トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

もう、すでに二回戦の票読みなんでしょうけど。

久方のあの人、総裁選に苦言。「いまの候補者がた、たくさん次から次に出ていらっしゃるけど、まあなんか勘違いしてるっていうか」「与野党ともに。ふざけてますよ」《田中真紀子さん。不満顔。小泉進次郎氏の総理就任に反対の意を明言》真紀子さん、なんか、イチモツありそう。純一郎パパとの怨念。スカートかつて踏まれたから?笑い。それ、恨みに引きずってんの?ライドシェアくらいはできるかもしれないけど。ですか?言いたいこと。進次郎好きなんだけどなあー。だったら、誰がいいと思ってるのよ。「私は1人いると思うが」 「そのあとの方たちは使い物にならない」とバッサリ、真紀子節。

一人以外って、もったい付けて。「あの方は賢いし経験もあるし、育ちもいいし。ここまで自民党の中でいじめ抜かれて、参議院で」司会の宮根誠司に「もう言うてますやん」とツッコまれた。あーん、林芳正官房長官。おっしゃる通りかも。真紀子は好きくないけど、候補者選び、言われる中では、冷静な判断かもと、そこだけは同感します。立憲民主の吉田晴美さんも、立憲なんか飛び出して、このレース、加われば面白いのに。まあ、出来得ないこと言っても仕方ないこと。ちょっと、あの、政党の緊張感のなさにも飽きてきてるはず。あのましな、野田佳彦さんもそういう改革マインドでいたはずなのに、いまでは、そこに居心地よく、馴染んでしまっている。これら、今の緊張感のない、選挙の本当の洗礼を浴びていない、自民党若手議員のような連中もいることだし、トレードなんか面白い。あるわけないけどね。バンドワゴン現象で議席を得た連中。風だより、時の何とか旋風。時の風が、安倍人気だったのか、政権交代の文字だったかだけの違い。何かにあやかって得た自分の立場も忘れて、ひとかど、政務に、党務に注文つけ出して、最近の岸田首相不人気に選挙の表紙を替えてくれだのと、支持率低下に怯えずきだす。笑っちゃう。片や正味、中身もない立憲議員のほうはおおかたは、さも、これで、こちらに政権があたかも回ってくるがごとくに、立憲の代表選を値打ちつけ出すしまつ。日本のトップリーダーをひょっとしたら選ぶ代表選なんですから。ここぞとアピール。それは別に間違ってはいませんけど。ふふふふふ。

 

メディアでは、リクルート事件の頃と比較して、自民党の石破議員などは、義憤をもって決起したことを敢えてメディアで懐古し始める。後ろから、味方に弾を打ち出しすと揶揄されるのはこの事だ。有権者の気を引き出すと、あたかも、それが、受けたかのように錯覚して、自己承認欲求からの抑えられない快感なのだろう。次々と一般党員票なる、前評判に気を良くして、それまで煮え切らなくて言を左右にしてた総裁選に食指。出馬をやっとこさ表明し出す。

政策も、時の政権から、距離を置き過ぎていたせいか、なんか、波に乗り遅れ感の漂うこと喋り出す。アジア版のNATOの構想等々、喋りだす。屋上屋の意識はないのか、安全保障、先の安保法制、脇において、いくら主要閣僚から遠ざけられていたとはいえ、それ、理論上と現実の乖離、埋めるが為に、今の落とし所に落ち着いたという意味での現在の安保法がある。

立憲議員のほうはおおかた評論家に毛がはえたもので、与党から出された法案には、イチャモンはつけるが、行き着くところは、欠陥法案という決まり文句を投げつけ、さも、これで、こちらに政権があたかも回ってくるがごとくに、論戦での、殺し文句の用意に余念がない。戦争法案との決めつけ。そのエネルギーが対案作りに労されば有権者も救われるのだが、聞かされた有権者のほうも、戦争がそんなに欲されて、真っ向取り組まれたとも本音のところでは、思えていない。

敵失の収支不記載問題は願ってもないチャンスとばかり、立憲の代表選を値打ちつけ出すしまつ。今は野党だけれども、日本のリーダーをひょっとしたら選ぶ代表選になるかもしれないんです。声高にアピールは別に間違ってはいませんが、政権がさも、転がり込んでくるかの如くに、はしゃぎ回るにおいては、なんか、違うんだなーと、つぶやいてしまう。だって、あれだけ、安保法制の時、批判しておきながら、今はダンマリ決め込んで、振り返ってみれば、この安保法制が敷かれていることで、少しく日本の安心が保たれている心持ち。そんな中でその頃と違って、足らざることは付け加えようの議論は、期待されようが、これを、根っこから批判しようとするような動きもない。口はばったいのか、立憲民主のそれへの、自己検証らしき動きもなければ、それらの過去を忘れたかのように、スルーすること決め込んで、テーマとするのは、今は軍拡増税。あなたたちの納めている税金は、福祉には回りません、バターから、鉄炮、庶民には、我慢、軍事産業より、国民の生活守れ。ワンフレーズ政治に、悦に入り出す方向へと。

今時、そんな、二項対立の極論、鵜呑みにするほど、有権者も馬鹿でもないとは思うんだけれど、一定のそれに、共感する層はあるようで、なかなか、それは、やめられないんだろう、政権側を、攻める切り口として、なかなか、カードとして、降ろしてしまうことはない。旨みも感じているのでしょう。

 

それらの事象見渡してみても、日本に必要なのは、型にハマった保守でなく、なんと言ったらよいのか、イデオロギーとかとは距離を置いたカタチの現実主義的な保守が必要だなと思ってしまう。

 

自民党若手議員のようなバンドワゴン現象で議席を得た連中はもういい。風だより、時の何とかチルドレン。時の風が、安倍人気だったのか、政権交代の世論の声だったかの違い。何かにあやかって得た自分の立場も忘れて、ひとかど、政務に、党務に注文つけ出す始末の議員ももういい。選挙の表紙を替えてくれだと。偉そうに。支持率低下に怖気付く議員も、いらない。自分が何か地域の声を吸い上げて、政策に反映させてきたという実績があるわけでなし。笑っちゃう。もっとも自信ある連中ないわけでもないでしょうが、正味、中身もない若手議員の過大な幻想に、地バタを這いつくばって党務、政務に尽くしてきた中堅議員からすると、派閥論理解消だのとの世論をまに受けて、「人がど」の人士気取りで、疑心暗鬼のさもしいメディア受けポーズを決め込んで、選挙基盤の弱い連中の一角から崩れ始める。次の止まり木を探索でもするように、派閥解消どころか、おもてでは解消発言してる割には反比例して、隣の芝生は青く見えるの如くお金を回してくれそうな、他派閥に関心を示しだして右顧左眄。そのようにも見えてしまうのだ。

大将倒れてしまっても、それまで、それらを差配していた役割りの人いるはずなのに、知らないと。誰も言を左右にして、明らかにしようとせず。かと言って、鍛錬の場であった派閥とそれまでの長短をわきまえてたはずの時の首相も、長老に首根っこ掴まれてしまっているのか、自身での決断という点においては、もう一つで。その煮え切らなさという点においては、最終、結果においては政権を組んでいた、連立相手の政党から政治資金規制法案試案を突きつけられて、結果丸呑みしなければならなくなるはめに。総裁の長が首相であってみれば、ケジメつけるべきが自ずと分かろうというもの。

時間を労し過ぎてしまって、テンポよくはいかなかった。

自民党党員でもない自分がいうのもなんだけど、

総裁選候補の小林候補の言葉が政治家でもない与党ファンにとっては慰みでもあった。

安倍派が避けられる中でも、「彼ら一人一人は、優秀でもあるので、共に、汗を掛ける仲間でもあるのだから」と、二階派若手にしては、殊勝な擁護する発言。安倍晋三の遺伝子は自派閥には引き継がれなかったにしろ、コレは多少の救い。

だからといって、コバホークにというわけにもいかない。この人、結構、推薦人、元安倍派に押されてもいるからなんだろう。ケジメとしては、党の先の処分済んだ事で、前に進みたい。発言、正直過ぎて、有権者、それで良しと思う人ばかりでもない。それは反感買ってしまう要素にもなりかねない。実際は彼のような親は普通の、サラリーマン家庭で政治を目指そうとしたら、寄付金集め、パーティ開催して、人集めてが元々の金持ちでない限りは、欠かせない、その要素があるのが

今回の政治とカネの問題。

真っ正直に答えるのもいいが、一番練れた発言していた、この政治とカネを、テーマとした、討論。軍配は、というと各候補の中では、やはり、林芳正か、高市。だろう。

高市はメディアで右派とみなされ、リベラル陣営からは、よく電波法とか、有事法制絡みで批判されている。NHKにねじ込んだ等々の疑念。記者質問で橋本五郎さんから突っ込まれてはいたが、コレ、誤解がありまくり。自分なんかは、高市擁護します。だからといって、ちょっと、総裁選に本命という訳にもいかない。なんとなれば、自分に言わせれば観念保守という見立て。どうしても、そう、見てしまう。推薦人に加わっているお名前、ざっと目につくところ、杉田水脈(敬称略)が気になるところ、西田昌司とか、古屋圭司(無派閥)はいいよ。自分なりの感想。それ以外、なんとかチルドレン多くない?三ツ林裕巳関芳弘高鳥修一山田宏、谷川とむ、鈴木淳司佐藤啓、堀井巌、赤池誠章若林健太、推薦人の面々、見てる限り。心情左派も嫌いだけど、心情右派も嫌いなわけで、高市氏は嫌いじゃないけど、そこらへん勘案すれば、解散後過半数制しきれなかった場合は、首相、林芳正のほうが良さそう。安定感は、率いる取り巻きメンバー、チームで判断しています。親中とかのレッテル貼を如何に払拭。日中関係考えたら日米につうじてる人肝要。他候補でいえばアメリカとの関係でネゴシエーターとしても信頼感ある茂木もいいかも。

部外者ながら。