対談抜粋
〈佐藤〉
アジア・太平洋戦争を見る上では、世界的な枠組みで考えることも重要です。
イギリスはインドを植民地とし、さらにインドの兵隊を中国人と戦わせ、権益を拡大していた。アジア同士で戦わせ、自らは利を得ていたのです。そしてアメリカは、帝国主義で発展していくヨーロッパを見て、戦争を起こし、フィリピンを植民地化していきます。すると「欧米に挑み、アジアを植民地支配から解放する」との考えが、日本にとっては理屈が通っていたと見ることも可能なのです。
侵略や戦争は肯定し得ないものですが、歴史を正確に把握するためには、俯瞰的な視点が必要です。
私の父も日本軍に徴兵され、陸軍航空隊として南京にいました。私の父も安部さんのお父さまも、凄惨な戦争現場を目の当たりにした、多くの軍人たちの一部です。
〈安部〉
ほとんどの兵隊は、好んで戦地に来たわけではなかったはずです。赤紙(召集令状)を受け取り、絶望する気持ちで戦場に向かった。
〈佐藤〉
「殺すか殺されるか」という状況に追い込まれた兵士たちの心情は、想像を絶します。彼らは、加害者であると同時に被害者でもある。そうした状況を生み出すのが、戦争です。だからこそ、戦争を二度と起こさせてはいけない。この点に何度も立ち返るのが、歴史を振り返る一番の眼目なのです。
〈安部〉
ヒトラーは、偉大なドイツの復活を叫び、純血のアーリア人種の優位性を唱えました。それが、ユダヤ人の大量虐殺につながりました。また、日本では、初代天皇の即位2600年に当たるとされた1940年、記念行事を盛大に行い、天皇のもとに全世界を一つの家とする「八紘一宇」というスローガンが広がりました。
「神の国・日本が東アジアの盟主になる」との大義名分をつくり出し、それが、悲惨な戦争につながったのです。
〈佐藤〉
為政者らによって、何度も歴史が悪用されたことを忘れてはいけません。
最近の日本でも、耳を疑うような歴史解釈をしている政治家が見受けられます。差別や偏見と闘ってきたような人物であったとしても、気付かぬうちに偏った歴史認識に陥っているのです。
〈佐藤〉
盧溝橋事件(37年7月、注1)が起きた後、近衛が蔣介石(注2)とのトップ会談に臨んでいれば、大規模戦争は防ぐことができたという「if」も語り合いました。会談が実現すれば、日中戦争も、その後のアジア・太平洋戦争も、沖縄戦も、広島・長崎への原爆投下もなかったかもしれない。この点に学ぶ教訓は、たとえ国家間の関係が不安定であろうとも、トップ同士が会談に臨むチャンネルを、常に維持していくことの大切さです。
こうした想像力を働かせるのも、戦争を二度と起こさせないためです。
〈佐藤〉
石原莞爾(注4)は、いつしか日蓮主義をねじ曲げて解釈し、海外侵略を正当化するイデオロギーを生み出しました。
同じく日蓮の思想を深めた牧口常三郎は日本の軍国主義に抗して投獄されながらも、平和の信念を貫いた一方で、石原のように極論を唱えた人物もいたのです。
もっとも正しい真理のすぐ横に、もっとも危険なものが潜んでいる。私が信奉するキリスト教でも、そう説きます。しかしそれは、他者の尊厳を踏みにじろうとする勢力が強いのであれば、他者の幸福に尽くす人たちの輪も大きいということです。そう信じて行動することが肝要でしょう。
注1=盧溝橋事件 1937年7月7日夜、北京郊外の盧溝橋付近で日中両軍の間に起こった衝突事件。日中全面戦争の発火点となった。
注4=石原莞爾 1889年~1949年。軍人。満州事変を主導した。国柱会に入り、田中智学の影響を受ける。著書に『最終戦争論』など。
〈安部〉
今まで存在していたものが、突然崩れ去ってしまうことがあります。まさしく私たちは、コロナ禍やウクライナ危機、中東情勢などに直面し、当たり前だった価値観をもう一度つくり直さなければならない状況の中で、戦後80年を迎えています。
どう生きればいいのかと苦悩もしますが、これまで小説の舞台にしてきたどんな時代にも、現代に示唆を与える人物がいました。小説を通して、そうした人物の物語に向き合うことができます。
〈佐藤優〉
ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマス氏が述べた「未来としての過去」という考え方です。
冷戦後の世界ではそれまでの秩序が崩壊し、理想とすべきモデルが同時代には見当たらない。ゆえに、現代社会が目指すべき未来のモデルを、過去の中から見つけてくればいいと彼は言いました。過去をどう記憶し、解釈し、継承するかによって、未来のあり方は決定づけられるということです。
ただし、そこには危険性もあることを、ハーバーマス氏は理解しています。過去のナショナリズム的な歴史を選択的に取り入れてしまえば、“われわれは偉大な民族であるが、他の民族によって権利を侵害されてきた”というような排外主義に通ずる物語が、現代によみがえる可能性が高くなるからです。
そして事実、今日の世界でこうした思想が台頭してしまっていることは、憂うべき事態です。
平和と共生の姿勢とは対極にあるような、排外主義的な主張が強まる昨今の風潮。
〈安部〉
紛争、温暖化、食糧難、水不足などの地球的危機。私たちはまだ、これらを克服する道半ばにいます。
危機の時代には、価値観の転倒が起こります。アジア・太平洋戦争では「平和のために戦争に勝ち抜く」という言説が、真理かのようにまかり通った。それは、人々を高揚させ、扇動するような説法によって広まったわけです。
歴史を学べば、そうした扇動による群衆動員が、極めて危険な方向に向かいがちであることが分かります。
目立たなくとも、座談や対話こそが、平和をつくる法則です。それを地道に広げていくことが、今の時代に求められています。
〈佐藤優〉
「戦争によって恒久平和を実現する」と言うが、そこには、相手国だけでなく自国にも、深刻な被害がもたらされるというリアリティーが欠如しています。「平和のための戦争」はヒトラーも用いた詭弁ですが、実態は、為政者の都合による「戦争のための戦争」です。
しかし、ではなぜ、石原にそんな発想が生まれたのか。㊤でも述べたように、日蓮主義者であった田中智学を仏教の師と仰いだ石原は、いつしか間違った法華経の読み方をしていました。
〈安部〉
講演「世界最終戦論」の中で、石原は、“日蓮は、大戦争によって日本を中心に世界が統一されると予言した。その時は仏の神通力によって現れる”と述べ、最終戦争を正当化しています。しかし、そんな理屈が成り立つはずがないのです。
〈佐藤〉
それでも、石原の演説は国民の心をかきたて、ファンクラブのようなものができるほどの人気でした。
平和のためと称して戦争を正当化する根底に横たわるのは、生命軽視の風潮です。日米開戦時に陸軍省軍務局長だった武藤章の理屈は、こうでした。国力の差でアメリカに負けても、戦わずに譲歩しても、満州、朝鮮、台湾はとられてしまう。そうであるならば、最後まで戦い切り、後世の青年に戦後の復興を託そう――と。そこには命の重みが感じられません。
〈安部〉“明治維新の根本的な欠陥が、アジア・太平洋戦争につながった”というのが、私の解釈です。
〈佐藤〉
帝国主義的な発展の基本は、幕末思想家の吉田松陰にあったのではないか、との視点ですね。対談でも語り合いました。
吉田松陰が主宰し、幕末の志士を育てた松下村塾は、おおむね肯定的な歴史として捉えられることが多い。しかしそこにも疑義を呈していくのが、根源的に歴史を見ていく態度です。
〈安部〉
明治維新を肯定的にのみ捉えてしまう背景には、学校教育の影響があると思います。明治維新後の近代史にはあまり重きが置かれず、そのため、満州事変以降の10年間に何が起こったのか、石原莞爾の「世界最終戦論」とは何なのかなど、学校では多くを学びません。
吉田松陰の思想は明治維新を主導したと評価されていますが、一方で、獄中で彼が書いた『幽囚録』には、“朝鮮や満州、ルソン島などを支配すべき”との一文もあります。後のアジア侵攻の思想につながるような内容です。
さらに、明治維新の「失敗の本質」として見失ってはならない点は、明治政府によって、国家神道(注1)が臣民の慣習であるとされ、事実上の国教の地位を与えられたことです。
これによって、天皇の神格化が進みました。大日本帝国憲法では天皇のもとに陸軍と海軍を置くという統帥権が定められ、軍国主義化が進められます。
注1=国家神道 明治期以降に形成された一種の宗教。神社神道と皇室神道とが結びついて成立した国家の祭祀であり、国民に天皇崇拝と神社信仰を義務づけ、アジア・太平洋戦争中には戦争遂行の精神的支柱となった。戦後、国家神道廃止令によって解体された。
〈佐藤〉
アジア・太平洋戦争の敗北は、思想の敗北であったともいえるでしょう。
私の友人であるフランスの人口統計学者エマニュエル・トッド氏は、西洋の危機は突き詰めれば宗教の危機だと言っています。キリスト教徒が教会に行かなくなり、それでも自分はキリスト教徒だと自称し、宗教の儀式面だけが残っていく。それを彼は宗教の「ゾンビ化」と呼びます。さらに宗教が力を失った結果、ヨーロッパはニヒリズムに覆われ、今日の混乱の原因になっている、と。
ドイツのメルケル元首相は、自身のキリスト教信仰を前面に出す指導者でした。ベルリンの壁による分断の苦しみを知る彼女にとって、どれだけ東と西が対立し、相手を批判しようとも、神を信じる点においては東も西もなかった。宗教に支えられたその実感が、生命への畏敬の念を育んだのだと思います。だからこそ、国民の反対に遭おうとも、多くの難民をドイツは受け入れるという決断ができたのではないか。
〈安部〉
私が長年、小説家としてテーマとしてきたのも、人間はなぜ敵意やエゴイズムを克服できないのかということです。人類学の学説では、敵意とエゴイズムが、人類を今の地位まで押し上げたともいわれますが、今では、それらが弱点になっているのは明確です。体を大きくすることで地球上の王者として君臨した恐竜は、大型化が一つの原因となって滅んだともいわれる。同じルートをたどっているとするならば、人間は今、絶滅の危機に瀕しています。
人類の存続を脅かす敵意とエゴイズムを、どう克服していくか。その鍵は、信仰にあると私も思います。日本で親しみがあるのは仏教思想ですが、ヨーロッパにおいてはキリスト教やイスラム教かもしれません。
宗教が力を失ってしまえば、自分の国が一番だ、自分が一番だという情動が、ますます力を得てしまう。そうした風潮に打ち勝つための、見方や考え方、信念を、どのように磨き上げていくのかが問われています。
〈佐藤〉
いくら素晴らしい学説が出てきても、それだけでは解決策を提示できないことは明白です。自分の頭で考え、価値観をつくっていく。それが未来のモデルとなります。その途上で、AI(人工知能)のあり方はよく考えねばなりません。
〈安部〉
生来的に日本人は同調するのが好きですよね。「恥」の文化も根深く、他人の評価を気にして生きることに慣れてしまっている。そうした国民性が、アジア・太平洋戦争を無批判に支持してしまった原因でもあります。
ひるがえって現代は、盛り上がっている事象を見つけてはSNSで「いいね」を押し、そして多くの「いいね」が押されることを、多くの若者が生きがいとしている。これは大変に怖いことです。
「自分の頭で考える」と、佐藤さんは言われましたが、同調してしまいたい欲求は、人間誰しもあるわけですね。
ですから、自分にそんな欲求はないなどと切り捨てるよりも、そうした欲求を持つ自分を受け入れて見つめる方がよほど人間的ですし、その地点に立った時に初めて、「自分で考える」ことが可能になるのだと思います。