トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

老婆心ながら③

老婆心ながら言っておこうかと、

そういう言葉を投げ掛けられた心象風景も

懐かしく。

厳しくも暖かい眼差し。

 

順送りなのか。

かつての親子関係が逆転するように。

そんなこともあったことを。

 

定年後、TV、マスコミの情報には

不自由しない親父だった。

 

あの時は帰省する度に親父がマスコミの影響を

受けて左傾化していないかと自分は心配していた。

PKO議論、日本の

政治の場で問われたとき、

息子が積極的

支持とは

ちょっと親父にとっては意外だったようで。

さかんに当時の否定的論客の

口真似を

聞かされもした。

もうあれから何年、

新しい

日本の国際貢献を期待している息子と

等分に

老婆心ながら、今は

マスコミの論調の相も変わらなさを

見つめている。

 

(ノー天気な安保法制反対とか、護憲だとかの意見は好きになれないけれど)爆笑問題太田光の政治的意見の嗜好は別にしても以前に番組でみた、異文化のるつぼ「東京都大久保」で多 国籍ワールドに大潜入!とかの探検バクモン SPECIAL番組は好んで見ていたなあと振り返る。

 

番組とは直接、重ならないとしても、国境の壁というものの本質を考えることもある。

 

韓国台湾、東南アジアの街並みかと見誤るほどの飲食店舗の乱立気味の大久保界隈。

 

国情の違いはそれぞれにあっても、人間の優劣があるわけでなし、それぞれに、幸せを求めて、地球に生きる人間なんだという視点。これを再確認させられることはないだろうか。

 

 

個人的な読書見聞、以前に経験してきたかつて自分にとって影響を受けた書、アジア・インタビュー(象の会)のこと、含めて

 

 

備忘録のつもりで記しておこうかと。

 

1964年、サイゴン生まれのベトナム男性。17歳(81年)のとき、ボートピープルとして脱出、3か月香港にいたあと日本へ。上智大学理工学部に。

南の軍人だった父は戦争終結後、再教育キャンプに送られる。『日本の学校では、僕、クラスのみんなの話についていけなかったですね。』と言っていた。

 

 

台北市生まれの台湾の女性。高校卒業後、台北のホテルのフロント係として勤務。宿泊客は日本人が多く、そのころから日本に興味が。

『将来は日台の貿易関係の仕事に就きたい。』と言っていた。

 

 

その他、『演劇の仕事を続けていきたいと思っています』とそれ以外のことは多くを語らずのソウル出身の女性。

 

 

 

1960年、ルアンブラバン生まれのラオスの女性。9歳のとき、父が亡くなり、10歳でビエンチャンへ。

貸家業と美容院を母が経営し、一家を支える。中国系の中学校を卒業後、アメリカンスクールに進んだが、75年の革命で閉鎖。

2年間、学校は行けず、3年目に、まず母がタイへ。79年に母を追って兄弟全員が出国。タイ、ノンカイのキャンプを経て来日。

来日後、ボランティアの人の紹介で、埼玉県戸田市の病院にヘルパーとして勤務。毎日、婦長さんから日本語の特訓を受け、国家資格を突破して、現在は正看護婦として勤務。

『今が一番幸せ』と言っていた。

 

 

 

957プノンペン南の村カンポット生まれのカンボジアの男性。父母は金細工の店を経営。9人兄弟の4番目。高校一年のとき、ポルポト政権によって家族はバラバラとなり、ベトナム軍が入ったあと再会するが、母のすすめにより、単身、タイを逃れ

カオダイキャンプ、チョブリンキャンプを経て824月来日、難民定住センターで、三か月過ごした後、栃木県の鉄工場、横浜のプリント基板会社などを経て、相模原市のプリント基板会社に勤務。その後結婚。

『戦争がなくて、自由があれば頑張れる』と言っていた。

 

 

家庭の事情で父の自動車整備工場を受け継いだミャンマービルマの男性、私費留学生として来日していた。『ビルマ人が外国で5人以上あつまることは禁止されていたことを想うと不思議な感じがします』と言っていた。

 

 

かつてはアジアからルックイーストと戦後発展の目指すべき象徴、憧れの目標のように目されていた日本も忘れられた30年と揶揄されるような低成長、国民からの低支持率の政権。厳しい経済情勢は避けられなくなってきている中。それでも、憲法の前文にもあるように、国際社会の中で名誉ある地位を日本には占めてもらいたいものではある。

 

 

あえて、わざわざ、日本人ファーストだなんて、トランプ大統領を真似るような自国第一主義、青筋たてて、主張しなければならなくなってきているのも、情け無いもの、もうちょっとはそれまでのスタンス、実現向けての貢献とか、実績語られる中であれば、多少の傾聴すべき、余地もあろうものなのに、全ては、極端なとんがった感情にまかせての主張。それも、どうなの、ヘイト発言を公然と。

今回の参議院選挙最中に、見聞きしてしまうのも後味の悪いものでした。

差別発言、党首としての資質、疑います。質問されても、切り取りだなどと、言い逃れていく、その姿も、見苦しく、支持する側にとっては、そのような事はどうってこともないのでしょう。党拡大のエネルギーに利用できるならとでも踏んでいるのでしょうか?

 

行き場を無くした保守派が自民党から参政党に移っているとかの分析も。ふふふふふふふ。そうですか?本当にそうなら、本来の保守派も、みくびられたもの。保守派のそもそもの定義から疑わなければならなくもなる。

 

安倍派の安倍支持していた人もその内の多数だとかの解釈。それも、ちと、安易な感慨。

自分の見立てとも違う。意識高い系が安倍支持者だったはず。

 

参政党の、掲げる憲法試案、読んで見たけれど、支持者ですら、こんな理解かと思えるような、その執行部では安達なんとかいう人の説明、疑問すら抱かず、満足気に口真似よろしく語り出す国民。

 

まるで、大日本国帝国憲法に逆戻りの程。

信教の自由、思想信条の自由、結社の自由、表現の自由、試案の、条文の中には何一つとて、書き込まれてはいない。書き込まれていなくとも、これらは、すでに、自然法として、周知されているのでその必要は感じなかったとかの説明。

益々の不審抱かざるを得なくもなる。ふふふふふ、支持者にとっちゃあ、心配の種でもなんでもないんでしょう。歴史の流れの中で勝ち取ってきた、大切な条文の価値ですら、そのようなとらまえかたですから、そのような、対応、基本法への向き合い方ですから、人権、大切な判断の出てきた時の判断、委ねなければならなくなった時を

想像しても、決して、その判断は、委ねたくも無い政治家連中になるのではと、そのような感じを抱きながらの創憲とかの呼び名で呼ばれている参政党憲法試案でした。まぁ、支持してる有権者のほうでは、直近のテーマでもなく問題でも無いんでしょうね、とにかくSNS通じての、参加、結集の醍醐味を楽しんでいける風なというか一種イベントの打ち上げ、開放感のほうが、優っている感覚。ふふふふふ。これも、否定できない。まあ、全ては、政権政党、与党側からの身から出た錆。その部分もまた、否定はできない訳で。負のスパイラルは、如何ともし難く。っていうところか、今は、首相の動静見守る他はないでしょうね。

 

 

下手な談話なんか、出してほしくも無い。戦後80年

靖国、参るも参らないも、他国から言われる筋合いもなし。

粛々と、それぞれに自由なはず。

本来は、アメリカでいうアーリントンに花手向けるのと同じ。

それ、言えばいいのに。

 

向こうの、海の外から眺める国民だって、

いちいちそんなこと関心もないところ。

ただただ、日本の反日マスコミの垂れ流し情報も休む事なく、

いわば、聴きたくも無い、記念日とやらに決まりセリフのように謝罪と未来志向なる提言。

 

自虐ネタかと、思えるような高齢者を狙ったような詐欺と経済的弱者への差別的眼線。

格差社会がどうのこうの、騒がしい。

欲の皮の突っ張ったような投資に、目をくらませたような賭け。元々が自己責任、当たり前のことを、誘惑に乗って、甘い汁、搾り取られても懲りることのない、こころ貧しい人々はいるもので、お互いの嫉妬と足の引っ張り合いに戦々恐々。

分断と責任のなすり付け合い

見せつけられる周囲の国々。

そっちが、いうのならこっちもと、

卵が先か、ニワトリが先かの

勇ましさ。ふふふふふ。

犯罪集団のネットワーク。互いの国がやめてよねコール

グローバル化はテンポも、早く。

深みのある、議論よりかは

安易な

劇場型、苛烈なものが好まれてしまっていく。残念な流れ。ふふふふふ。これも!笑っちゃう。

 

多少の清涼感感じた記事といえば

民主活動家、知る人ぞ知るのウーアールカイシーと安倍昭恵さんの対談だった。ツーショットは一福の絵画にも等しく