前川氏に“踊らされる”毎日新聞、「第三の加計疑惑」と化す統一教会報道がなぜ的外れなのか
追及すべき本当の「行政問題」とは何か
旧統一教会を巡る報道、かつての「加計疑惑」報道との類似点? 感じてしまうよね.報道の流れを作った「前川発言」に見る不透明な行政運営こそ問題点 なのでは?
文科省に見る「古き既得権保護行政への逆行」が浮き彫りになっていく。
旧統一教会を巡る報道はどんどんおかしな方向に向かっていくが、とりわけ呆れ返ったのがやはり毎日新聞。
記事によれば、前川氏は宗務課長(宗教法人担当)を務めた1997年頃、当時の統一教会の名称変更申請を拒んだそうだ。「『教会の実態が変わっていないのだから、申請は認められない』と言って、受理をせずに水際で止めた」という。
毎日新聞はこれが正しい行政対応だったとの前提で、政治の力で歪められた「疑惑」を報じているが、もし記事のとおりならば、前川氏の対応こそが違法行為だという主張も一方にある。自分の受け止めもどちらかというとそっちだ。
本件、もし前川氏が法令違反を犯すほど強い危機感を持って「名称変更を認めたら霊感商法など社会的問題が拡大しかねない」と考えていたならば、少なくとも同時に、宗教法人法改正(名称変更を拒む理由の追加)を提案して何としても実現せねばならなかったんじやなかろうか。責任からいって。関係機関と連携して霊感商法などの取締を徹底強化したはずだ。
ところが、実際にはそんな宗教法人法改正はなされなかった。文科省のイニシャティブで取締強化が図られた形跡もない。
前川元次官「辞表を叩きつけてNOと言えなかった悔いはある」発言もしている。なんだ。この発言。以前からの受け止め方。
文部科学省の事務次官だった前川喜平氏の、発言。どうしても注目を集めてしまう、
《1997年に僕が文化庁宗務課長だったとき、統一教会が名称変更を求めて来た。実体が変わらないのに、名称を変えることはできない、と言って断った》マジか?ホントに。
前川氏は、2020年12月に自身のTwitterでこうつぶやいている。「私が宗務課長になったのは1997年。前年の1996年に、オウム真理教事件の反省の上に、宗教法人法の改正がありました。それまで野放しだったものを、もう少し注意深く対応しようという姿勢に転じたのです。全国的に展開している宗教法人については、都道府県知事の管轄だったものを文部大臣の管轄に変更して、一定の書類を毎年、出してもらうことになりました。その直後に、私が宗務課長になったわけです。
統一教会の名称変更の要請については、部下が私に報告をしてきたので、その段階で、『実体が変わっていないのに名称だけ変えるという規則変更はできない』という理由で、断ったんです。申請を受けて却下したのではなく、申請そのものを受理しませんでした。我々の気持ちとしては、『ここで認証してしまったら、文部省(当時)が社会的な非難を浴びる』という気持ちがありました。すでに1990年代に、統一教会の問題は知れ渡っていましたからね。
もともと統一教会というのは、正体を隠して活動する性質があり、本体の名前を変えてしまうというのは、究極的な『正体隠し』になってしまう。当時、全国霊感商法対策弁護士連絡会も、文化庁に名称変更を認めないでくれと要望していました」
「2015年のときは、宗務課長が私のところに事前に説明に来ているんです。私は当時、文部科学審議官。どの役所にも、国土交通審議官とか経済産業審議官とか、省の名前の付いた審議官がいるんですが、『省名審議官』は事務次官と同格か、あるいは事務次官に次ぐポストです。
文部科学省では旧文部省出身者と旧科学技術庁出身者が、互い違いに事務次官になっていたわけですが、当時の事務次官は科学技術庁出身者。宗務課長が私のところに説明に来たということは、私が事実上の『文部事務次官』だったからです。
宗務課長が説明に来たときに、私は『NO』と言いました。名称変更は認めるべきではない、と。ただ、裏には何か政治的な圧力があるとは思っていました。私は『NO』と言ったけど、結局、認証されてしまった。私よりも上には、事務次官と大臣しかいないわけです。私は、(認証された理由は)大臣の意向が働いたことは間違いないと思っています。当時の下村博文・文部科学大臣がゴーサインを出しているのは間違いない。これは確信しています。
それに対して『NO』とは言ったけど、『認められません』と言って、辞表を叩きつけるまではやらなかった。私が認めないと言っても、結果は変わらなかったでしょうけどね。まあ、力不足というか……。抵抗しきれなかった悔いは残っていますよ」(前川氏)
もう、いいわけのオンパレードですよね。
そして、あちこちで対談ですか?
天下りというか、天上がりの指摘されて後の
メディア露出作戦。
受けてもない取材までも、事細かに内幕話。
政治と宗教 この国を動かしているものは何か、コレ対談のタイトル.ですか。対談相手は前川喜平×島田裕巳 。
ふむふむ。人々の、関心は巻きつくところではある。しかし、片方の顔があの、前川となるとどこか、ハスに構えて、聞く気になれるものでもない。
法律はどうなっているかを。
まず、宗教法人法上、名称変更の申請があったとき、一定の形式要件を満たしていれば「認証しなければならない」とされている。
「申請不受理」は昭和の時代は当たり前になされていたが、1993年に行政手続法が定められ、申請は受理しなければならないことになっている。
まぁそれがわかっていて「受理しない」との対処を考えていたのであろうか?
最初の、記事に戻る。
記事によれば、前川氏は宗務課長(宗教法人担当)を務めた1997年頃、当時の統一教会の名称変更申請を拒んだ。「『教会の実態が変わっていないのだから、申請は認められない』と言って、受理をせずに水際で止めた」という。
法治ではなく、人知でもあるかのような。前川氏に見る不透明な行政運営。
逆に結果受理されたのは大きな力が働いた結果だと?発言もされている。
弱みのあること、この上なく、統一教会問題
世間の脚光浴びる予感から、先手打ってきたという感の方が強い自身の受け止め方。いいわけがましく感じてしまう。自身の内心と願った結果は違った行政結果だと言い訳言ったところでそれも、誉められたもんでもない。対処の、仕方はそれなりにあったはず。前川の立場からしたら。それに、そこまでの危機意識あるなら。全てが後付け。おかし過ぎます。その言い訳。
経過は、前川の、いうとおりなのかどうなのか。
対決、あの時スルーされてしまった決着は見てみたいものではある。今でも。
政治の力で歪められたと言っていたのが実は
報道の通りでなかったように、また、「第二の加計」みたいにならないとも限らない。
前川の言うように.統一教会には、一刻も早く解散命令出されるべきだとは確かに思うが、それだけで問題は解決されないでしょう。
数十の、関連団体は地下に潜られてしまわれないように。
その実態も把握されていなければ、易々と、化粧し直しされて潜ってしまわれるのも時間の問題かとも。