トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

オルテガ・ィ・ガセット

大衆の病理を説いた社会学者のオルテガの言説をたまにはひもといてみます。

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彼の著作で、有名なところでは、「大衆の反逆」

このタイトルみて、考え違いを起こしてもらってもこまるのですが、もし、よい大衆が悪い権力を倒すというようなイメージでとらえられたのなら、それは大間違いです。

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真意は愚かなる大衆の充満が慢心することの恐ろしさを警告している書だからです。

現代、読んでも今を皮肉ってるふうな感覚にさせられるところもあります。

 

先人の尊いところを、見失うさまを難破船にたとえて、

ただ漂う大衆にならないようにと、諭されているのが、読み進むうちにわかってきます。

他のおススメの書も含めて。

【関連Myブログ過去記事】遺影の中の愛犬ートトヤン

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パンダに想う

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話題の赤ちゃんパンダは、県内に住んでいながら時間もなくまだ観れていません。

 

 

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しかし、ニュースで知った、パンダ列車のことなら、

ひょっとして撮れるかもしれないとカメラ常備して構えて撮った一枚。

紀勢線黒潮

白浜への、アクセスとしては、そのほかに空路として白浜空港が。

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夏の休暇で戻ってきた子供らにとっては、イルカショーを見に過ごした夏の思い出は遠い遠い記憶の中で、

パンダの話題のほうも彼らに近しいのは白浜ではなくすでに上野動物園にあるようだ。

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まあ、円満にその土地に根を生やしてくれればそれにこしたことはない。

 

帰省してきた家族も、また、あわただしくもどっていく。


四文字熟語。華僑の言葉から学んだ「落地生根」ってのをしみじみ想い浮かべてみる。

 

人道の港 敦賀

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過去の夏に訪れた小旅行先。

中央アルプスとかの山岳コースでもなく、海水浴キャンプ先でもなく、どちらかというとダークツーリズムっぽい行先。

人道の港 敦賀 ムゼウムのほうに行ってみることに。杉原千畝記念館岐阜県八百津町) のほうは、また、機会があればということで、そのときは敦賀に。


資料館で、映像を通して学ぶことも。

カウナス駅で「スギハラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」と叫んだかつての青年は、新生イスラエルの参事官となって、杉原氏を探し求め、会いにきたという一コマ。


ニシュリというユダヤ人が、杉原氏を訪ねてきます。ニシュリ氏は、命のビザで助かった6,000人のうちの一人で、28年間杉原氏を探し続け、ようやくその消息をつかんで訪ねてきたのです。

杉原氏に会ったニシュリ氏は、「私を覚えていますか」と問いかけますが、杉原氏は、彼が誰だか分かりません。2,000人ものユダヤ人へのビザを書き続けた杉原氏が、彼のことを覚えていないのも無理はありません。

ニシュリ氏は、涙を流しながら、ぼろぼろになった紙片を取りだし、「あなたは私を忘れてしまったが、私たちは片時たりともあなたのことを忘れたことはありません。28年間、あなたを探し続け、やっと会うことができました」と言って、杉原氏の手を固く握りしめます。

ぼろぼろの紙片は、杉原氏が28年前に、ニシュリ氏に発給したビザだったのです。

 

 

ユダヤ難民の窮状を救った、杉原も偉いもんだと思いましたが、オランダの領事ヤン・ツバルテンディクの勇気ある決断にも。

もし彼の決断がなければ、杉原氏がビザを発給することは不可能だったでしょうから。


それに、大事なのは敦賀の無名の人々の温かい迎え入れと善意にも支えられて、こうしたユダヤ難民の逃避行が滞りなく行われたこと。

これは、記念館の展示資料で知ることになりました。


過去の夏の小旅行を振り返りました。

【関連検索キーワード】キュラソービザ

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閉会中審査を振り返って


自分の印象としても、野党による内閣追及というのはいいとして、ショーアップに加担して尻馬に乗ってしまったメディアだったという印象はぬぐえないかなあと。政治も政治だけれど、メディアもメディア。メディアの負けだなと。


閉会中審査で印象に残る発言集としては


「今回のメディアの様子を含めて、社会の様子を、どのようにお考えか」

国会で質問者に対して答えた加戸氏の言葉。

 

「私も霞が関で30数年生活し、私の知る限り今まで、メディア批判をして勝った官僚、政治家は誰一人いないだろうと思っているし、ここで何を申し上げてもせんないことかなと感じている」

「本質の議論がされないまま、こんな形で獣医学部がおもちゃになっていることを甚だ残念に思う」とも述べられていたこと。

 

 

閉会中審査でさらに印象に残る表現。

イタリア旅行に出かけ、帰国後に知人から「いや、日本では報道しない自由ってのが騒がれてるよ」と言われたエピソードを披露。
「私は役人時代から慣れっこで、まあ当然そうだろうなと思いながら...。ただ、報道しない自由があることに関しても有力な手段、印象操作も有力な手段。そのことはマスコミ自体が謙虚に受け止めていただくしかない」

それでもこの2回目の閉会中審査での加戸氏の皮肉は最高でした。喝采。

報道しない自由という言葉にも二重の意味で感嘆しました。

真実を真正面から訴えてきたことが、それを編集につかわれないというもどかしさ。

真実が伝わらない。切り取られた報道と、発言はしたけれど、つなげ様次第で、意図せざる編集もあり。「印象操作までして」そこまで安倍さんを落とし入れたいのかという取材者側の歪な魂胆をみてしまう。

メディアの中も人それぞれっていうんでしょうか。

まともでない、曲解、その中でも、最後の土壇場で、意図せざる編集は報道されなかったことは、救われる思い。そういう体験までも吐露されてた部分。

本当の意味で矜持をもっているメディアの方もいるんだという発言、報道しないもう一つの取り上げないという別の意味での報道しない自由のほうにもかぶりますよね。

まいりました。

それから

特区についての会見で特区ワーキンググループ座長の八田氏の発言も皮肉たっぷりでしたよね。

「それを、なにかあったように勘繰るのは、よっぽど、昔の利権構造の恩恵をうけてきたものでなければ浮かばない発想でしょうね。」国会での参考人発言、捨て台詞のように。どこも記事にしていないけど、あれって練習を重ねたアドリブ?だったのかどうなの。

「獣医師の偏在などの課題があり、民主党政権時代も含め長年の懸案だった。WGでの議論については、政策判断と決定プロセスは正当で、何らかの意向でゆがめられた事実はない」とだけの記事にしかなってません。


 最後に改めて、加戸氏の発言

つけ加えておきます。
「都合のいいことはカットされて、私の申し上げたいことを取り上げて頂いたメディアは極めて少なかったことは残念」

 

 

ちょっとはブチ切れて欲しかった

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話題の加計問題にしたって、有益な財政出動の一環ととらえてる部分、自身にはあるのだ。
一旦白紙を迫るという野党のスタンスもどうなのか。
与党も正面切って、じゃあ、そういう新しい新設の獣医学部を必要なしとあなたたち野党の皆さんは思っているんですかと、言葉悪いんだけれど、安倍首相ぶちギレてほしかった。
友人関係であれ、公正な手順プロセスを経ていうからには、そんぐらいの肉声をもって。
もし、そんな疑われることをしていたら議員自体辞めますとまで言ってんだから。
極端な話。はっきり、成果しめす意味で、あってもおかしくもない。加計ありき、けっこう。
特区なんだから、スケジュール感からいって、お尻をきることもあるだろうし、
内閣府主導なんだから、、これは、学部新設の件に関わらず、そのようのな面、他でもあるはず。
岩盤規制はそれぞれに、どの業界、にもあることで、そこに落ちるように仕組まれた出来レースだなんて、
開学30年に間に合うようにの設定が、加計学園に有利すぎるじゃない、公正じゃないわの意見にも、
今後の門戸は一校に限定することはなくとしているんだから。
国会中継あるときは、その夜のニュース解説も比較すると
自身がリアルタイムで見て抱いた感想とちょっとかけ離れているような解説も散見されたりと。

メディアは本当に社会の公器と言えるんだろうか。
革新官僚らしき発言と世間は、好感をもって歓迎しているようであるけれど、仮面をかぶった陰湿な既得権益擁護の保身家だったりすることも世の中、あるかもしれないからネ。
断定はできませんが縦割り省庁の対立や、その一方の官僚の陰湿な工作に便乗して安倍内閣を追及するだけの野党なら、そのうち世論は辟易するはずでしょう。

加計学園こそが政治の重大問題であるかのように大騒ぎしてますけれど、
雇用問題や緊迫する朝鮮半島情勢への対応、中国公船の領海侵入など安全保障問題は素通り

安倍首相が2度にわたって消費税率10%への引き上げを延期したおかげで、雇用は好転してきたし、財政健全度の国際指標である地方政府、社会保障基金を含めた「一般政府」の財政収支の国内総生産(GDP)比は米英仏を大きく上回るほど改善した。
[昨年マイナス2%、欧米はマイナス3%以下だ。経済協力開発機構OECD)統計で]

しかしながら、時計の針を30年前に戻そうとする動きもあり、
短絡的な「反安倍」の政治家とメディアがアベノミクスの成果から目を背け、経済政策の代案はデフレ容認、増税で共通してしまってはだめなのでは。
肝心なことを争点にせず、ますますメディアが冷静さを失っているという様相だ。
肝心なのはあくまでも雇用および雇用を左右する景気の先行きを着実に上向かせること。
経済成長こそが財政健全化の近道とおもえるのですが。
「成長頼みの危うさ直視を」と保守系とみられていた新聞紙面にさえ、ちらほらとそのようなタイトル記事が。
経済学を盾に消費税増税と緊縮財政を勧める論者もあらわれる始末。
すこしく経済学かじった自分としては、プライマリーバランスの黒字化は、政府が借金をし続ける上で重要だが、我が国がデフレ下にあるのに、これを増税と緊縮財政で達成するのは不可能で、プライマリーバランスを黒字化するには、経済成長して税収を増やすしかない。
そのためにはまず、デフレから抜け出さねばならず、デフレギャップを埋めるには政府がカネを使うほかないと思うのですが。


反安倍メディアや評論家の中には、日本を貶めることを使命としているとしか思えないような評論もしばしば見受けられ、
日本経済が崩壊することを願っているのか「デフレ容認」、「増税」を唱えているのではないかと思われる節も感じられてならない歪な副作用論まで。
まずは財政再建とデフレ脱却の二兎を追うのは間違いだということ。デフレ脱却に全力を傾けるべきで、直ちに大胆な財政出動を行なうべきだろうと思うのですが、その辺が足りない。
消費税率を引き上げたあとでも、大胆な財政出動を行なっていたらデフレから抜け出せていた可能性が高いと思えるのですが。

安倍非難するなら、「アベノミクス」は、「金融緩和」「財政出動」「成長戦略」の3本柱から成ると首相自身が説明しているところだが、実行したのは金融緩和だけだと非難するところから言えばいい。
消費税率を5%から8%に引き上げたことの罪を安倍首相一人に負わせるのは酷だが、財政出動どころか、真逆の緊縮財政を行なってきた責任は挙げて安倍首相にある。
デフレから抜け出すためには、デフレギャップを埋めねばならず、民間に投資する気がない以上は、政府が公共投資を増やすほかない。
今夏、九州や東北で水害が立て続けに発生していますが、第2次安倍政権発足直後に自民党が唱えた「国土強靭化」もいまやどっかに行ってしまった。
こんなことを言うと、またぞろ「土建屋国家が理想なのか」と非難されるかもしれませんが
いまさら言うまでもないことですが、自然災害の多い我が国では、防災にかけるカネはいくらあっても足りないでしょう。
 必要なのは国土強靭化のための投資だけではありません。先進国最低水準とされる研究開発への投資も必要だし、我が国を取り巻く厳しい安全保障環境を考えれば周辺海域の国防強化も進めなければならないかもしれません。
こう言った分野に政府がカネを注ぎ込んで、デフレギャップを埋めれば、物価は上昇し、GDPも増える。経済のパイが大きくなれば、国の税収も労働者の給与も増加する。公共工事ばかりが公共投資ではなく、それらの面でも不必要な規制撤廃するなり、もっと政治家が与野党共に汗かくべきではと思うのですが。


聞こえてくる論調。『反安倍』勢力の多くが、消費税増税財政支出削減こそが『財政健全化』をもたらすと信じてやまない風なのが不思議でなりません。代わりの首相候補が思い浮かばないのが悩ましいところなのですが。

安倍首相にエールをおくります。

力強い平成のニューディール政策と呼べるような大胆な

遂行をお願いします。

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(画像は家庭菜園のオクラ)収穫しました。

【関連チェック動画】

夜の地上波の解説ニュース聴いているより、こちらのほうが。

 

www.youtube.com

 

【それと、おすすめのスピーチ・僕らの世代の課題・関連】2017フェイスブック創業者マーク・ザッカーバーグの母校でのスピーチ(検索)

ブックレビュー②(2015~2017)

目に留めてみたTV番組と、振り返る書。

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ベトナム男性)『日本の学校で、僕、クラスのみんなの話についていけなかったですね。』

1964年、サイゴン生まれ。17歳(81年)のとき、ボートピープルとして脱出、3か月香港にいたあと日本へ。上智大学理工学部に。
南の軍人だった父は戦争終結後、再教育キャンプに送られる。

ラオスの女性)1960年、ルアンブラバン生まれ、9歳のとき、父が亡くなり、10歳でビエンチャンへ。
貸家業と美容院を母が経営し、一家を支える。中国系の中学校を卒業後、アメリカンスクールに進んだが、75年の革命で閉鎖。
2年間、学校は行けず、3年目に、まず母がタイへ。79年に母を追って兄弟全員が出国。タイ、ノンカイのキャンプを経て来日。
来日後、ボランティアの人の紹介で、埼玉県戸田市の病院にヘルパーとして勤務。毎日、婦長さんから日本語の特訓を受け、国家資格を突破して、現在は正看護婦として勤務。
『今が一番幸せ』

 

 


(ミャンマ旧ビルマの男性)家庭の事情で父の自動車整備工場を受け継ぐ、私費留学生として来日。『ビルマ人が外国で5人以上あつまることは禁止されていたことを想うと不思議な感じがします』。

 

 

カンボジアの男性)1957年プノンペン南の村カンポット生まれで、父母は金細工の店を経営。9人兄弟の4番目。高校一年のとき、ポルポト政権によって家族はバラバラとなり、ベトナム軍が入ったあと再会するが、母のすすめにより、単身、タイを逃れ
、 カオダイキャンプ、チョブリンキャンプを経て82年4月来日、難民定住センターで、三か月過ごした後、栃木県の鉄工場、横浜のプリント基板会社などを経て、相模原市のプリント基板会社に勤務。その後結婚。『戦争がなくて、自由があれば頑張れる』

 

(台湾の女性)台北市生まれ。高校卒業後、台北のホテルのフロント係として勤務。宿泊客は日本人が多く、そのころから日本に興味が。
『将来は日台の貿易関係の仕事に就きたい。』

(ソウル出身の女性)
『演劇の仕事を続けていきたいと思っています』

 

 

 

 

 


探検バクモン SPECIAL ニッポン多国籍時代!異文化のるつぼ「東京都大久保」で多 国籍ワールドに大潜入!

TV録画再視聴きっかけに、振り返る書が、ダイアモンド社から出版されていたアジア・インタビューで、それがこのように記してきた内容。

 

NHKの探検バクモン、番組は好きなんだけれど、爆笑問題太田光とは、それまでのトーク番組からもわかってはいたんだけれど、(ノー天気な安保法制反対とか、護憲だとかの意見、好きになれなかった)面を考えれば

多分、政治的意見は同じくすることはないだろう。それでも、

世界の人と仲良く、今住んでいるところを住みやすくという、この東京の大久保の潜入取材は面白く拝見したので印象に残している。

その思いと重なるように思い起こすのはかつて自分にとって影響を受けた書、アジア・インタビュー(象の会)のこと。

 

国情の違いはそれぞれにあっても、人間の優劣があるわけでなし、それぞれに、幸せを求めて、地球に生きる人間なんだという視点を再確認。

 

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