トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

希望名人

ウクライナ戦争とか、日本国内のパーティ券巡る、政治資金収支未記載問題とか、報道見てると暗くなり、草枕に登場する詩人の心情にもなる。とにかく、今当面の課題と当面の平安を大事に。憂いもほどほどに。この漱石が捉えた葛藤心理も一面の真実であろう。敢えて言わしてもらうなら、あくまで一面。特に現代はSNSの普及で人付き合いが密接になったり、見ず知らずの人から誹謗中傷されたり、いいねの数を気にしたり、幸せそうな他人と自分を比較したりと、昔より色々と便利にもなったけど、常に人から見られているようで、何かと生きにくい。
そういう他人と競っても自己満足にしかならないのに、無駄に見栄を張って対抗するから疲れてしまう。ということも聞く、だから、人間関係とか全てリセットして、たまには旅行してみたりと。それも確かに言い得て妙の、山から降りて来たシーンのつぶやき。だから現代人にも共感される草枕の冒頭の一説。智に働けば角が立つ。情に棹せば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角にこの世は住みにくいとなる。そこでもう一人、透徹した眼力で祖国日本と日本人の国民性と将来をみて、考えを持っていた人に朝河貫一という人がいたことを振り返る。振り返れば、夏目漱石の小説、草枕の詩人の、冒頭の言葉と引き比べてしまってみることも多いのだ。どちらも真実を捉えているが、敢えていえば、朝河の言葉は希望名人。漱石草枕にでてくる詩人は絶望名人。まぁ、捨てたものでもない諦観。冷静さ。しかし朝河の捉える真実は、それとも違って、もっと.皮膚感覚で捉えている。彼の妻は、異国で見染めた人。ミリアムという名前の女性。戦前戦中を挟んでの日米関係の変化もある。ましてや、隠れることもできない、束の間の避暑地に楽しむといった時代の雰囲気でもない。いずれかの街に越していって一時的にしろ紛争を忘れることもない。

 

思い出す、身近な身辺では、普段会えなかった集いで気安く、政治の話題。機微に触れることも知らなかった。国柄違えど、あとのまつり。散々、日中関係で相手の中国をくさしまくった後、相手の先輩の娘さんのこと。縁あって中国の方に嫁がせていた事実を、初めて明かされて知る。

 

自分は、一知半解の知識で簡単に語ってしまう門で、聞かされる側の心中、あだやおろそかでなかったはず。国と国の関係は、当事者なれば、それ相応の悲しみ、苦しみ、味わっても来ていたはず。そこのところを、笑顔でニコニコと不満も表さずに聞いてもらっていたことを余計に反省も込め、記している。

昨今のアンビバレントな隣国に対する感情。

愛した以上に憎さもないことはないのだが、常に、平和というのは、戦争と戦争の合間なんだという歴史の皮膚感覚での認識。その差の違いを悟らされる。

希望名人のゲーテ。絶望名人のカフカ。あえて記してみようかと、

 

希望名人の朝河貫一、絶望名人の草枕。いずれも真実の一面。

 

朝河貫一については、TV番組のキッカケなければ、自分は知る由もなかったのだが。 bs番組「海を渡ったサムライ」。「朝河桜」の満開時機にあわせてナビゲーターのヴァイオリニスト・高嶋ちさ子さんがその故郷の訪問から始まる内容。これを機に、努めて関係する、新聞誌面とか、ニュースには、気に留めていた。東日本大震災福島県。朝河の故郷ということもあって何かとその後もとりあげられ、紹介されている場面にも遭遇、リモコンチャンネルを合わせてもいた。「自分の気分を他人におしつける勿れ」「自分の長所を他人にてらうなかれ」「他人が自分をどのように思うとも、気にすることなかれ」朝河自身の生涯のテーマは「精進」であった。「ゆるむ心をひき直し 吹き入る塵をはらひのけ」「つばさのかぎり翔り往なば」と精進を重ねた朝河の生涯。総じて日本人の「ココロの革命」その必要性というところにたどり着くといったところか。「余は実に自己が凡夫なることを自覚するに過去二十三年を費せり」と渡米前に友人に語り、後に日本語で書かれた祖国・日本への警告の書『日本の禍機』を出版し、戦争へと突き進む日本外交の背信と愛国教育を批判し、日独伊三国同盟の敗北を予言し、アメリカ政府の要人に働きかけ、フランクリン・ルーズベルト大統領から昭和天皇への親書を送ることで戦争を回避しようとし、194874歳でこの世を去られている。夏目漱石は智に働けば角が立つ。情に棹せば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角にこの世は住みにくい。住みにくいからって、違う世界へ行くわけにもいかない。人間らしさを失って、かえって人でなしばかりのところへ行ったってつらいばかりだ。余計に住みにくくなる。困難なところへわざわざ行くこともない。世の中ってのはそんなものだ。と作品で主人公に語らせていたが、

この世には困難で辛いことが多いけど、人間らしさ、つまり自分らしさを失ってはいけない。時代は違えど、人が生きる上での悩みや苦痛、葛藤や生きづらさなどの根本は変わらないのかもしれない。そう思うと昔の人たちも同じことで悩んでたんだな〜自分だけが抱えていた悩みではないんだなーと元気がもらえる。って言う感想も多く聞く。今は、より、その感覚も理解しているが、より踏み込んで、朝河貫一の希望名人の名言に心寄せるようにしている。

検索キーワード、BS朝日『海を渡ったサムライ 朝河貫一 日本に警鐘を鳴らした真の国際人』20086月放映。

 

学位論文『大化改新の研究』

チェック記事・台湾海峡緊張

台湾離島沖で中国漁船が転覆、2人死亡 中台が共同救難

毎日新聞
2024/3/14 
台湾の海巡署(海上保安庁に相当)によると、中国福建省に近い台湾の離島・金門島沖で14日早朝、中国漁船が転覆する事故があった。中台双方の公船が救難活動にあたったが、乗組員6人のうち2人が死亡し、2人が行方不明となっている。同島周辺では2月14日に台湾公船の追跡を受けた中国漁船が転覆して2人が死亡する事故が発生。台湾の対応を批判する中国側が、台湾が進入を禁じた海域に公船を入らせるなど、緊張が高まった経緯がある。海巡署などによると、14日午前6時(日本時間同午前7時)ごろ、金門島の南にある東碇島沖約2キロの海上福建省の漁民らが乗る漁船が転覆したとの連絡が中国海難当局からあった。台湾側は公船4隻を派遣し、中国公船6隻や救難機と共同で救難活動にあたった。台湾陸軍に所属するダイバーらも加わっている。転覆事故は、台湾当局が設定した「禁止・制限区域」の中で起きた。同区域は許可を得ていない中国船の進入が禁じられ、事実上の領海・接続水域に相当する。台湾紙・聯合報は漁船が違法操業していた疑いがあると報じた。2月の事故では、禁止・制限区域内で操業していた中国漁船が、検査に応じるよう求めた海巡署公船と接触して転覆した。乗組員4人が救助され、うち2人が死亡した。台湾側は適切な対応だったと主張したが、中国側は台湾による粗暴な取り締まりが事故の背景にあると批判し、公船による金門島周辺でのパトロールを強化すると表明。台湾の設定した禁止・制限区域に公船を進入させたり、航行中の台湾の観光船を検査したりして、「台湾海峡の現状変更を試みている」との懸念を台湾で広める結果となった。海巡署を管轄する台湾の海洋委員会の管碧玲主任委員(閣僚)は今回の事故について、中国側としっかりとコミュニケーションを取り、協力して救難活動を進めていると強調し、中国公船は禁止・制限区域内には入らないなど秩序を守っていると話した。中国と2月の事故についても協議を続けており、緊張が過度に高まるのは避けたい考えとみられる。

 

政倫審・世耕

ふむふむ。ありそうでもある。「二階さんは周囲に『(政治資金について)何か問題あるのか』と声を荒らげていて、政倫審に出ろと言われたら出てくる可能性が高かった。政策活動費から出した約3500万円の書籍代についても、内訳を公表した。『いくらでも説明してやる』という意思表示でした」(二階派関係者)

 説明責任を果たすことは、政治家として当然の義務だが、岸田首相からすれば困ったことになる。

 「裏金や政策活動費は、選挙や野党対策、飲み代などにも使われており、生々しい話はいくらでも出てくる。派閥解散後、二階さんのもとからは人が離れ始めている。この際、巻き返しのためにすべてをぶちまけて自民党をぶっ壊し、かわいがっている小池百合子都知事を総理にする道筋を作る、なんてこともしかねないと警戒されている」(二階番記者)

 自分の窮地ですら武器に変えてしまう二階氏の辣腕は健在のようだ。

ふむふむ。自民党の裏金問題をめぐり、開かれることになった衆議院政治倫理審査会。野党は、政治資金収支報告書への不記載があった51人全員の出席を要求していた。これに対し、自民党は、“派閥の事務総長経験者”に絞り込むことで、幕引きをはかった。安倍派の塩谷立文部科学大臣松野博一官房長官西村康稔経済産業大臣、高木毅前国会対策委員長と、二階派武田良太総務大臣の合わせて5人だ。これが、前半戦。とにかく二階氏の出席は避けたかったというのが自民党の本音のようだ。

面白記事のタイトル。麻生太郎「絶対にダメだ!大変なことになるぞ」...自民党が裏ガネ問題で「必死の二階隠し」の真相。笑っちゃう。自民党が裏金国会で必死の「二階隠し」ホントですか?

 「二階さんを出さないと収まりがつかないのでは」 岸田文雄首相は差し向かいで食事をする麻生太郎自民党副総裁にこう持ちかけたという。すると、麻生氏は形相を変え、岸田首相を制したのだった。フムフムフム。多少出来過ぎな内容。

だけれども、後半戦の、世耕議員の弁明も弁明になってはいない。14日の政倫審受け「説明責任尽くされたかは国民が判断」岸田総理、引き続き説明責任果たすよう強調 。岸田首相にしても、また、火の玉になってと言ってたわりには促す、引き続き、促すというここにきてもその程度。まあ、検察が入って捜査がすんで、その後に不起訴で、政治資金収支報告の修正もなされた後の政倫審だからなのか。なんか鷹揚な構えに見えてきてしょうがない。
野党の蓮舫の追及よりかは、連立与党の竹谷とし子からの追及、本質ついている。

野党時代のX投稿を公明議員が追及。世耕弘成・前自民党参院幹事長はパーティー券収入のキックバック(還流)について「秘書に任せていたので知らなかった」などと、あいまいな説明に終始した。これに対し、公明党議員は過去のX(ツイッター)での投稿を取り上げて矛盾を追及。連立政権を組む与党から「ブーメラン」が飛んできた形だ。世耕氏は自民党が野党だった2010年1月、当時民主党の幹事長だった小沢一郎氏の資金管理団体を巡る政治資金規正法違反事件に関連し、Xで「私の事務所は初当選以来、1円単位できちんと記帳しています」とアピール。2月には「収支報告時には、貴重な限られた時間を犠牲にして、担当秘書にひとつひとつ質問しながらじっくりと確認した上で書類を提出している」と投稿した。この日の政倫審で、公明党竹谷とし子氏はこれらの投稿を引用。「(収支報告時の確認を)途中でやめたということか」と問い詰めた。

 これに対し、世耕氏は「それは今も続けている。(還流されたパーティー券収入が)帳簿に出てこなかったということだ。私の管理監督不行き届きに尽きる」と答えるしかなかった。自民党安倍派「5人衆」の一人、世耕弘成・前参院幹事長は前の記者会見と結局はその内容から、それ以上に明らかになることはなかった。安倍派の政治資金パーティー裏金事件を巡る自身の政治資金収支報告書不記載について「秘書が私に報告しないまま、政治資金収支報告書の簿外で管理していた還付金について受領していたことを把握することは残念ながらできませんでした」と釈明。その上で「私の管理監督が不十分だったという指摘は否定できない」と監督責任を強調し、「国民の皆様の政治不信を招き、関係者に多大なご迷惑をおかけしていることについて、心からおわびを申し上げたい」と陳謝。

 5年間の不記載額は1542万円だったと説明。2012年に安倍内閣官房副長官に就任して以降、経済産業相参院自民幹事長など「大変責任が重く、多忙な役職に就きつづけた」ため政治資金管理は「秘書に任せきりの状況」だったとした。法的問題を防ぐため、外部の法律事務所に収支の確認を受けていたものの「簿外の管理だったため、法律事務所のチェックに引っかかることもなかった」とした。

ただし、竹谷とし子の質問からのやり取りの中で2012年以降、重要役職につきはじめて、多忙になって、すべてお金の事は秘書に任せきりでと釈明する中で、一つの齟齬も引きだしていた。というのは若いころはノルマに届かない状況で、そのような意識もなかったが役職が上がるにつれて、ノルマも上げっていくということの認識も語られ、それでは、還付金の戻ってくるのか、そういう確認の気持ちを抱くのが普通ではないかと問われて、一度は多忙の中、秘書に問い正して、「大丈夫です、いけてます」と返事ももらっているという弁明があって、還付金制度を認識しだした時期は、10年前に遡ることも告白していて、実際、還付金の入金があったという事態を、今回の事件報道から始めて知って、秘書に帳簿を改めさしたというが、領収書を突き合わせて、不記載額の1542万円の詳細がつまびらかに証明、弁明されたわけでもなかったのだが、還付金システムのハッキリした始まりは明確ではなかったにしても、還付制度は理解していたという事実。その証拠に一連の問題にタッチもしていないし、それ以降、話の場にも呼ばれていないというが
世耕氏は22年8月5日に派閥幹部の協議に出席したと認めた上で、「ノルマをオーバーして(販売して)しまった人が結構出ているから、どうしようかという意見交換の場だった」と説明。出席者から具体的な案も出たが、その場で還流継続が決まったわけではないとの認識を。それがハキハキと述べられるほどにかえって疑惑が深まるというアンビバレンツイな印象に。

カルチャー.パワーポリティクス雑感

アニメ界の宮崎駿が政治家麻生太郎に批判的発言しているのは、知らないわけでもない。

漫画好きを公言されるのも、よろしくは感じていないのだろう。この点においては、自分は麻生に同情する。好きなものを好きと、あちこちで、語ろうとも別にかまわないではないか。麻生に軍配挙げる自分。それに関して、周囲の違和感の反応もないわけではないのだが。別の件では、批判的な視点で、「このジジイ、やるねー」と笑ってしまったりしている。褒め方、持ち上げ方麻生流。分からない人、批判したくてたまらない人に掛かればやはり、マスコミ側の書き振りではそうなるのだろうなと。変に得心して笑ってしまっている。

政治の話になるが、思い出す。かつてのガルージン大使の発言の軽さ。

ロシアにウクライナを占領する意図はないと約束してから、以下のことが起こっていることからも。よくよく、注意してみている。

国際社会は、ロシアのウクライナに対する理不尽で違法な戦争非難で一致団結している。プーチンの代弁者たち―それが駐日ロシア大使であろうと、また世界のどこかで別の役割を果たしていようと―これ以上嘘を流布することは決して許されない。ロシア軍は子どもを含む6000人以上のウクライナ市民を殺害した。ロシア政府は数百カ所の病院、学校、教会を爆撃した。ロシア軍は、ウクライナ市民に対して、拷問、身体の切断、性的暴行を行い、住まいを略奪した。ウクライナ4州を違法に併合しようとするプーチンの試みに対して世界の大多数の国が拒絶した。何十万人ものロシアの優秀な人材が国外へと脱出している。ロシアのウクライナ侵攻は、ロシアも署名している国連憲章への違反行為だ。日本を去ったガルージン大使がこれに対して抗弁すらできなかった。語られたことは決して誠実で事実に合致するものでもなかった。あくまでも、プーチンの世界観を信ずるプロパガンダでしかなかった。ロシア大使の世界観もそうであるが、それ以前に日本を去った中国の程永華にしても習近平プロパガンダでしかなかった。ガルージンも、程永華にしても、日本には造詣深いと言っても、母国への過ちを警告できるほどの起立した哲学あるわけでもない。日本が産んだ偉人の一人、朝河貫一に比較して及ぶべくもなく、両者は、劣るなと批判したところで、公務上の立場からしても、両名が首肯するわけでもないのだが。

 

ロシアの反政権派指導者ナワリヌイ氏が死去、G7も「憤り」表明。ロシア国内で新たな拘束も。のニュース。

ロシアが変わるには、幾人かのナワリヌイが生まれなければならないだろう。中国はどうか。囚われの身だった民主活動家、 劉暁波(りゅう・ぎょうは)氏はすでに数年前に亡くなって久しいが言論統制厳しくなる中国が本当に変わるには数万の劉暁波が生まれなければ決して変わることがないだろう。

そしてウクライナ戦争、ガザ危機も含めて、昨今の国連の機能不全は、日本を含むアジアの平和、安全保障においても、影響なしとは言えない。20188月の刊行のフィクションノベル。読み終える。

北朝鮮による核攻撃に関する特別委員会。この最終調査報告書という形をとったシュミレーション小説。執筆時点までの事実は著者が長年核戦略の研究をしているアメリカ人というだけあってリアリティあった。マティスが国防長官のままで、ポンペオは国務長官をクビになっているところは、予測が外れていた。北朝鮮の核攻撃を受けたアメリカの被爆者の声として、広島・長崎の被爆者の声を引用しているのも印象的。小説のなかで北朝鮮が核ミサイルを発射する引き金となったのは、前近代的なレーダーしかもたない北朝鮮軍が、誤って韓国の民間機を撃墜したという設定だ。

文在寅はその事態に直面し、セウォル号事件の朴槿恵のように対応が遅れては自分もヤバくなると判断し、なんでもいいからやらなければと決断する。そこで平壌金正恩の邸宅を通常弾頭ミサイルで報復攻撃するのだ。もちろん金正恩がいないことを知っていてだ。

避難先の金正恩は携帯電話網が輻輳しているということに気づかず、敵の情報遮断攻撃が始まったと夢想して核ミサイルをバンバン撃つというストーリーだ。まったく権力者の判断稚拙だがありうる事が。最初の小さな判断ミスの積み重なり。そこから引き起こされるトランプ政権内のドタバタこそが本書の目玉だ。

世間では「もしトラ」続いてやって来る未来。

トランプのこと、ミソくそにいう人もいるし、その心情、分からないわけでもないが、批判してりゃ済むという問題でもない。拮抗して、それだけの支持もされている限りは、その内在的論理に、深く思いを致さなければ、物事、真の意味で理解したとは言えないだろう。

 

それぞれの底の浅い思い込みと基本的な能力不足、不毛な政治的ポジションが大惨事を引き起こすという小説のストーリー。著者のジェフリー・ルイスは核不拡散と地政学の専門家。金正恩の核ミサイルで攻撃されたのはソウル、釜山、東京、ニューヨークなどで、合計280万人が死亡したという設定で、物語が始まっていく。2020年、米朝核戦争。幸いにもこの時には、起こらなかった。しかしながら、この先、決して起こらないとも限らない。緊張の火種は、すでに国際社会が抱えている。抱えてしまっているこれらの危機を他人事と捉えるか、そうでないかの違いだけなのだ。読了後に物足りなさと不満の残るのは、日本の首相の登場もなければ、朝鮮半島以外に、共産中国政権内の詳しい著述が乏しかったところだろう。その点では、ボルトン回顧録の、ノンフィクション本のほうがさすがに読み応えあった。安倍晋三首相の裏面での振る舞いと発言。やっぱり、事実が検証もされ、リーダーシップのあったことの証のそれぞれの記述ページ。その後の日本の存在感は、今はどうなのか。それぞれの、見方はあるもののフルネームで呼ばれもしない今の岸田の人気のなさ。自分のこと棚に上げて、人のことは安易に一刀両断していく風潮。専門家外の人を巻き込んでの機微な外交問題論じまくる、報道とはかけ離れたバラエティ番組のそれは所為なのか。政治には.不祥事も相まって、当然ながら冷ややかなのは致し方ないのかも。クールジャパン、日本アニメの先見性、旗振り役だった政治家も、ここ最近の、本人への評価は本人以上に辛口のもの多し。ウヒャヒヤヒヤひや。