ジャパンライフでのマスコミ関係者の関与はほとんど触れず深掘りしない姿勢などは、ほんの一例だけどね。


凹凸はあるにせよ失われた20年の時よりはましだと言うのは事実ではないのか。

そのことに言及するマスコミは少ないが。


安倍政権ではできていなかったことに対して、菅政権に期待するという意味で支持率が上がっている点はあると思うが、

安倍継承路線を明確にしたというところに、安心しての支持という見方もある。

もともとが、二人三脚みたいなもので、それまでも歩まれてきている菅だ。

反安倍を煽ってたのは貴社や朝日、東京新聞ではないですか。何を他人事のように。ついには「反安倍」が基本で、それに疲れたから菅に向かったという勝手な持論を持ち出しましたか。お疲れなのは記者のあなたではないんですか。


記名ありの記事である点は堂々としていて評価はしたい一方で、何を持って「分断疲れ」と言っているのか意図する所がわかりにくいです。
自民党を分断して新たな政局をマスコミの力で生み出したかったが、それが適わずマスコミが疲れているのであれば理解はしますが。


安倍の支持率が最後で上がったのは病気で退陣だから可哀想という感情論だろう。論にもならないただの感情ともいえる。
 菅の支持率が高いというのも、支持率というよりも期待している率が高いということだ。

安倍政権が終わってくれた事に支持するって言う事の人もいるだろう。菅首相も自助 共助 公助って言って、真っ先に自分で何とかしてそれでダメならみんなで、それでもダメなら仕方ないから国がって言ってる時点でいずれ支持率は下がるだろう。公助を一番に言っていればまだ望みはあったが、どうなることやら。

全ての国民が納得する真の日本のリーダーって誰だろ。少なくとも今の全ての国会議員にはいない気がする。


分断を煽ったのはマスコミでしょう
親安倍、反安倍と言うが元々反安倍っていうのは共産党、立憲支持層で国民のせいぜい10~15%強くらいの勢力
ことさらマスコミはこのノイジーマイノリティをさも国民的な運動として取り上げ
世論を誘導させていった感は否めない

安倍政権は憲法改正、スパイ天国日本を変える為の特定秘密保護法案、NSC(国家安全保障会議)の創立、韓国に対する当たり前の対応(輸出優遇措置撤廃、募集工に対する毅然とした態度)など当たり前の国家としての対応を、戦後初めてと言っていいほどやってきた。


安倍政権のやってきた普通の国家としての政治は、正常国家に戻る為の意義ある一歩、意義あるパヨクとの分断だった。


「民意を分断させたがったが、もう疲れた」よなぁ毎日新聞さん。

学生時代は隣国の光州事件なんかを、

感傷的に

今はやりのリメイクもの、映画でいえば、

ムンジェイン支持者が熱中するような

ちょっと、現実より、いびつな妄想ものを

好んで見る世代だったのなのかな。

自分も同種の正義感を

抱いたこともあるが、反自民、反体制の学生気質の頃に

すでに信用できることもなく袂を、分かっていた。

 


個人的には、安倍さんは何かの強いイデオロギーに基づいて活動していたとは思わない。
もし、本当に集団的自衛権を必要と強く思っていたなら、妥協して憲法解釈ですまことなく、国論を2分してでも憲法改正を実施していたはず。
なんにしても、安倍さんが積極的に「分断」を助長したというのは違うな。
ただ、選挙に強いこと(野党が弱いこと)を背景に、法令等を都合よく解釈し慣例や手続きに丁寧さを欠いた、説明責任も充分果たさなかったという部分、桜の会・検察庁法改正に代表される不埒なことが嫌いな人には嫌われるのは当然だろう。
新型コロナの失政で支持率が落ちたわけだが、主体性がなく説明責任を果たさない安倍さんじゃこの難局は乗り越えられないと、国民から見透かされたんじゃないかな。
なぜ支持率が回復したのかについては、権力にしがみつくことなく自ら辞任すると判断したことが、潔いって評価されたって訳で。

支持率に一喜一憂しても。

仮に解散総選挙に打ってでたって、負けることはないだろう。野党なんかには勝たしゃしない。
はっきり言えば 選択支がないだけ
自民がいいとか?悪いとかではなく まともなの、自公しかないからで、それだけのこと

  

彦根城・花の生涯

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幕末の大老井伊直弼の生まれの地(彦根城敷地内)に。

 

大老銅像花の生涯舟橋聖一著作)の碑を。

尊皇攘夷を唱える多数の志士(活動家)や公卿らを粛清。(安政の大獄

水戸を退け、紀州藩主、徳川家茂を立て開国に対しては、孝明天皇の了解なしでアメリカとの修好通商条約を結んだんですね。

城内散策。

生家に。

その後、直弼は江戸城桜田門付近で水戸藩の浪士たちに暗殺されますが、日本が生き残る道は開国することだと早くから腹を決めていた当たりが、時の定めというか為政者の覚悟を感じさせる佇まいでした。