トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

食法餓鬼にならないように

右手にコーラン、左手に剣

それから、次に思い浮かべているのは_渋沢の言う論語算盤!右手に論語、左手にそろばんということになるだろうか。


 論語といえば孔子ということだけれど、
 主長するところは倫理という言葉に置き換えて受け取っている。


 道徳と経済の合一を唱えたのが渋沢栄一だ。

 日本資本主義の父。

 次に思い浮かべるのは日本人の倫理観を世界に解説しようとされた新渡戸稲造


 太平洋に架ける橋たらんと。

 平和を希求され、異文化理解の先導を。


 剣にまつわる言葉では

食法餓鬼にならないように、戒めとして

次の言葉を拝するようにしています。

つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣
  は信心のけなげなる人こそ用る事なれ


(登録済みの_というのがわかる)父の遺品のなかに軍刀が、

戦死した兄弟の形見

ということで、誰にいうでもなく、こういう文を書いてみることに。

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拘置所にタイムスリップ

都内巡りその跡地で今は別の建物が。春に訪れた場所。昨日見た夢の内容を思い起こしては考えている。夢の内容によっては自在に歴史を行き来しているわけだから、そういう意味ではタイムスリップだと自分なりに合点。時代は昭和でいえば9年10年11年、自分の生まれてもいない頃のこと。まるで演劇、戯曲の主人公を演ずるように日本にたどり着いた異国人の役を演じていた。ジョンソンという変名をもつ実のところは赤軍第4部から派遣されたコミュニストゾルゲに成り代わっているのだ。ドイツ人ジャーナリストという触れ込みで周囲からの信用も勝ち得てしまっている存在なのだ。そして、夢のなかで反芻するもう一人の自分は、冷静にそのジョンソンの胸中の内奥を想像しながら哲学しているのだ。場面は尋問と黙秘の日々にみずからピリオドを打った瞬間。その後の尋問官からの言葉「何か、言い残しておく事はあるかい?」しばしの沈黙。「在りません。」問い詰める相手のその眼は決して勝ち誇っているのではない。例えて云えばフルマラソンの最後の伴走者でもあったかのように。言い残す事はないとそう言ってはみたものの、心の中では思い起こすことはあったのだ。その一つはエリセーエフ君のことだ。年齢もそうだがジャポロニストという視点に立てば先輩格の彼。わたしが、日本に魅せられたという以前より日本を愛してもいただろう。バイクで三宅坂、神保町、事故ったとき、ベットで臥せっていたときに君の書かれていた新聞投稿にも目をとおしていた。帝政ロシアの貴族の子弟とコミュニストが異国日本で遇いまみえるなんて、なんとも不可思議なことかと。夢想している。評論を読み思考するうちにブルジョワの君のおぼろげだった人物造詣も修正され、鮮明になっていった。日露戦争がエリセーエフの日本、極東への関心の第一歩だったろうが、左翼思想に傾倒しはじめる時期のあった君のこともわかってきたのだ。その後君は主張する審美眼と宗教的観点から左翼思想とは一線を画していくのだが。自分は諜報の職務上、日本の指導者層からの君の噂も副産物のように耳にした。東北のズーズー弁まで理解してしまう変わった愛される外国人の君。留学生として優秀な成績で、明治天皇出席のもと銀時計組とともに最前列に。陛下にしても印象を強烈に残していたのだろう、陛下が君のことを詳しく周囲に尋ねられていたらしいことも聞いてしまった。帝政ロシアの庇護のもとに、それまでの自由な勉学の日々だった君。その君の教養に嫉妬する自分を確認していた。帝政崩壊後、彼はいまはどこに流浪しているだろうかと。できうれば忌憚なく語り合いたいとも思っていたのだ。しかし今は叶わぬこと。君の日本語で書かれた日記をひもといていた記憶にある6月2日の記述部分。ペトログラードの獄舎内のこと。「解放されるか銃殺されるか、両者のうち一つ。それですから私はできるだけ気が鬱(ふさ)がないようにして、いらざる心配をしない。午後の二時頃番人が来て件の男とが私を下の廊下に連れ出した、そこにはすでに十八人の囚人が立っていた。裏の小さい戸から出て下庭を通った、そこには一本の桜の木が咲いていた。それを見ると私は日本を思い出して、どうかもう一度日本の桜を見たいものだと考えた。」いままさにわたしの心境と同じだ。彼のように解き放たれるであろうかと。夢の内容は続いてさらに思い出す。思い残す二つ目のことだ。それは拘置所から、また別の拘置所に移送されるさなかに出逢った車中の日本人思想犯のことだ。治安維持法違反、不敬罪のかどで取り調べの長身の壮年で、同じ護送車内での少しばかりの短い会話のうちにも親しく感じた壮年。その罪状があまりにも不具合ではないかという印象をもった壮年のことだ。わたしのそれまでの習性からして相手の考えを読み解く作業に掛かる事は本能的なものだった。事業家でもあり、信仰人でもあるというその壮年の考えている事はそれは想像を超えてそれまでの範疇にあてはめようのないもののように思え残念する他なかったのだ。「あなたは、どういう罪で」その壮年からの問いかけもあった。あのときも今も日本的ファシズムの兆候は予想されていたし、日本の軍部と政界の動きは刻一刻と波瀾を含んできていた。だからわたしはおさらいでもするように越し方を振り返っていた。自ら志願して革命軍に、それから、戦士として、それから諜報の世界に引き立てられるようにして祖国の外の世界に至ったことを振り返っていた。ヨーロッパからアジア、太平洋問題にまで、私の収集した情報分析、それらが信頼され、とうとう風雲告げるこの極東の島国日本にまで来たのだ。わたしは送り込まれるべくして送り込まれたのだった。結局のところ、とうとう、日本官憲にみやぶられ捕らわれの身となってしまった。日本は社会主義には向かうことはないのは私の見方だけでなく、他のルートの諜報筋からだってそうだったろう。それでもそれに近い擬似社会主義、いわゆる歪な上からの国家社会主義への兆候は十分見て取れていたのだ。だから2・26事件はその興味を更に倍加するような衝撃だったのだ。自分はというとそのときはたやすくドイツの大使館にも居て刻々と入ってくる日独首脳層の収拾方の打ち合わせに耳を傾けていたのだ。そしてそれに対する情報分析を逐一ソビエト赤軍第4本部に送っていた。今後の平和はどうやって守られていくというのだろうか。それも今となってはせんないこと。護送車の壮年の呟きを思い出している「思想統制は宗教統制からはじまる。かつて聖徳太子も法華信者だったというのに、現下の日本は国家に強制されるようにして国家神道の道に統制されていく」その言からみても他の国粋主義的な法華主義者とはわたしは注意して見分けることの肝心さだけは気付いていたのだった。わたしのマークしていた新渡戸の近いところにあの壮年がいたなんて、見落としていた。あの壮年に、もう一度逢う事が叶うならそこらへんのことを深く聞いてみたいのにというのが心残りといえば心残りなのだ。私自身の聖徳太子びいきはそもそもそれ以前の奈良公園の散歩にはじまる。日本にきてこよなく日本の文化に魅せられてしまったのは正倉院の宝飾品の数々を観てからだ。そこにはペルシャ湾岸以西の影響と思われる文物も。ペルシャからむこうはわたしの祖父のバクーの地方。その後石油で潤う地。正倉院でのひとときはまさに遠い故郷の香りに出逢ったようでもあったのだ。そこに異文化を繋いでいく思想の萌芽を感じ始めていた。それからのわたしの思索は従来の思想は思想としてジャポロニストの側面を加えていったのだ。シルクロードを経由したこれらの文物、文化はすべて大乗仏教を敬う国王に庇護されるかたちで渡ってきただろうことが想像できてもいたのだ。だから、あのときの壮年の(聖徳太子も・・)という言葉には天啓にも似たような衝撃を得たのだった。国を束ねる意思。逞しく異文化を繋ぐ深い心。学ばなければならないことの多いことよと、しかし、わたしはいつか処刑されるかもしれないし、また外交取引で解き放たれるかもしれない。また、それにしたってその後の苦難もあるのだ。それ以前だって不安定な心持のうちに過してきた。革命政権のその後の内部でのかけひきやら、対立、粛清騒動が将来に影を宿していた。敵の敵は味方だとか、半端な史観が大手をふるってもきた。そんな人間を道具としか見ないような風潮にあきあきもしてきていたのだ。その反動でか日本女性に溺れたし、酒にも溺れた。最後の心残りは日本人の彼女のことだ。私の罪が彼女に及ばないことを願っている、彼女は自分の活動とは無関係なのだと。今は祈るのみだ。(無神論の君が祈るだと?そうさ、笑っておくれよ。)終。
 (これは風刺のつもりで描いたわけでなく、反面では畏敬の念を込めたつもりなのだが。)

ホテルから撮ったスカイツリーの夜景。

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遺影の中の愛犬

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ブログに載せるだって、そいじゃあ映りの良いのを選んでおくれよ。ワンちゃんの僕だって気にするのだ。それに額縁にいれて眺めてくれるのかい。なんで、そんなに見つめてくれるのさ。そんなら、なぜもっと生前に見つめてくれなかったのさ。どうでもいいけど、どうせ見つめられるなら、同性のご主人のほうでなくって、欲をいえば異性の奥さんのほうがいいんだけどなあ。この選ばれたワンショットの日のことも鮮明に覚えているよ。記憶が甦ってくる。休日の朝。僕が犬猫病院から退院してもどってきたんだったよね。その病院にかつぎこまれたのは、奥さんが僕の異変に気付いてのことだった。入院はしなくてよかったんだけれど、便秘で胃腸が大変な事になっていたんだよね。早く家に帰りたくってしかたなかった。新しい犬小屋も用意されている事を知ってから、無性に帰りたくてたまらなかったんだ。だから治療が終わって病院からも解放され車で送り迎えされ、自分の寝床にたどりついたときは大安心だった。だからそのときのワンショットは忘れていない。「責任がもてないから、犬なんて飼えない、反対だ。」そんな僕を飼い始める前のそう言ってたご主人の会話など知らない。でも、ご主人のほうがよく散歩につれてくれたっけ。犬猫病院のときは家族全員が僕の回復を祈ってくれていたし、色々心配もかけた。それに心配をかけたのは、それ以前だってあった。それは無断外泊した事件。(こいつ、自分を犬と思っていなくって、吠えることをしないんで、ちっとも番犬になってなくって用心、悪いんだぜ。)そのようなご主人と友人とのやりとりを聞いてしまった日のこと。僕は裏山にこっそり、ひとり駆け上がったんだ。自分は犬なんだと。彼らとは超えられない境界があることを突きつけられたショックでぼんやりとあたりの景色を眺めていた。このまま、どこかえ消えてしまおう。それが無断外泊事件の騒ぎに。あのときも心配をかけた。でも戻ってきてからは犬としてのプライドが許さなかったんだ。あのまんま役立たずなんて言われたくもないしね、だから僕は努力して吠える事もマスターした。それに人間界の特にご主人の思考パターンも理解したんだ。犬語で盛んに会話したんだけれど、それがどこまで、ご主人のほうに伝わっていたかは心もとないのだ。もどってきた時、ほおづりして、云ってくれた言葉を思い出す。ご主人いわく。猫でなくてそれは「我輩は犬である」という僕のことを素材にした一文を約束してくれたんだよな。それからの散歩の後のひととき。世の中も変化を求めだしていた頃。ご主人のそれからは報道番組のテレビを途中で切り上げ、なにやら本を手元において考える風であった。本のタイトルは確か「ライオンは眠れない」サミュエル・ライダーのもの。そのまえはというと「チーズはどこえ消えた」というやつ、あれには新味は感じなかった。あれが出たのは、たしか小泉さんが首相になる前。僕もご主人の横で斜め読み。ライオンは眠れないのほうがその後の小泉構造改革路線と近未来を予告していた。単に予兆を察知したら、早めに別のチーズをというよりは内容があった。だからだ。ご主人はその続編か、亜流の読み物としてひょっとしたら、僕のことをダシにでもするつもりだったのだろうか。僕としてはそうしてくれたほうが嬉しかったんだけれど、でもなにが忙しいのか生前には果たしてくれなかった。いろいろ寄り道して、本人オルテガがどうだとか、かぶれてるようだけれどオルテガは大衆の病理をこれでもかってみせつけるばかりだし、どう考えても貴族主義に立脚している。自分としても飼い主のことをこういっちゃなんだけれど、僕の目から見てもどうみても、貴族でなく庶民に違いないのだ。そのご主人の口からオルテガがどうのと出てくるんだから吹き出しそうになるのだ。ステテコのほうがお似合いといったところか。まあ衆愚のひとりとはいわないにしても、生活にあくせくしてる俗人のひとりに見える。深刻ぶったそんな人生のことより、それにとってかわるレジャーや娯楽が一杯で、まあ適度にそれらのことも楽しんでいる風にみえるご主人でもあるが。それでも、僕としてもご主人同様にオルテガに感銘するところはあるのだ。それは政治にあきあきして無関心になることは、白紙委任と言う形での選択をしてしまっているというそれだ。選択しない事によってすでにそういうことを選択してしまっているという愚。またそれに気付かない群集のことも、あちこちでオルテガは上手い具合に言い当てているところがあるのだ。それだけはいえるのだと。その伝でいえば自民党をぶっこわしてでもこの改革をと叫ぶリーダーもいたのに、その改革のホコ先はしりきれトンボで終わった民主党政権。大衆の判断のなせるところ。さらに進めるべきはどの部分で修正されるべきはどこだと云って進んでいくかにみえた道筋も劇場型だとの簡略フレーズのもとに両断され、いまでは二度とあの時代には戻りたくないと、そう思われてもしかたないような事態に。党をぶっ壊してもの気迫どころか、いの一番に党を壊さない事と政権を前政権にはわたさないことが誓われる内向きのリーダーの下にあの当時。生活第一って議員生活第一だったってこと?また、それってよくよくみつめるもなぜ震災復興、復旧は3項目目なんだよと、よく、嘆いたものだった。衆参与野党のねじれ現象がどうだと障害のように理由付けいうまえに民主党政権時、与党内の結束掌握さえあやしくなっていたのが真相じゃなかったのか。

離合集散の結果、党名は民進に変更ですか、女性党首はいいとして。

要は外交・防衛、教育・福祉・厚生いずれの面でもやはり、政策的には野党のままでいててもらったほうがという感じです。

 


 何党であれ、いい政治政策を掲げて実行してくれるのであればそれにこしたことはないのですが。
ワンちゃんの僕も飼い主のご主人の認識と共有したところは、下記のオルテガに対する理解でしょうか。

 


オルテガは警鐘を鳴らす3点。

▲「満足しきったお坊ちゃん」の時代
▲ 時代の高さはなにで測るのか

▲「専門主義」の野蛮性
 自由民主主義、工業化、大衆情報化社会の誕生を予見した十九世紀思想家オルテガ。大衆のもつ危うさに今日なお警鐘をならす書がオルテガの『大衆の反逆』だ。大衆は、ドイツのナチズム、イタリアのファシズムなどにみられるように、変質する。大衆操作 という落とし穴。そこには、大きな情報の受け手となる人々が、マス・メディアを通じて操作され動員され、つまり判断力を喪失した集合体(マス)として存在している場合だってある。本来は情報の理性的な受け手であり判断者であるはずの大衆が、無意識下のうちにいわば潜在的な波間に漂う群集となりうることを意味している。マルクス主義では、人民大衆こそが新たな社会の創造をになうのだとして、積極的なとらえ方がなされているが、オルテガの人間理解はむしろ懐疑的だ。近代合理主義の発展史観をこそ疑っているのだ。一見良いことだと思う社会の大衆化現象が、実はいろいろな危険をはらんでいると
彼がこの社会学の名著といわれる『大衆の反逆(La Rebelion de las Masas)』を書いたのは、いまから80年も前の1930年。大恐慌が起こった直後のこと。大衆化とはかつては少数のみの占有物であったものを大衆のものに開放される意味で良いことではある。が、そこにある、何を実現改善したらいいかわからないという衆愚の暴走の危険性のあることも喝破しているのだ。彼はデモクラシーと科学技術の落とし子である大衆を「波間に漂う人間」と称し、「過保護なお坊ちゃん」と見る。自分をとりまく高度で豊かな文明をあたかも空気のような自然物と錯覚し、文明を維持する緊張感を忘れ、不従順で自己閉鎖的な人間と化してしまっている場合すらあると心配している。
 彼は現代の大衆を文明社会の中に突然躍り出てきた「野蛮人」だとまで形容する。貴族は官僚にとってかわり、民主主義の装置も改善されつつあるが、大衆の本質は変わっていないと。そしてこの模範的な少数者の欠如と無知蒙昧な大衆の反逆(充満)が当時のヨーロッパの現実だと解釈しているのだ。(シュペングラーの指摘「西欧の没落」に相通ずる部分)そしてかれはこうした難破船状態からの脱出方法としては、 彼がどこまで仏教に関心があったのかはさっだかではないのですが、とくに釈迦の伝える所の利他という姿勢に着目していることが伺える点が興味深いなぁと。

ソーシャルメディアとどう付き合うか

新聞紙面のほうでは、子育て中の若いママさんが、泣き止まない子供をあやすためにスマホの動画アプリを利用する現在の御時世を問題視していた。
 笑えない問題でもある。こころとこころの触れ合いにそれはどうなのとの指摘もあるが、一笑に付してしまえない現実がある。
ネット上の仮想空間は手軽でもある。
 大人社会でもSNSスマホのアプリケーションを介したオンラインゲームに没頭しているという姿も散見されるという世の中。どこまでが適度な時間的使い方なのかは誰しも即答は難しいのではないだろうかと。
ただ言えることは読書や家族との絆がそれによって蝕まれたり、損なわれるようなことは避けたいというのが正直なところではなかろうかと思ってみたり。
 例えばいじめや不登校、恵まれない家庭環境などという生き辛い現実もないことはない。そこから、ネットへの依存を深めていったというケースも紹介されていた。もともとインターネットには、距離や言語の壁を超えてグローバルで多様な価値に触れることが出来るという優れた特質がある。


 例えば自己肯定感、自分の将来に対する明るい希望をそこから見出して現実を見つめ直すといういい方向にソーシャルメディアと付き合ってきた人たちもいる。

ただし、だからといって手放しで、その効用を宣揚する気にもなれない。
 現在はより巧みにソーシャルメディアを操る側と、無意識のうちにその食いものになりはてる側とに分かれる危険の淵にあるとも感ずることがある。
 「拡散」という機能において驚くべき威力を発揮するソーシャルメディア
だがそこに潜む危険性に、われわれはあまりにも無自覚ではないだろうかと。災害情報など、この拡散機能が大いに役立つ状況のあることは容易に想像できるが、真実のない風評や、プライバシーもふくめて、人を恐怖に陥れることも容易なのだという側面もあることを。
 芸能スキャンダル。口さがない人々の恰好のタネ。
ツイートし、リツイートする人々は決して悪意からではなく、多くの場合は無意識にあるいは大切なニュースを他の人にも伝えなければという使命感すらも持っていそうなシェア行為。
だが、悪い方向に向えば、人を孤立の淵にも持って行かせることのあることを。
ソーシャルネットワークは、今や非常に複雑なメディアのプラットフォームに変貌を遂げている。当初は、個々人が自分のメディアを手にすることができる利点が強調されていた。


だが、思い起こしたい。
 使い慣れてきたはずと思っていたら、テロリストの「イスラム国」の熟達したソーシャルメディアの方を見て感心してしまうようなおかしな逆転状況。
ショッキングな人質の残忍な殺害に対して対抗する手立てを尽くせなかったのだ。そのことを思い起こしたい。
 私たちの語る言葉の一つ一つで、テロリストの刃を封じてしまうような活用の仕方をしただろうか。
ソーシャルメディアとどう付き合うか。それこそ、そういう局面でこそ、人質を救出する方向へうまく利用できなかったのだろうかと悔やまれるのだ。

それどころかテロを生む背景に責任があるとか(タダ単に反米?)。極端なのは政権批判の種探しのこじ付けのようなものまで現れる始末。向こうの巧みな心理戦に乗じたようなナイーブなコメント記事にがっかりしたことを思い出す。

メディアリテラシーの判断力はどこへ。近視眼的執着から自由になることの大切さ。
ソーシャルメディアとどう付き合うか。尽きない課題ではあるなあと。
 

政治、文学、娯楽とソーシャルメディア

政治と文学を語ることの友人となると
 やはり
限られてくる。
そこで、例え
付き合いが浅かろうが、意見が一致することが
解ってくる人に出逢えば、
 百年来の知己に出逢えたような
気持ちにもなろうというもの。

しかし、そういう友は限られてくる。
それに、忙しい。
 自分自身も行動は家族中心の
予定になつて動いている。

 世相からいって語りあう課題は
 それぞれに有るのだろうけれど
誰しも、
 時と場所はわきまえて

当然のことながらおちつくところは
 なんの遠慮もいらない親しい

限られたところに。
あとはソーシャルメディア

 こんな感じだろうか。
 大事なことなんだけれど
 それにとって代わる娯楽や
一時的な享楽の誘惑が待ち受けている。
 天災人災被害等で

人生の淵に

立って、何が大事だつたかを
振り返っている人のほうが
 あるいは
真実に
近づいているのかもしれないなあと。


 

多用される反知性主義。

安倍首相のフットワークの良さ。

評価したい。


まずは、会って話をするところから人間関係が作られていくのだから。

下僕外交、顔色伺いに終始、とかいう野党の安部批判は当たらない。

すぐ会いに行くというのは自信のない国のやることという批判を言う人もいるが、

そうだろうか。

真剣に国益を考えればこその能動的姿勢ではないか。と評価します。

「どういう返事があったのかの説明が必要では」とか。蓮舫さん、はほざいていますが
外交音痴な追及が目立ちます。

交渉事はもっと後のこと。

 

 

リベラルという言葉、好きな人、多用する反知性主義

左翼系の大学教授らが安倍政権を反知性主義と呼んで批判していますが、反知性主義を単なる馬鹿と誤認した定義の悪用としか思えないだがなあ。


この本来の定義を、今回のアメリカ大統選、トランプ勝利の結果においてこそ、正しく使おう。エリート臭いのクリントンを打ち負かしたトランプ候補へ。
異論は承知の上、見せてくれた結果は、反知性主義者の勝利ではないのか、ということを。
これが、自分の感想なのだが。

エリート層に任せていたら、安心だった世も、安心じゃなくなってきた世界。

反エリート層の反乱。大なり、小なりのトランプ現象をいずれの国も抱えてくるだろうなあと。

哲学者オルテガの言葉を、今はかみしめている。
彼は、真のエリートだったのかもしれないなあと。

『大衆は賢明でもあるけれど、衆愚に陥りやすく、ときに卑劣でもある』との警鐘を。


大衆の怒りをエネルギーに替えて選挙戦をくぐり抜けてはきましたが、国民の亀裂を生んだだけの大統領選挙だったと
国民が振り返ることのないような未来にするためにも。


トランプ・安部の日米両首脳にグッドラック。

『五色の虹』&『虹色のトロツキー』


興味ある書評。(紙面クリック拡大)
 開高健ノンフィクション賞受賞作品、「五色の虹」。
 歴史の闇に消えた幻の大学で若者がつかもうとしたものはなんであったか。
 満州国立建国大学、スーパーエリートたちの夢とその後――「そこには・・・」

 著者の 三浦氏は2010年6月に東京で開かれた「最後の同窓会」取材などをきっかけに同窓会名簿を入手、
その後もコツコツと国内外に足を延ばした。中国、台湾、韓国、モンゴル、カザフスタン
同窓生約1400人のうち、もはや存命は300人ほど。
若くても90歳に届くということで、まさに時間との闘いの上にある貴重なノンフィクション作品といえます。

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  『五色の虹』
 出色の作品、三浦英之著。その話題となった詳細を記事の切り抜き掲載にしてアップしています。
満州建国大学は1937(昭和12)年、「満州国」の首都・新京(長春)に設立され、発案者は石原莞爾だという。
満州国の建国から5年後のこと。
全寮制で学費免除。日本人、中国人、朝鮮人、モンゴル人、白系ロシア人の優秀な若者を選抜し、
満州国の次代の指導者を養成するのが狙いだったといわれている。

 1期生は定員150人。応募者は約2万人。大変な倍率だった。
合格者は日本人65人、中国人59人、朝鮮人11人、モンゴル人7人、ロシア人5人、台湾人3人。

 

あわせて次の書も。
希望コミックス『虹色のトロツキー潮出版社

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 戦争と平和を考える、という意味では
 この作品を。古書をあたらないといけないかもしれませんが。

 日蒙混血の青年ウンボルトが主人公。
アニメのガンダムで名の知られた安彦良和さんの創作漫画ですが、タイトルに相違して
、違和感なく読み進められる内容となっています。

 

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【検索参考】
◆ 『五色の虹』集英社
◆ 『虹色のトロツキー潮出版社