トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

プレイバック・拉致問題

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国連でのトランプ発言から、

国際社会からの関心度をアップさせたことは間違いのないところ。

今後の拉致問題の解決の道筋はいかに。

ふりかえる過去画像を加えておきます。

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第177回国会 衆議院 予算委員会 第24号
平成二十三年七月六日(水曜日)

 

 

菅内閣総理大臣 先ほども申し上げましたように、今回の松本前復興大臣の発言なりが被災地の皆さんに対して大変不快なといいましょうか反発を買うような発言であったことについては、
私からもおわびを申し上げたいと思います。
 と同時に、松本大臣は、三月十一日以来、防災大臣という立場、先ほど専任の大臣を早く置けばよかったではないかと言われましたけれども、
閣僚の数が十七名と限定のある中では、防災大臣に実質的にはその最大の役目をお願いしてきて、
復旧に当たっていただいてきたわけであります。その段階でも何度となく現地に入り、
各自治体の皆さんとも信頼関係を築いてこられた方でありまして、その仕事の延長上にということも含めて、
興大臣をお願いしたわけであります。結果として辞任ということになったことは、最終的には、
私がお願いをしたわけでありますから、私に選んだ責任があることはそのとおりであります。
 しかし、それにかわって平野新大臣に就任をしていただきまして、これまで松本大臣とも連携してやってこられた平野大臣、
多くのことを現地の出身でもありますのでしっかりと取り組んでいただける、
これまで以上に物事が迅速に進むことを期待いたしております。
○石原(伸)委員 任命責任についての御言及がありませんでした。
人のせいにする総理大臣であることが非常によくわかりました。
 最後に、総理御自身の政治団体についてお伺いをさせていただきたいと思います。
 総理の政治資金管理団体草志会というんですか、政権交代をめざす市民の会という政治団体に対しまして、
平成十九年から二十一年の三年間に合計六千二百五十万円もの献金をしています
特に、平成十九年は五千万円もの大金を献金しています。
 実は、この団体は、MPD・平和と民主運動という市民運動や、
議会政治に浸透しております極左過激派団体により平成八年に結成された市民の党から派生して設立されております。
この市民の党は、北朝鮮による日本人拉致とも関係が取りざたされている団体であります。
 また、平成十九年には、覚えていらっしゃると思いますが、統一地方選挙参議院選挙も施行されています。
これらの選挙と多額の政治献金との関係についてもさまざまな疑問が持たれております。
 そのような献金を行ったことは事実なのか、また、そのような多額の献金を行った理由を、総理、お答え願いたいと思います。
菅内閣総理大臣 私の政治資金の流れはすべて正式に届け出をいたしております。
その中で表現されていることはそのとおり事実であります。
○石原(伸)委員 理由をお答えになりませんでした。時間の関係で、この質問は参議院等々でさらに深めていきたいと思っております。
パネルを出してください。これも昨日、郡山市内の小学校で撮影したものであります。
御存じのとおり、校庭の土から放射能が検出されたために、表面の土を削って、生徒たちが安心して校庭に出られるようにと、
市長さんたち、PTAの皆さん方が地元の建設業協会にお願いをして、表土を取って山になっているわけであります。
削った土は、実はマイクロシーベルトでいうと三十とか四十とかその程度のもので、
校庭のところにあったときは三とか六とか小さいものなんですけれども、
固めたことによって実は放射線濃度が高まってしまっておりますが、写真を見ていただいてもわかりますように、
ブルーシートをかけて放置されております。
 この問題につきましては、我が党の西村さんですか、質問をしていただきました。
これも私が写真を撮ってきて質問をしてもらったものなんですが、
実は、五月の連休のすぐ後だったと思いますのでかれこれ二カ月たっていますけれども、
現地はこのままであります。私は、高木文科大臣にもお願いを申し上げましたし、岡田幹事長にも、
この問題は垣根を越えてやってくださいという話をさせていただきましたが、現状はこのようなままであります。
 被災地がこのような現状であるということを総理はどうお考えになられるんでしょうか。総理を支える閣僚の皆さんも、
やらなきゃいけない、執行部であります岡田幹事長も、それはやらなければいけないと言っていましたけれども、
現実はこのままであります。総理を本気で支えようとする人は、実はもう民主党の中、内閣にもいないのではないか。
まさに裸の王様であります。
 総理が今の座にしがみつく限り政治空白は長期化いたします。
早期の震災復旧のため、復興のため、日本の国益のためにも、総理、一刻も早く退陣をされ、
新しい体制で、二カ月も放置されているような、こんなことだけはやめにしましょうよ。
最後に、いつおやめになられるのか、答弁を求め、質問を終わらせていただきたいと思います。


http://kokkai.ndl.go.jp/

 

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2011.7.21 増元照明参考人の答弁を訝しそうにきく菅直人総理大臣 - YouTube

綾小路きみまろ~林住期

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中高年のハートをつかんで離さない綾小路きみまろは、漫談テクニックを マツコに伝授していた。そのちょっと前には別の番組ファミリーヒストリーにも出ていた。
中高年の笑いをとる綾小路きみまろ。努力の人に違いない。
この中高年の今を考えてみた場合、笑いの大切さと共に、人生80年時代といわれてくる昨今。健康のこともそうだけれど、大切な家族という視点にも気づかされることがある。

新聞広告でみる林住期という言葉にも反応する自分ではあるが、五木寛之みたいな、さりとて親鸞に傾倒するでもなし、好きでもなし。
ただ古代インドの教えである人生を4分割して、時々の生き方、節目を説いているところから少しく感じるものはそのとうりだなと。
一人前になるためにいろいろと学ぶ期間である「学生(がくしょう)期」。次に、一家の主として妻子を養い、社会的な仕事をなす期間である「家住(かじゅう)期」。それから(ここからが、きわめてインド的なのであるが)、出家して精神的な修行生活に入る「林住(りんじゅう)期」。
そして最後に、それら一切を越えた境地である「遊行(ゆぎょう)期」と、人生における4つの節目がおおまかに。

この考え方から言っても、もし人生を80年とすると、だいたい20歳頃までが学生期、40歳頃までが家住期、60歳頃までが林住期、そこから先が遊行期ということになるでしょうね。

綾小路きみまろさんのファミリーヒストリーで語られていた言葉を思い浮かべてみる。確かなことは、このような感じ。
「玉の一つも当たらないで、怪我もしないで、生き残ってきて、そして南方に行く予定が行かなくなって、おやじがまたそこに残って、私たちが生まれたという、この事実を、すごい小さなことかもしれませんけど、今、私からすると、今そのことはものすごい大きな出来事だと思いますね。
だから、そういう意味では、今、本当に生かされているんだなと思いましたね。これも親父がすべてルーツであって、そういうベースがあって、一人でこういうふうになったんじゃないということを感じましたね。」
キーワードは

感謝のこころかなと。

大切な点


シリーズで過去の印象に残しているマルシア「ブラジルにかけた夢」や高橋恵子「北の大地での壮絶な格闘」もそうだけれど、ルー大柴高橋克典
みつかりませんでした。
みつかったもの
ピックアップしておきます。

ファミリーヒストリー 宮川大輔 11月12日 - Dailymotion動画

 

「アンコール 浅野忠信~祖父はなぜ、アメリカに帰ったのか」 2012.10.29 - Dailymotion動画

 

 

「武蔵(格闘家)~800年前に遡る武士の家・激動の歴史~」2012.11.26 - Dailymotion動画

 

くるり-Remmber me / Quruli-Remember me - YouTube

 

 

追記

 

「家住期」において迷いのなかった人は「林住期」のような要素が少しでも多く入ってくればそれはとても幸せなことでしょうし、それはそれで天職としても感謝して受け入れられればいいでしょうね。また、「林住期」においても「家住期」のような要素を負って生きねばならないこともあるでしょうが、それはそれでやむをえないこともあるのかもしれません。

耐え忍んで、泣きたい思いを噛みしめながら生きる場合だってないこともない。そういう意味で「家住期」の要素として非本来的な生き方でなかったとしても、「林住期」の部分があわさっているなら強くなれるでしょうね。現実は林住期になっても家住期の側面はあわさって続いていくって感じでしょうか。

 

游行期になると、皆が皆、味わえるってわけでもなし、ボランティアにいそしむかのような游行ったって、そんなの兼ねて、それ以前にそういう精神で来た人だけが、その道に分け入っていけるっていうもんでしょうね。

 

 

与党に評価と注文

野党第一党民進党からは、

大義の無い「自己保身の解散だ」という批判の声が上がっているけれど、
確かに、回復傾向にある内閣支持率

民進党からの離党者の続出、

そして新党の準備不足というタイミングで、「今なら傷は最小限ですむ」という考えが安倍晋三首相の頭をよぎったとしても不思議ではないところでしょう。
解散総選挙がどのような思惑・タイミングで行われようとも、

選挙は有権者にとって、

これまでの政権運営と政策に対して

評価・判断を下す重要な機会でもあるはず。
衆議院議員の場合なら、そこらへんの感、常在戦場の気概の人もなかには。
野党が安倍首相に対し「伝家の宝刀の抜き方が卑怯だ」と

いくら批判しても、国民のためにはならないし、
むしろ、これを機会に、安倍政権がこれまで進めてきた、またこれから進めようとしている外交・安全保障政策、経済・財政政策、社会保障政策などに対して

論理的な批判と対案(選択肢)を示し、政策論争を深めるべきではないのかと。
そのほうが、国民の利益につながるだけでなく、野党・新党自らの存在意義を示すことにもなるでしょうね。

あれだけ、政権を倒すって叫んでいたんだから、選挙こそ、好機到来というかというとそうでもない。
過去のしがらみや利害を云々言うなら、

看板を議員の都合で書き換えたり、
それまでの支持者の心情を忖度すれば、

新しく立ち上げる党には失礼かもしれないが、支持者でもない自分は

勝手ながらそれまでの民進支持者に御同情するばかり。
希望の党」入党、受け入れの政策了解の第一ハードルは、先の安保法賛成が条件に。
方や、その時点で別の会場のマイクの前の映像はというと、民進党前原、安保法案撤回させて、白紙から出発などと意気盛んにしゃべっている。
なんなの、この合流って。TV画面みていた人、思うだろう。
合流の言葉、当時者同士は避けていても、実質、これじゃぁ、野合のそしりは免れないんじゃない。
「説明責任」求めてた立場のお方が、一番にその説明責任を求められている。
民進党議員、最後まで、可笑しなことをやってくれますね。
安保法制の考え方なら、小池さんと、近しい考え方は安部さんじゃなかったの。すでに、安倍首相のもとで、以前に防衛大臣を務めておられる。
それから、希望の党にはイメージより、政策を。
政権選択の選挙で、看板だけで、中身のわからないところとは比較しようもない。
それから、安倍政権を選択するにしても
安倍政権への注文と評価とだけを列記しておきます。
 安倍政権は沖縄県と対立しているが、このままではいつまで経っても解決しない。
 安倍政権はアメリカの新政権と、東アジアの大きな変化を踏まえて、いま一度在日米軍の展開の仕方を含めた協議を緊密化させたほうがいい。
 今後、先を見越して、東アジア全体でどういう世界をつくっていくか、日本の役割は何か、そんなグランド・ストラテジー(大戦略)をもつことが重要なんじゃないの。
2050年、日本は人口が現在より3000万人減ると予測されている。しかも、3人に1人が高齢者だ。それだけ国力が弱った中で、安全に暮らしていく環境をどうつくっていくか。
それに中国を力で牽制するだけでは十分ではない。北朝鮮問題も日米はもちろん
中国、韓国などとともに、外交で安全なレジームをつくることが重要だ。安全保障環境の改善を外交で活路を開けるか、政権の真価が問われてくるでしょう。
あとは、これまでの評価を少々。
覚えている当初の国際的イメージ(特には日米関係では)、あのとき靖国参拝の件。
 当初、アメリカからは安倍首相については「アベは復古主義だと聞いているし、アジアの安定を妨げる存在ではないか」「アメリカと付き合えるのか」と
 ワシントン側の懸念の目で見ていた雰囲気も。
それは安倍首相が突然、靖国神社に参拝した時点で頂点に。米高官が靖国参拝を自重するよう発言した直後だった。
 
アメリカは、「安倍首相の日本」をアジアでのオバマ政権のパートナーとすべきか迷っていたふしもあったかのような識者の解説も。

でも、振り返って外交では日本の存在感は。
今が一番あるような感じがしています。

 決定的だったのは、翌2015年4月の米連邦議会両院会議での安倍首相の演説かなあ、印象としては。識者もいうとおり。
 日米ともに多数の犠牲者を出した硫黄島真珠湾を引き合いに出し、「深い悔悟を胸に黙祷を捧げた」と先の大戦を深く反省する演説を行った。自分もyoutubeで日をおかず視聴していた。
8月の戦後70周年「安倍談話」の内容もきわめて穏当なものという評価。
 日本が今後とも平和国家として歩んでいくことを強くアピールした内容。こうして安倍首相が米国の信頼を勝ち得たからだろうか、昨年5月オバマ大統領広島訪問が実現。
私は東京裁判史観には立たないといっていた、安倍首相のイメージは極めて、現実主義的なふるまいに変わってきていた。
ロシア、中国との対応でもそれは貫かれている。それに、安倍首相は一貫して「力による現状変更」は認めないと主張し続けてきた。
 日本は武力衝突を避けねばならないため、「関与と抑止」で接していくしかない。対話と圧力の両輪。対話のためだけの対話では意味がない。
中露とどう折り合いをつけていくか。ロシアとは北方領土のために対話を続ける。
クリミア併合で国際社会の中で孤立しつつあるとき、安倍首相はあえてソチにプーチン大統領を訪れ、膝詰めの会談をした。
詳しくはわからないんだけれど、大国勢との絶妙な距離感を保ちつつ、巧みに日本の国益を増大させているのは自由な墓参訪問に見て取れる。
慰安婦問題での日韓合意もそう。あの合意の概略は韓国が、不可逆的ということを飲んだのだった。結果をだしている。その後の相手の政権がそれを
どう順守するかも、見守り続け、求め続けている点は評価していいんじゃないだろうか。
 戦後70年、2015年8月の「安倍談話」。
はやくから、日取りだけは発表されていた、「談話発表」のスケジュール。
 注目を向けさせるのも外交の手腕の一つなのでしょうか。
 自著でも東京裁判史観をよしとしない文面から、歴史修正主義というレッテルをいただきながらも親米主義の身のこなし。結果として、その他、豪州オーストラリア、インド、アジア外交でも同様の柔軟性をもたらしている。
安倍首相の頭には、アメリカ、中国、ロシアの3大国の間で日本がどうやって生き延びるか、という戦略がはっきりとあるのでしょう。
 
アメリカのトランプ大統領、日本に予定変わらなければ、来るんでしょう。その時に、首相が変わりましたいうような状態、あんまり、想像したくもありません。
ここは、安倍さんに益々、頑張っていただくしかないでしょう。

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NHKスペシャル「総書記_残された声」

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天安門事件のきっかけは胡耀邦の死である。鄧小平は、天安門事件後の講話で、胡耀邦日中友好政策や国内の思想教育が事件の要因との認識を示し、民族教育と愛国教育を強化する方向に導いてしまう。またその後の中国共産党指導部に「親日的政策はひとつのリスクになりうる」という刷り込みとして後々まで残す事となった。以降、反日を利用した国威向上などを繰り返す結果となり今日まで至っている。番組ナレから。

 

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頭の片隅に残しておきたい胡耀邦の発言の一部を紹介されていたので、記しておきます。

 

「我々が開放政策を実行しなければ、日本人と長期的友好的に付き合うことを重んじなければ、世界各国と付き合うことを重んじなければ、国の進路を誤ることになってしまう。」

 

愛国心の行き過ぎを日本も中国も防がなければなりません。」

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それから番組では胡耀邦の肉声が主題ですから、テーマ的には
いかに、日本との付き合いが中国の将来と世界にとって必要かを
考えていた政治家であるかがわかります。
番組での印象操作を感じる部分、分祀なんか、胡耀邦は言ってはいないと思うんだけれど。

nhkの場合民放よりは少ないんだけれど、はやりその部分だけは疑問符です。

「(分祀は)できます。簡単にできます。政権とったら、すぐやります」なんて、いい加減なことを言う保守政治家もいますけど。

宗教法人宗教法人としての意思でやることならいいでしょうけれど、

国が勝手に宗教に介入するなんてことは、してはいけないことでしょう。戦前は靖國は国が給与はらって保護してたかしりませんけれど、

戦前と違って、今は靖国は一宗教法人になったはず。

クリスチャンの大平さんも靖国に参っていたらしいけど、
自分の信じる宗教じゃないからといって拒む政治家がいてもいいような気がします。
それぞれの自分の信じる宗教で、死を悼み不戦を誓い平和を願う。

それが、純粋な政教分離でしょうね。
番組での靖国問題を前後しての胡耀邦の失脚。
A級戦犯分祀すれば、合祀する前のように、総理大臣や天皇の参拝も
問題にならなくなるという考え」そのものが、事実誤認のような気がします。
A級戦犯」を合祀した後も我が国の首相は靖国に参拝していたし、そして、何ら外交問題
ならなかった。

今回の発見された秘蔵記録を見る限り、参拝問題前後しても互いの国情の変化に左右されながらも、途絶えることのない絆を感じさせてくれました。
庶民レベルでの絆。または、特異なともいえる、政治リーダー同士の、例えば、中曽根当時首相と、総書記胡耀邦
もちろんあちらの共産党内部の権力闘争に翻弄されていくという要素は
否定できませんが、
はたして、政治問題化させたのは対する中共政権の側だけだったろうかと。


そういう問いも自身にはあるのですが。
日本の左翼(社会党共産党)や左翼メディアが、首相の靖国公式参拝」を政治問題化し、中共政権を煽り立てたんじゃなかったのかという側面。
そこには踏み込んではいませんでしたね。

「戦後政治の総決算」を掲げ、ロナルド・レーガン米大統領
(当時)との個人的な親密さ(「ロン・ヤス」関係)を背景に、「日本は不沈空母である」などと発言したことでもって、新聞記事もそうですが、
当時の左翼が、中曽根内閣に強い過剰反応をしめしていたのを眺めておられる人は多くいるのでは。

その結果、戦後一貫して何の問題にもならず、「A級戦犯」合祀後も変わらなかった我が国首相の靖国参拝

抑制されていく流れはちゃんとおさえていましたよね。

A級戦犯分祀すれば、合祀する前のように、総理大臣や天皇の参拝も
問題にならなくなるという考え、この途中ではさまれてくるわけですが。

そんな解決法って、誰も信じないでしょう。

あたかも、胡耀邦が望んだような、番組では、検証されてはいなかった部分。

あたかも、胡耀邦のサジェスト・ヒントでもあるかのように。
その部分は生のインタビューではなかったですよね。

前述したように、「A級戦犯」を合祀した後も我が国の首相は靖国に参拝していたし、そして、何ら外交問題にも、
なっていなかったのにですよ。
A級戦犯分祀すれば、合祀する前のように、総理大臣や天皇の参拝も
問題にならなくなるという考え」そのものが、もう甘い気がします。
分祀したら、関係改善、参拝に、不都合も云わなくなるなんて

時を経て
第一次安倍政権の時もそう。

変わったところと言えば
靖国参拝問題と中曽根の時の「戦後政治の総決算」の言葉が「戦後レジームの脱却」という言葉に変わりましたけど。日本の反日メディアが火をつけてしまっているというニュース報道の発火点は変わっていない。
ネット時代、それが、大陸に飛び火してしまっている。
象徴するように時を経ても、日中及び日韓でも同種の深刻な外交問題に発展させてしまっている。日本国内の反日メディアが原因じゃないのといいたいところ。
権力対峙はメディアの大切な務めであることはわかるんですが
それが度を超して、国益を損なってしまっているという鳥瞰視的な眼がちょっと反省としてメディアにないのかなと。

参るか参らないか。張り込みって。もっと大事なことあるような。

それでも、独立メディアっていうんでしょうか。なかなかの掲載記事にぶちあたることも。

以下、目に留まったもの、胡耀邦に間接的に関わる内容のもので、シェアしておきます。

 


習近平ファミリーが恩義を示したある老人の追悼式

2017-01-15 11:19:23 | 日記
 

中国には「蓋棺論定」という言葉がある。「棺を覆(おお)いて事定まる」。つまり、人の評価は死んだ後になって定まるとの教えだ。いなくなって存在の重さを再認識し、なお惜しまれる人徳を偲ぶことは、だれにも経験があるだろう。また、その逆があるからこそ言葉の戒めがある。送る側からすれば、その人物に対する思いがはっきり表れるのも亡くなった後である。

 1月10日、広東省深?市の初代書記を務めた張勲甫氏(享年96歳)の告別式が同市内で営まれた。斎場に習近平総書記の母親、斉心氏が花輪を送り、次男習遠平氏は式に参列したうえ、12日の地元紙『深?特区報』に紙面の半分を埋める追悼文を寄せたことが目を引いた。習ファミリーの並々ならぬ思いが伝わってきた。

 

 

 香港に隣接する深?は、1970年代末からの改革・開放政策で「経済特区」に指定され、十数万人の農村から人口約1100万人、1当たりGDPが2万5000ドルに達する先進都市に成長した。スタート時、習近平氏の父親、習仲勲広東省党委書記の重責を担い、その下で現場を率いたのが8歳年下の張勲甫氏だった。だが単なる上司部下の関係で、あれほど手厚い追悼はあり得ない。政治的立場を超えた、家族としての個人的な恩義が感じられる。

 困難なときに救ってくれた人、支えてくれた人は忘れない。張氏は習ファミリーにとってそういう存在だった、と私はみている。

 

 

 習遠平氏の追悼文は「過ぎ去った歳月、消えることのない後姿」の主見出しで、「張勲甫おじさんに捧げる」とサブタイトルが振られている。「何度もお会いしたが、最も官僚臭くない人だった。自慢話もせず、謙虚で慎み深く、入院するときも高級幹部用の病棟ではなく、一般の患者と相部屋で過ごそうとした」と人柄をたたえている。家族付き合いの様子が読み取れる。父親の偉業をたたえる内容も多いが、主眼は追悼にあるとみるべきだ。

 


 習仲勲文化大革命を含む16年間、毛沢東の主導する政治闘争に巻き込まれて迫害された後、胡耀邦元総書記の働きかけで名誉回復し、広東省に送り込まれた。習仲勲は当時、山東省なまり丸出しで話す張勲甫・同省計画委員会副主任の実直さを見込んで、重用するようになった。山東人はもともと率直な性格で知られるが、彼はその典型だった。習仲勲陝西省出身で、同じく他省から来たよそ者同士、気心も通じ合ったことだろう。

 習仲勲は1978年4月から80年9月までの2年5か月、広東省党委第二書記、第一書記、省長を歴任し、改革開放の基礎を築いた。だが1987年1月、胡耀邦が鄧小平らの長老から学生による民主化デモを放任した責任を問われ失脚した際、習仲勲は恩人の胡耀邦を擁護し、自らも連座する。引退後は北京を離れ、思い出深い深?を終(つい)のすみかと定めた。斉心ら家族は今でも深?の迎賓館で暮らしている。敷地内には習仲勲が生前、家族と植えた南方自生の常緑高木、榕樹(ガジュマル)が育っている。習ファミリーにとって、血なまぐさい政治の舞台から隔たり、気候も温暖な南方は、心の傷をいやすのにふさわしい場所だった。


 

 習仲勲の晩年は不遇で、訪れる客人もまれだったが、近くに住む張勲甫氏はきっと変わらぬ交誼を守ったに違いない。困難なときの恩は忘れない。それは習家の家訓でもある。

 習ファミリーにとっての恩人には周恩来元首相もいる。周恩来は、習仲勲が迫害を受けている間、家族との面会を手配するなど終始、陰で支援の手を差し伸べた。習仲勲は、周恩来が1976年1月に亡くなると、労働を強いられていた洛陽の耐火材料工場で号泣した。名誉回復後の79年4月、『人民日報』の1ページを使い、周恩来の追悼文「永遠に忘れがたい懐旧の情」を書いている。

 習近平氏が総書記就任後の2012年12月、最初の地方視察地として訪問したのが深?だった。改革開放の継続をアピールすると同時に、埋もれていた父親の業績に光を当てるきっかけを作った。翌年13年10月の習仲勲生誕100周年年記念では、「改革開放が最初の一歩を踏み出す上で不滅の功績を残した」との評価が与えられた。張勲甫氏への追悼もその延長線上にあるのは間違いない。

 人の評価は亡くなったときばかりでなく、その後の政治・社会状況によっても左右される。周恩来も鄧小平も散骨を選び、「棺」を残さなかった。あえて「蓋棺論定」に抗したのは、死後も翻弄されることへの拒絶が感じられる。この国において、政治の世界はかくもすさまじい。


その他

◆「NPO日中独創メディア」発のニュースとして公表した胡耀邦生誕100周年記念講演会の紹介を転載します。
  
  東京都千代田区日本大学経済学部で11月29日、日中の未来を考える会(保思兆代表)と日中独創メディア(加藤隆則代表)の共催する「胡耀邦生誕100周年記念講演会」が開かれ、学生や中国研究者ら約100人が参加した。中国では胡耀邦の誕生日にあたる20日、北京の人民大会堂で公式の胡耀邦生誕100周年記念座談会が開かれ習近平総書記がスピーチをしたが、日本での関連行事は初めて。同会には胡耀邦時代、初の私営企業家となった姜維・中国光彩事業日本促進会会長も参加し、胡耀邦が経済の改革開放に果たした功績を強調する一方、「胡耀邦が築いた日中蜜月時代は必ずやってくる!」と力強く語った。
  講演は、中国の現代知識人研究で知られる日大非常勤講師の及川淳子さんが「胡耀邦生誕100周年の今日的意義」、独立記者の加藤隆則さんが「胡耀邦習近平の父・習仲勲」のテーマで行った。多くの若者にはなじみの薄くなった胡耀邦の足跡をたどりながら、現代中国の正しい認識や新たな日中関係の構築に向けた問題提起を行う場となった。中国と縁の深いベテランにも参加を呼びかけており、若者に知識と経験を引き継ぐ橋渡しの意味合いも持たせた。
  及川さんは、中国共産党胡耀邦に対する公式評価が、没後から「忠実な共産主義戦士」などとするものから全く変わっていないものの、様々な形で再評価の試みが行われている一方、それも「党の輝かしい歴史」と矛盾しない限定的な内容にとどまっていることを指摘した。胡耀邦失脚の経緯、趙紫陽天安門事件についての言及はなく、「胡耀邦の再評価が政治体制改革に繋がるわけではない」点を強調した。そのうえで、今回の記念行事が「胡耀邦の清廉なイメージを取り込み、反腐敗運動推進の求心力に援用している」ことに力点を置き、党の基準に基づく「語ってもよい胡耀邦」と「語ってはならない胡耀邦」が分離されたとの見方を示した。
  また日中関係については、胡耀邦が1983年11月29日、来日中に長崎平和祈念公園訪問して献花し、1985年には中日友好協会を通じて同公園に「乙女の像を」寄贈したことや、失脚する2か月前の1986年11月8日、北京の中日青年交流センター定礎式で、「愛国主義は、外国の人々と親しく交際し、友好的に協力する、こうした長い見通しを持った国際主義の精神と結び付けなければならない」と演説したことを紹介。胡耀邦の平和主義と国際主義を、今日でも学ぶべき精神的遺産だと訴えた。
  一方、加藤さんはまず、20日、湖南省瀏陽の胡耀邦故居を視察した報告を行い、習近平氏の反腐敗運動に呼応し、故居が「廉政教育基地」として再整備されている実態を伝えた。すでに故居敷地内には、習氏を含む歴代指導者が反腐敗の決意を述べた言葉を刻んだ巨石が並べられているという。「実践は真理を検証する唯一の基準」と彫られた、鄧小平筆と思われる石碑に名前がないことから、依然、胡耀邦の完全復権には至っていないことを指摘した。
  また、胡耀邦習仲勲がともに農民の子として生まれ育ち、理不尽な政治的迫害を受ける中で自らは政敵を打ち倒す政治闘争から距離を置き、むしろ、冤罪者を救う事業に力を注いだこと。異なる意見を尊重し、民主的な気風を持っていたこと。これらを二人の共通点として指摘し、「中国共産党が持っている良き伝統」とした。だが、現政権にそれが引き継がれているかどうかという参加者からの質問については、「習近平は父親を非常に尊敬しており、父親が受けた迫害や個人崇拝の弊害は熟知しているはずだ」としながらも、「現在行われている言論統制などはむしろ後退している印象を持つ」と否定的な見方を示した。そのうえで、「現在は集権化を進めている過程であり、これからその権力をどのように使おうとしているのか。二期目の政策を観察する必要がある」と述べた。

 

 

分祀にたいする件ですが。

 

追記

自分の考えは、政治の側から、影響されるようにして

変えるようなことは感心しませんし、

BC戦犯なら、よくて、A級ならダメだなんて

ちゃんちゃらおかしいなと。

ひとしく、弔い、

悔いる。

そして誓うという

そういう態度の前にして、

なぜそのような線引きを

求めたりしなきゃなんないのという感じです。ましてや、外圧で。

それに、参る参らないも自由なんですから、

内面の自由をこそ、

自身の宗旨でもないのですけれど、そこはちゃんと守られるべき

ところではと。

だから、みんなで参ろうなんとかという議員の行動も

いやなんですよね。

参る人は個々に、参ったらいい。

静かにそれぞれに、動いてっていうのが大事なんじゃないのかと。

人にはそれぞれの信仰があるように。

 

靖国に参りながらかつて軍族であった叔父たちを弔い、また、並行して自身の選択した宗旨に準じその霊を慰めている人をいっぱい知っています。

そうした中でも

 グローバルに国境をも超えてそれぞれの風習にも溶け込むようにして人々の共感を得られていく宗教もあります。

普遍性のある宗教なら国の保護が有ろうが無かろうが、弾圧さえ乗り越えて

アジアの戦火を招いたところとも

未来に向かって

絆を

結んでいる姿も拝見します。


無宗教の追悼施設を

政府の側から

提案されたりすることも聞きますが、

断絶の世界を

結びつけるという

要素が見当たらない限りは


あんまりという

感じがしますね。


それに、原爆慰霊碑がすでにその役割を果たしている。


過ちは繰り返しません。刻まれた碑文。

保守の側からは、自虐的なとの

批難を耳にすることもありますが、

ここでの主語は

我々人類はという非戦の誓いであって

いずれの国の人であっても

等しく誓える場に

ふさわしく

感じます。


 

 

核の脅威高まる中でNNNドキュメント

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北朝鮮の核開発。原爆投下から72年...。

核の脅威はかつてないほど高まっている。世界で初めて原爆が投下された広島。

その広島を訪ねる外国人で一番多いのは核投下国アメリカからの観光客。

そして平和公園原爆資料館を訪ねている。

番組は原爆資料館を訪ねたアメリカ人夫婦に密着していた。

 


被害の悲惨さの認識を広めることはもちろん、

別のマイクむけられたアメリカ人の、「トランプと、金正恩(キムジョンウン)がこの場に立つこと」
を願われていたのも印象に残っている。

 

 

 

 

 

保有国はむろん、各国のリーダーに核の脅威を知らしめなければならないだろうし、できることを。

リンク先

Download video: NNNドキュメント「なぜアメリカ人はヒロシマに?核の脅威高まる中で」林原めぐみ+20170910 2525 日曜日 日本テレビ

 

 

その他新たな情報リンク先

 

「変革の世代」が、核兵器廃絶の実行を誓う - INPS International Press Syndicate - JAPAN

テキストに挟んでいた賢治の詩

テキストの数冊。(野菜作り&観葉植物の育て方)

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なにげなく、開いて、挟んでいるのを見つけては、思い出す心象風景

、地元和歌山市(マリーナから)の夏の終わりの夕暮れ。今回の記事は

完成に至らなかったと見られる宮澤賢治の詩を味わってみるのみ

となります。

 

生徒諸君に寄せる

〔断章一〕


この四ヶ年が

    わたくしにどんなに楽しかったか

わたくしは毎日を

    鳥のやうに教室でうたってくらした

誓って云ふが

    わたくしはこの仕事で

    疲れをおぼえたことはない
〔断章二〕


  (彼等はみんなわれらを去った。

   彼等にはよい遺伝と育ち

   あらゆる設備と休養と

   茲には汗と吹雪のひまの

   歪んだ時間と粗野な手引があるだけだ

   彼等は百の速力をもち

   われらは十の力を有たぬ

   何がわれらをこの暗みから救ふのか

   あらゆる労れと悩みを燃やせ

   すべてのねがひの形を変へよ)
〔断章三〕


新らしい風のやうに爽やかな星雲のやうに

透明に愉快な明日は来る

諸君よ紺いろした北上山地のある稜は

速かにその形を変じよう

野原の草は俄かに丈を倍加しよう

あらたな樹木や花の群落が
〔断章四〕


 諸君よ 紺いろの地平線が膨らみ高まるときに

 諸君はその中に没することを欲するか

 じつに諸君はその地平線に於る

 あらゆる形の山岳でなければならぬ
〔断章五〕


サキノハカ、、、

             来る

それは一つの送られた光線であり

決せられた南の風である、

諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて

奴隷のやうに忍従することを欲するか

むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ

宙宇は絶えずわれらに依って変化する

潮汐や風、

あらゆる自然の力を用ゐ尽すことから一足進んで

諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ

〔断章六〕


新らしい時代のコペルニクス

余りに重苦しい重力の法則から

この銀河系統を解き放て

 

 

新らしい時代のダーウィン

更に東洋風静観のキャレンヂャーに載って

銀河系空間の外にも至って

更にも透明に深く正しい地史と

増訂された生物学をわれらに示せ

 

 

衝動のやうにさへ行はれる

すべての農業労働を

冷く透明な解析によって

その藍いろの影といっしょに

舞踊の範囲に高めよ

 

 

素質ある諸君はたゞにこれらを刻み出すべきである

おほよそ統計に従はば

諸君のなかには少くとも百人の天才がなければならぬ

〔断章七〕


新たな詩人よ

嵐から雲から光から

新たな透明なエネルギーを得て

人と地球にとるべき形を暗示せよ

 

 

新たな時代のマルクス

これらの盲目な衝動から動く世界を

素晴しく美しい構成に変へよ

 

 

諸君はこの颯爽たる

諸君の未来圏から吹いて来る

透明な清潔な風を感じないのか
〔断章八〕


今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば

われらの祖先乃至はわれらに至るまで

すべての信仰や徳性はたゞ誤解から生じたとさへ見え

しかも科学はいまだに暗く

われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ、

 

 

誰が誰よりどうだとか

誰の仕事がどうしたとか

そんなことを云ってゐるひまがあるのか

さあわれわれは一つになって〔以下空白〕

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「盲目な衝動から動く世界を

素晴しく美しい構成に変へよ」

という箇所。それと、

「すべての農業労働を

冷く透明な解析によって

その藍いろの影といっしょに

舞踊の範囲に高めよ」という部分、

こころの奥底に響いてきます。

 

農業作業に限ることなく、です。

大事なことです。 

 

かつて、読んだ宮澤賢治研究の書を、追加アップしておきます。

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東京ブラックホール

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まあ、戦争を知らない世代は自分も含めて見ておいたほうがいい、なかなかの内容でしたよね。

日本陸軍の諜報部員は戦後、戦犯を免れるかわりに、占領政策のG2部門の下働きに使われたとか。

隠匿物資の横流し等、戦前は軍部とうまくやっていた政商が、占領下になると身替りたくましく占領軍にうまく取り入るように変質していく様等も

まあ、戦後秘史に詳しい人だと、まあ驚くに当たらない。

1947年3月の衆議院決算委員会で「日銀の地下倉庫に隠退蔵物資のダイヤモンドがあり、密かに売買されている」と発言。隠退蔵物資事件を暴露している。

世耕機関。

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それでも、これまでのドキュメンタリー手法ではないという意味では意欲的、挑戦的。

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人工知能(AI)を活用したモノクロ映像の カラー化
最新のデジタル技術を駆使した独自のドキュメンタリー


日本が戦争に敗れて得たもの失ったもの。

 気づいたこと、忘れてしまったこと。

 引き継ぐべきもの、引き継がざるべきもの。

 戦争孤児になにもしなかった政府。

 隠匿物資をヤミに流して、のし上がった政商。

それらを、目にしてなお、庶民は生き抜いてきた。

 戦争を知らない世代が如何様に、

かつての軍国主義を裁こうが、訳知顔で語られようが

生き残った、人たちのこれまでの

働きで、

ここまでたどり着いたのだと

 いう軌跡は

否定されるものではない。

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TV番組、bsフジのプライムニュース以外は、自分の場合、

どちらかというと、NHK、見ることのほうが多いかもしれません。

サブカル風な番組もけっこう気に入ってます。

ドキュメント72時間
ダーウィンが来た

『サラメシ』

アスリートの魂

「プロフェッショナル 仕事の流儀」

ブラタモリ

『SWITCH インタビュー 達人達』

『100分de名著』

『 にっぽん縦断 こころ旅』

人気紀行番組「小さな旅」