映画は「北京の55日」英米露仏独など列強8カ国は軍を派遣。2か月後の8月に連合軍は北京を占領し、西大后は光緒帝とともに脱出する。この籠城にあたって英仏中4カ国語に精通する北京公使館付き武官・柴五郎砲兵中佐は、実質的な指揮を担って寄り合い所帯をよくまとめ、外国人から多くの賛辞が寄せられたという歴史。
前線で戦う日本軍の兵士たちも、列強の軍人に遜色ない働きを見せ、欧米列強の首脳は日本軍の統率力や軍事的能力を改めて評価されたという部分に触れられいていた。
監督でもあり俳優でもあった、伊丹十三に対する、内田樹氏の観察眼。
日本の平和ボケ、安全保障の議論をなおざりにしてきた罪のことにも夢想してみた。伊丹十三も抱いたであろう『ヨーロッパ退屈日記』の後半部。大量の頁が割かれていたのは、多分にそういうミドルクラスに対しての圧倒的な批判ではなかったろうかと。
戦前を全否定してしまって、国家意識もなくしてしまうという。

話は変わるが、よど号の中には危篤の父親の最期に立ち会うため郷里に向かう乗客がいたが、降機を許されず、父親は4月1日に息子の帰りを待ちわびながら他界という御不幸もあった。金浦空港の管制塔を通して犯人グループに「せめて3日の葬儀に間に合うように、飛行機から降ろしてほしい」との遺族の要望が伝えられたが、拒絶されている。
なんでか、どうしようもなく映画の話が、時を超えて、向かう相手国も違うのに思いは重なる。
北朝鮮に渡った実行犯グループらは、メディアから「よど号グループ」と呼ばれている。到着当初は「世界革命を進める同志」として北朝鮮政府から手厚い歓迎を受けたが、当時の世界情勢から照らし合わせても荒唐無稽と思われる「北朝鮮の赤軍化」という目的は即座に否定され、主体思想による徹底的な洗脳教育を受けたといわれている。さまざまな証言から日本人拉致事件への関与が確実視される者もいるが、現時点では詳細は不明な点が多い。現在、グループのメンバーは警察庁により国際手配されている。
1992年、千葉選挙区選出の衆議院議員山村新治郎が自民党訪朝団団長として北朝鮮への訪問を翌日に控えた4月12日、自宅にて精神疾患を患った24歳の次女に出刃包丁で刺され殺害された。当時健在であった母の目の前での惨劇であった。
山村の名前を一躍有名にしたのが、よど号ハイジャック事件である。
山村が運輸政務次官を務めていた1970年3月31日にハイジャックが発生し、当時の橋本登美三郎運輸大臣と共にソウルに向かう。山村は田宮高麿ら犯人との交渉の末、乗客の身代わりとして人質になり、よど号に搭乗して犯人らと共に北朝鮮に向かい、4月5日に解放されて帰国した。
再訪朝の訪朝団の目的は金日成主席80周年の慶祝行事参加であったが、もう一つの目的は「よど号」グループとの再会にあった。山村も田宮もそれを心待ちにしていたという。
一方、山村の娘のほうも彼女の人生にとっても「よど号」事件は言うに言えぬ深い影を落としていたのであろう。
よど号事件当時、”身代わり人質”として一躍有名になった父親を羽田空港に出迎えたのは、ほかならぬ娘の彼女である。そして「よど号」メンバーにとっては、日本政府とのささやかな繋がりを完全に立ち切られた事件となってしまった。
望郷の念だとかなんとか、伝えてくる仲介者のようなジャーナリスト。それに、よど号犯のメンバー。
乗客の人命に代えて人質を申し出た山村代議士のその後にみまわれた不幸をどう考えているのだろう。
一部のよど号犯の子弟などは、平成になってから、帰国も果たされているという。
未だ、片方で、拉致問題の帰国の行く末がままならない中で、一方で、このような自由が許されている。ハイジャック犯の子弟ら。不思議なもの。
父親らの犯行は犯行として、謝罪したという言い分も、政府当局はどこまでつかんでいるのだろうと。
山村新治郎・運輸政務次官が身代わりになる時、犯人が人定保証に現場に呼んだのが社会党の阿部助哉代議士だった。「よど号」メンバーには社会党との面識があるということなのか。いまにいたって、謎めいて振り返ることが多すぎる。ソウル金浦空港での、日韓政府当局および日韓メデイアの綱引きも。
機内突入を計画する韓国側と、あくまでも全員の生命を損なうことのないよう、時間をかけるように要求する日本側。
どこまでの成算が。
機内の様子を乗客がテープに隠し録り、また管制塔と犯人との直接の交信テープが今に残されていて、それが再現されているその後にみた検証ドキュメンタリーはたしかに、臨場感のあるものだった。
番組名局名は思いだせないのが残念だが。
ピョンヤンに向かうはずの飛行機が、なぜソウルの金浦空港に着いたかの駆け引きはわかる。
そのまま、跨いでいたら、撃ち落されたって可笑しくもない。事件化されて、初めて、北朝鮮側も対応のしようが初めて考えられようというもの。
交渉の舞台設定ができて、さあ、それからだ。北朝鮮はなぜ「よど号」をさっさと帰したのだろう?
よど号犯だけ引き取るという決断。どのような利用価値を抱いたというのだろう。
機内の紙コップに書かれた犯人配置図、犯人らが日本を去るに当たって所持した書籍リスト、緊迫の機内にテープで流れていた楽曲名。副操縦士が記していた克明なメモなんかもその後のドラマをかき立てていく。
むこうでの名づけるところ日本人革命村での生活如何。
望郷の念に真実味が、もしあるならば、柴五郎になる覚悟で臨むのが筋だろうとも思う。
籠城戦の戦士のように、周囲が義和団の乱。
北京城ならぬ、金王朝。
自由を知っている囚われの身の人を救い出すべく徹底抗戦の秘中の策などを考えてもよさそうなのに。
柴五郎にそれができたのも、、深謀遠慮、大陸の土着民に深く、信用を得てしまってもいたからだ。
二つの国に捧げる理想も見つけられずならば、最後のわずかばかりのチャンス。
人道ということに賭けて名を残せる唯一の戦いでもあるだろうから、他言無用に、只々、義に恥じないというからには、会津の血の滲むような
歴史に準じるようなはかりごとを
おねがいしたいものだなあと。金三代世襲政権の覚えめでたく、現地の庶民からはかけ離れた生活をしてきているようであるからね。それとも、もう、話も聞いてくれそうにない、落ちぶれた、関係になってしまっているとでも。
無罪帰国だと。裁きを受ける覚悟もなし。
それまでのほのめかされていた贖罪意識は、カモフラージュだったのか。
濡れ衣だという根拠にも乏しく、まさか、それで、相殺してもらおうなんて。
共犯の疑いの残るいくつかの件についての説明、よど号犯にかけられたら疑念(勧誘拉致)、それに答えるつもりがあるのだろうか。安倍政権の以後の政府、捜査当局は問いただすなり、この件も、解明しようと、本気でしているのだろうか。