トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

老老介護

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「ときに、○○さん、お元気ですかねえ。」「ああ、また来るらしいですよ。ちょっと、用事で。」「へえ、そうですか。また、呼んでくださいよ。私も交えてどうですか。楽しい皆の話が聞けそうな、そんな予感がしていますよ。」
振り返る、新和歌の浦の景色。


遠くの親戚より、近くの他人という言葉があるように、ご老人にとってはkが近隣の人間では馬があったのだろう。
世代からいえば孫にあたるかもしれない。世代を超えて馬があう人間だったのかもしれない。
「夫婦そろって、同じ方向、そういう感じですなあ。」そう語りかけようとするご老人。
ご老人にとっては今が青春なのかもしれないのだ。
ご老人は元気で、健康というのが幸いして、人付き合いが苦にならないのだ。
頭もぼけていない。新聞も隅から隅まで、読む習慣が身についている。
芸能、スポーツ、政治、すべてにわたって好奇心もある。


ご老人のことを思い浮かべている。
友人kの近隣にいたご老人のことを。
できるだけご老人の側から眺めてみようと思う。
kのほうでは、ボランティアで、パントマイム、手品、短歌の交換会だったりの打ち合わせの接点が両者の会話のはじまり。
おじゃましたときに老後の幸せは?という番組などにふれるときが。
画面では、まだまだ老人とはいいがたい人たちが元気に語り合っている姿。「幸せって、それは老後のお金と、やはり、連れ添いがいることですね。老後の幸せ像です。」
そう語っている画面にむかって、「まあ、そうあれば、幸せだろうな。」とご老人。連れ添いも亡くなり、一人住まいの期間を経て、近くは、介護施設に。
ご老人かつては、介護施設を運営する側。
「孫のようなあなたたちから見れば、わたしたちのしていることは老老介護のような姿ですよねえ。」「いえいえ、すごいことだと思います。なにより、お元気だし、溌剌としていらっしゃる。お手本のようです。」
介護施設の運営をしてみませんかのニュースを耳にしての応募に名乗りをあげたのがきっかけという。老人なりの楽しみって決めつけられたメニューをならべられてもねえ。ご老人は多少気色ばんでいたかもしれない。チームを立ち上げるために走り回るなかで自身の体調不良。それまでの一人住まいの身から、自らも集団の介護施設の輪の中に。今度は自らも含めての過ごしやすい望みの空間はと思念が止めどなく続いていく。


ご老人の発言の断片。確かに聞いた。ちょうど時期でいうと、国内では佐川問題、金融疑獄が続いていたし、並行してPKO派遣論議もすすめられていた、ちょうど、そんなころのkとのはじまりだった。
なにげない世間話がいちおう済んで、ご老人のほうから。「それはお金は少ないより、多いにこしたことありませんよ。でもね、kさん。わたしなんか、そりゃ、年金で、いいたいこともありますよ。でもね、いいですよ。もっと思うのは、日本の外交ですよ。政府開発援助って、どこまで理想にかなったようにすすめられているんでしょうねって、そういうことなんですよ、思うのは。反日デモ。どう思われます。大使館があのように損壊されても、まあ、おくゆかしい日本であることよ。
出す以上国益にも叶った形で。どう思われます。私らは複雑なんですよ。中国と北朝鮮、どういう関係か、お互いに友好をときに披歴しあったりして。
日本はあの北朝鮮とどのような課題を抱えています。思いませんか。拉致問題。それに中国との交易、盛んになるのはいいとして。
なげかけられたkにしても自分にしても、中国関連では屈折した意識にあるのだった。
当時、ご老人、世間の話題もODAにからむ汚職問題もあってか、kにふってみたかったのだろうと。
ご老人の内面では様々な葛藤が繰り返されていたに違いない。
「官僚答弁、聞いたか、聞いていたら肝心のところでボケよるぞ。わからんか、君たちのほうが若いのにふところが深いんだなあ。」
ご老人の発言を簡単に解釈してみたりすると、知らない人などはかなりアナーキーなと誤解してしまうきらいもある。
これなどは自身が役人として生きた証のような発言で、皮膚感覚で役人の生態を戯画化してみせる、いわば彼の癖なのだ。
「昨今の、官僚たちのモラル・ハザード。一方バブル崩壊とともに露出した金融関係者の脆弱さ、同時に少年たちの猟奇的な殺人事件。あれはなんですか。オウム真理教信者の犯罪の数々。」これなどはご老人なりのするどい言説のひとつで、他にもこうだ。「責任ある政治家の不用意なというか、ときには確信的な発言が、近隣アジアとの摩擦を引き起こしている。その結果はというと、閣僚の引責辞任、歴代首相の謝罪。私らにとっちゃあ、割り切れなさをずっとずっと繰り返している。」戦争を経験してきたものと、自分らkらのように平和の只中に生きてきたものとの、それが違いではないか、というご老人なりの言いたいこと、それがそれ以外のことでも言外に含んでいるかのような。
「ああいうが踏絵みたいに、そもそも議員に選んだのは政策の実行だろが、参る、参らないを公約にするなんておかしすぎるんだ。そのような喧騒自体が英霊も迷惑。参る人は純粋に静かに参ったらいい」
ご老人、戦争をはさんで、多少、屈折しているかのような。集団への懐疑というか。敗戦をつうじて一旦はあいそつかした国。それでも、戦後の経済復興に社会の構成員として忠実な組織人ぶりを発揮してきたことだろうと推測。クラスメートの半分が戦死。
「わたしなんぞは、引き換えし不能な洞穴の中へ進撃を命じられたような戦だった。学徒兵」
この短い一言に集約されている内実を推し量っていこうとしている。それは等しく青年がむきあったであろう課題。日本、そして世界が大戦争へと向かっていく時代に精神形成期を迎え、戦争のさなかに国家とはなんぞやという命題にぶつかり、煩悶しながら戦場に赴かなければならなかった青年の思索。
その思索も年老いたとはいえ老人の内面ではつづいているようなのだ。
平和に対してなにか一言頂戴できませんかなどと、事前に頼みにいくkでもあったから、それ相応の老人の側としても興味が。
ご老人の観察は続いている。
ご老人の生きてきた人生のなかには信仰というものがあるとしたら、恒心なければ、恒産なしというモットーだろうか。
そういういいまわしが彼にとっての信仰というに近いものだったかもしれない。
kみたいな世代はどう将来を考え、なぜ、そのような触れ合いを。
古い世代の人間が、世の中、懐疑的にみつめるようでいて、若い世代のそれも合理主義者のkみたいなものがいたく楽観主義ですすんでいるようにみえて、それがたまらなく、老人にとっちゃ、また茶化したくなる、というふうであったかもしれないなあと。

 

サラリーマン川柳

振り返るサラリーマン川柳

◆あれもやれ 残業するな これもやれ
◆キミだけは オレのものだよ マイナンバー
◆「今帰る、」妻から返信「まだ、いいよ」
◆「定年後 帰りは何時 聞く側に」
◆我が家でも 「温めますか」と 飯が出る
聞かなくてもよくないそれ?コンビニじゃあるまいし。

定年や退職をテーマに夫婦のきずなを感じさせる作品が選ばれる一方で、「退職金 もらった瞬間 妻ドローン」という作品もありました。
他人様の作品に感じ入るばかりですが、それあるよなあ_という気持ちから、画像を付けてセレクトしました。
愛飲のビールと、妻からの究極の義理チョコです。


◆『本物の ビール3本 わが爆買い』

◆『義理チョコに しては高価と 胸騒ぐ』

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おろかなるひとり言

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休日のちょったした軽い山歩き。

 

 吉田拓郎の歌のフレーズ思い出す。おろかなるひとり言。


 丘をのぼって下界をみると 小さな世界がそこにある

 

そして、二番目の歌詞は小さな自分がそこにある。というヤツなんだけれど、

なつかしく思い浮かべてみた今日のお昼の風景です。

スイセンの花に出逢いました。

www.youtube.com

 

 

アベノミクス批判は当たらない。トランプさん、わざと?

TV番組、新・映像の世紀_第2集 「グレートファミリー 新たな~」で、紹介されたケインズ の言葉を印象に残しています。
「今、我々がそのただ中にいるグローバルで、かつ個人主義的な資本主義は、成功ではなかった。それは、知的でなく、美しくなく、公正でもなく、道徳的でもなく、そして、善ももたらさなかった。だが、それ以外に何があるのか_と思うとき、非常に困惑する」


記録映像の数々はヘレン・ケラーがロックフェラーを批判しているところから始まります。格差が広がっており、デモが頻発していました。

9000人の労働者がストライキを起こし、スタンダード石油は鎮圧部隊を動員し、その際、死者を出します。
「ロックフェラーは資本主義のバケモノだ。慈善事業の裏で、無力な人たちが、殺されるのを許しているのです」

しかし、ロック・フェラーは意に介すことはありません、戦車、飛行機などの兵器や車も石油で動いていました。もはや、ロックフェラーの石油なしには世界は動かなくなっていました。
「どれほど、非難されようとも、我々は世界に伝道を行ったのだ。これは間違いようのない事実だ。富を気づく才能は神からの贈り物だと思う。こうした能力を最大限に伸ばし、人類の幸福に役立てよと神が与えて下さったのだ」ロック・フェラーも主張します。
景気の過熱感を懸念するフーヴァー大統領
「現時点では、わが国の経済がコントロール不能に陥っていると示唆する要素は何もありません。我々は、世界で最強の富と確固たる未来を持っています」モルガン商会
その5日後のこと、


「リディア。ウォール街で株価が暴落した。新聞で読んだだろう。史上最大の値下げだ。今日は一日中、経済のことだけ考えさせられて、うんざりした気持ちでいる」ケインズからリディアへの手紙より(ケインズは、当時有名なバレエダンサーと結婚していました。)
GMや、USスチールなど、有力株が軒並み半分にまで暴落。一週間で数百億ドルが消え去りました。借金をして、株券を買っていた人たちは、返済を迫られ、次々に破産していきます。

石油王ロックフェラーは、絶望する人々に向けてメッセージを発します。
「長い人生には、大恐慌や繁栄が波のように繰り返しやってくるものだ。神と人間性を信じ、勇気を持って進もうではないか」

その後、金融王J・P・モルガン・ジュニアは、議会の聴聞会に召喚。
過剰な投機熱をあおり、自分は資金をいち早く引き上げ、被害を免れたことや、脱税が追及されていきます。

 


サブプライムローン崩壊からの再生に向けての世界経済の流れ。
二重写しのようにバブルの繰り返しを見させてくれてもいるかのような番組でした。
日本経済もアベノミクスでどこまで再生を図れるのか。見定めていきたい。


野党はアベノミクスに反対するが、全否定しまってよいものだろうか。成功している面を見ようとせず、それはないだろう。

経済指標が確実な改善を遂げてきた点に分析のメスを入れて解釈していくことも望みたいもの。


いよいよ、与野党の論戦が始まるんだろうが、アベノミクスに不満な点もあるけど、どこの野党もまともな代案が出てこないなら、これじゃ、野党は勝てないだろうなあ。

これからあわてて代案を作るようでは遅すぎるぜ。野党があまりに情けないから安倍政権を支持するほかない。
よくある「消去法で考えると安倍政権しかない」というやつ。


なぜ野党の話は無責任で魅力が感じられないのか。安保法制論議で、深める議論もできただろうに戦争法などとのレッテル張りには、ちょっと呆れてしまったこともその大きな一因かも。
そっちのほうは心配していなくて、肝心なのは経済の方だとおもうんだけれど、経済学をかじった人間としては欲する政策に比較的近いのが安倍政権であるちゅうだけのこと。

数値的に見る限り、経済の改善は非常に単純に言えば、これは金融緩和の効果が効いているからで、緩和で増加したおカネをどのような流通経路を通して市場に循環させるかは異論あるが、とにかくおカネを増やして循環通貨量を増やせば、市場における財の交換量が増える。
この金融緩和はFRBサブプライムローン崩壊の直後から始めていることでもあり、米国の景気回復という形で推移してきている。

ところが、金融緩和をするなという政党があるんだなあ。しかも、金融緩和をせずに市場に循環する通貨を増やす方法は提案していない。
とにかく金融緩和は止めろという。止めた場合の代案もなし。これでは話にならない。

アベノミクスの方向を否定せず、アベノミクスの上を行く態度が必要なだけの話。

アベノミクスに反対する必要などない。足らざるところを指摘し、アベノミクスの上を行けばよいはず。

アベノミクスの欠点を補う方法をビシッと提案すりゃいいのに。

第一の矢はマネタリズム、第二の矢はケインズ経済学、第三の矢は新自由主義経済学。その点アベノミクスの各政策は、基本的にはマクロ経済理論に裏打ちされているから一応、好感できるんだなあ。
対抗する野党から聞こえてくる経済政策ってある?。
経済政策っていえるかどうかだけれど、聞くのは、めいめい、議員の言っていることはマチマチの枝葉の政策。
しかも理論に基づかない政策となると、都合に合わせて勝手に解釈が変わる可能性が高いため信用できないなあと受け取らざるをえないんだなあ。
(期待していないというのが本音のところですが)野党共闘というなら、そういうもの聞いてみたいんだけれど。
既存の経済学体系に基づかない方法であったとしても、何らかの形でマクロ経済的に説明ができるはずでもあるからネ。