トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

吉宗・宗春・大岡忠相

 

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課題はデフレ脱却

 

 

全国の中では一番元気なところがこのエリアのような気がしています。
過去に招かれた場所は人形からくりのあるところで、番組では触れられていませんでしたが、大須界隈の歴史は、

友人からも聞かされていたので、ナレーターにあった、徳川宗春のことを偲ぶ気風は知らないわけでもない。


前に友人のさそいと案内で、.和歌山から訪ねたことを思い出している。

あの時は名物の、矢場とん本店の鉄板焼きとんかつ定食を。

肉質といい、味噌カツソース味も絶品でした。

それから大須・万松寺商店街を歩く。
商店街の最終は「宗春爛漫」というからくり人形があるところにぶらりとたどり着くといった按配。

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11時、13時、15時、17時と上演時間が示されていて、ちょうどタイミングよく始まる前。上演は6分間ぐらいのものでしたが、
なかなかの歴史、いいものに出会えたという感じでした。

 

そのこともあって、その後もTVでの歴史番組あるたびに、自然と宗春への関心もむいていました。

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宗春とは尾張七藩主の徳川宗春のことで、当時のほとんどの大名や旗本が幕閣が主導する倹約・緊縮財政に追従していた中、ただ一人、幕閣の政策と反対の政策、積極経済政策をとった大名。
当時は享保の改革という倹約・緊縮財政で徹底した管理体制が敷かれ、祭礼式典の簡素化や花街や芝居などの規制をし、
庶民の生活よりも幕藩体制財政再建や立て直しを最優先にした結果、日本各地で飢饉と重税による一揆が続発していた。
宗春はそれら将軍吉宗の倹約令を無視し、芸能・消費を奨励し、江戸や大坂から芸人、商人を集め、芝居小屋や飲食店を建ち並べ、
将軍からのお咎めも受けるが、宗春は自分の政治理念のもとに庶民の側に立った政治を続け、名古屋の街を一気に発展させることを考え続けた。
後にそれがこの大須の発展の元になっているのでしょう。

一般的に宗春は吉宗に政治的敗北をしたことで評価は芳しくない。しかし、どちらが経済的政策として効率がいいか。最近はいろいろと、歴史家が財政史のなかで宗春を評価され、

エンタテイメント大名の異名をもって見直されてきています。

自分も宗春は再評価されるべき人間であると考えます。

幕府のみを考え「天下」一律の倹約政策しかとらなかった吉宗に対して、しかもそのなかにあって、地域密着型の積極財政政策をとれた宗春。
徳川宗春
まさに「名君」。

享保の改革・比較

リフレ派の意見も

課題はデフレ脱却


アベノミクス・財政規律も財政再建も・成長戦略は欠かせない


デフレ下の将軍吉宗と大岡越前

さしづめ日銀の黒田総裁は大岡越前というところか。

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そして、尾張大須発展に寄与した宗春に値する人物は現在にいるだろうか。


時代小説から

尾張春風伝〈上〉 (下)
(幻冬舎文庫)
清水 義範 (著)

厳しい倹約を求めた享保の改革で知られる吉宗。その名将軍に真っ向から挑み、欲望を肯定した政治で庶民から大喝采を浴びた尾張七代藩主、徳川宗春の痛快、爽快な生涯を描く本格時代小説。

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今日的な観点から見ると宗春=リフレ派=安倍首相、吉宗=増税派=野田前首相?。

 

暴れん坊将軍吉宗という常套句があるが、

宗春のほうこそ暴れん坊であり、暴れん坊大名と名付けられるではないのと。

 


<宗春>
 1730年(享保15)徳川宗春は、死亡した兄に代わり、第七代尾張藩主に。

江戸では吉宗(よしむね)が、享保の改革で倹約政策を実施していた。
この倹約政策にまっこう抵抗したのが尾張藩主の宗春。
彼の著書「温知政要」には、「倹約は大事だけれども度が過ぎると民の不自由になる」と書かれている。
初代藩主の墓参りの際には、真っ赤な着物に亀の甲の笠をかぶり、白い牛に乗って出かけたぐらいのド派手大名。
彼は、名古屋になかった遊郭を3か所作り、当時禁止されていた武士の芝居見物を許した。
倹約ムードの日本の中で、名古屋だけは活気に満ちていた。
この状況は吉宗が彼の言動を糺(ただ)しても変わることはなかった。
しかし、1739年(元文4)に吉宗は、とうとう彼に蟄居謹慎を命じる。
こうして、宗春の政治生命は断たれてしまうことに。
<年譜>
1696年(元禄9) 尾張3代藩主の20番目の子として生まれる
1730年(享保15) 兄の死により尾張62万石の藩主となる
1731年(享保16) 「温知政要」を著し,初入国
1732年(享保17) 吉宗が宗春の言動を糺す
1739年(元文4) 吉宗から蟄居謹慎を命じられる
1764年(明和元) 67歳で没


<人と歴史>
 吉宗の倹約政策と宗春の積極財政政策の対比をしながら、当時の日本の財政状況を考えて、どちらの政策を支持するか話し合ってみるのも面白い。
<観光みどころ>
 相撲・能・狂言で賑わった大須観音の境内に、1日に4回動く、宗春のからくり人形が設置されている。また、名古屋城にも足を運んでみたい。
<参考ガイド>
  「愛知県の歴史散歩」 

最新のおススメ
斬新な野心的な小説としては、

関連の書

『私が愛したサムライの娘』  著者 鳴神響一

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史実と、必ずしも合致するものではないのですが、「吉宗・宗春の時代」と「長崎」を組み合わせて題材にしたことが本書を魅力ある作品に。一般には大岡忠相との名コンビで〈名君〉とされる吉宗に対し、吉原での遊蕩生活など不羈奔放に生きたという宗春。
幕府と尾張藩の確執と争いを背景とし、宿命のライバルとしての二人を対比して多くの小説が書かれてきたが、本書では「長崎」が絡んでくるところが出色。「吉宗」は海外侵攻の意図を抱く将軍として描かれている。

幕府転覆を謀る尾張藩主・徳川宗春に仕え暗躍した忍びたちの運命は?

 この時代小説は単なる女忍びの物語ではなく、日本とイスパニアの諜報員同士のラブストーリーという形を取った異文化交流の物語として読めます。

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アベノミクスは株価で語られることが多いが、大事な視点は、有効求人倍率と、失業率の推移だろうと。

 

やはり、求人が増えて、失業率が減ったことに注目されるべきかなと。

 

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