トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

四月から五月にかけて味わう詩

空を押し上げて

手を伸ばす君 五月のこと

どうか来てほしい

水際まで来てほしい

つぼみをあげよう

庭のハナミズキ

 

薄紅色の可愛い君のね

果てない夢がちゃんと

終わりますように

君と好きな人が

百年続きますように

 

夏は暑過ぎて

僕から気持ちは重すぎて

一緒にわたるには

きっと船が沈んじゃう

どうぞゆきなさい

お先にゆきなさい

 

僕の我慢がいつか実を結び

果てない波がちゃんと

止まりますように

君とすきな人が

百年続きますように

 

ひらり蝶々を

追いかけて白い帆を揚げて

母の日になれば

ミズキの葉、贈って下さい

待たなくてもいいよ

知らなくてもいいよ

 

薄紅色の可愛い君のね

果てない夢がちゃんと

終わりますように

君と好きな人が

百年続きますように

僕の我慢がいつか実を結び

果てない波がちゃんと

止まりますように

君とすきな人が

百年続きますように

 

君と好きな人が

百年続きますように。

 

(終わる・沈むなど)の箇所あるところで、少なくともお祝いや結婚式に向いている歌ではない感じ。

百年続きますようにのフレーズはさわり。

平和を歌っているように思える。

聴く人によって失恋歌、もしくは恋愛歌と捉える人もあり、それは自由でしょうね。親子の関係を歌にしていると見る向きもあります。母の日にはミズキの葉を贈ってほしいと頼んでいる歌詞に自分も着目します。(母の日になればミズキの葉、贈って下さい)(君と好きな人が百年続きますように)娘の幸せを願う親の視点からのフレーズ。幼時にみた薄紅色の君。

歌詞の意味を問われても本当のところ正解があるのだろうか。一青窈さん本人も困るのではと。

 

2番の歌詞が暗示しているのは、天国のわたしの思いの強さと、生きているあなたとは一緒にはなれない宿命だろうと解釈する人もいますが、そうは思わない。あなたの住む現世と、わたしがいるあの世は隔てられている。決して水をわたってはいけない。こっちに来てはいけない。確かに。でも、せめて水際まで来て欲しい。だから、この歌の主人公はテロで亡くなった人の魂からの叫びともみれる。身近に聞いて欲しい。

僕の我慢がという箇所、これがよくわからない。父親視点からのメッセージなのか。残された君たちの生活をこそ大切に考えておくれよ、という嘆願か。したい時に親孝行、親はなく。しかし、気にすることはないよ、好きな人、見つけて、幸せに日々おくることこそが、唯一の親孝行だよといっているように受け取ります。百年と過大に強調してもし過ぎることはない。(夢がちゃんと

終わりますように)ってのもなんか誤解してしまいますが、夢が夢で終わることなく現実にってことにストレートに表現していないところが、不思議な味わいに。

様々な聴く人の置かれた場面、老若男女の別なく受け取れるように、幸せと平和を願う曲。世代と時空を超えて響くテーマでもある。

僕の我慢がいつか実を結び果てない波がちゃんと止まりますように)

戦争とテロが止んで、いつまでも、安穏な平和が続きますように。

今の悲劇的な現実に対する怒りの波が早く静まりますように。

 

四月に味わった詩(宮沢賢治の)も付け加えておきます。