トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

古文調に馴染みないながら

人の国を奪うものは

 

古文調には馴染みないながらも、「吾人と世界」(一巻)の文を引用。その内容の核心を味わってみることにします。

 

「人の物を盗むものは盗として罪せらるるも、人の国を奪うものは、かえって強しとして畏敬せらるる時世」時代背景もあわせて考慮するも、この痛烈な皮肉。新冷戦、新帝国主義の台頭をみても今まさに含蓄のあるところ。

 

この戦前の一教師の警世の書は地理を通してときの帝国主義時代を評しつつも真の愛国とは何かを合わせて世に問うている。

ヘーゲルの「国家の目的は道徳にあり」といい、あるいはボサンケーが「社会および国家の終局の目的は個人の終局目的と同一にして最善なる生活を完成するに在り」というがごときこれ実に将来において認識せらるべき国家真正の目的にあらざるか。

著述には人の一生はどの地に産まれようとも必ず世界と関わっている。「野人微賤の一子女、呱々一声、すでにすでに命、世界にかかるにあらずや」

「もとこれ荒浜の一寒民、漂浪半生を衣食に徒消して、いまだいささかの世上に貢するものなし。しかるに一度想いをこの微賤の身辺に注げば、端なく無量の影響に愕然たらずんばあらず。五尺の痩躯に纏う一襲の絨衣、これはこれ粗なりといえども、けだし南アメリカもしくはオーストラリアの産するところにして、イギリス人の勤労とその国の鉄と石炭によって成るところ。五寸の痩蹠に穿つ一足の短靴、これまた、陋といえども、けだしその底皮は北アメリカ合衆国の産するところにして、その他の皮は英領インドのいだすところ。ここれを記して頭を擡げれば、耿々たる一穂の寒燈、また無言の裏に語る、コーカサス山端、裏海の畔に涌出し、一万浬外に運搬せられてここに至る。燈火を調節して視力の欠を補う眼鏡の小玻璃片、またドイツ国民の精巧と熟練とを想起せしむ。細民の寒夜、一瞬の生活、多くの思慮を用いずして、なお、かつ心頭に浮かぶところのももの、すでにかくのごとし。今もし、これら原料が、牧畜せられ、採掘せられ、蒐集せられ、製造せられ、運搬せられ、売買せられ、ようやくにして吾人の身辺に達するその間の力と時とを想像するとき、すなわち平素において、いささかの感覚だもなくして経過したる単調なる半生が、この広大なる空間と時間との絶大の影響の焼点において遂げられたりしことに想倒するときは、驚倒せざらんとするも得べからざるなり。余が一児生まれて母乳を欠く。すなわち牛酪をもってこれに代う。ときにしばしば邦製の粗品に懲り、医師に請うてようやくスイス牛酪を選定し得たり。これにおいてかもはやユラ山麓の牧牧童に感謝を払うべきを知る。転じてそれ一襲の綿衣を見る。たちまち黎黒なるインド人が炎天下のもとに流汗を拭きつつ栽培せる綿花を想起せしむ。野人微賤の一子女、呱々一声、すでにすでに命、世界にかかるにあらずや。吾人が本論の端緒として、ことさらに区々たる私人の細事を敢えてする所以のものは、これ吾人の心意発動の実際の順序にして、現時における最小の単位と見做すべき埋没生活において、なおかつ、しるがゆえに、それ以上の生活はもって容易に類推しうべければなり。

 

もしそれアラビアの肥馬に跨り里昻(りよん)の軽裘を纏い、カシミールの毛織に暖を採り、ベーリング海辺の毛皮に寒を防ぎ、パナマの帽子に暑を凌ぎ、南洋諸島の香料に疲労を癒し、トランスパールの黄金を積み、アマゾン河畔の宝石を飾るの輩に至りては、これ実に顕著に三帯の気候をもって、その体温を補い、五州の土壌をもってその身軀を肥し、五色の人種をもってその膏血に供するものにあらずして何ぞや。

 かくのごとくにして吾人は生命を世界にかけ、世界をわが家となし、万国を吾人の活動区域となしつつあることを知る。しかしてこは実に二十世紀の開明に際会したる吾人のなさざらんとすとも ほとんどうべからざるところにして、また、まさになすべきところのものなるを知る。しかるを何等の痴漢ぞ、敢えてみずからその限界を狭限し、いたずらに古来の障壁に拘泥し、蝸牛角上の小闘に忙殺されつつあるや。ただし吾人は単にこの理由をもってかのいわゆる汎愛虚妄の世界主義者に雷同するの弊に陥るべからず。これがためにはなお、緊切なる観察の一方面あるを忘るべからず。

 

吾人は信ず、刻下わが教育法の痌疾(こりかたまったくせ)たる観察力の偏狭、教科の散漫および学問と実用とのはなはだしき疎隔等の弊害の大半は、地理学の正当なる教授によりて医せらるべきを。吾人はさらに多くを言わざるべし。

 

いわく、地を離れて人なし。人を離れて事なし。人事を論ぜんとせば、まず地理を究めよ。」

労働が生み出した品々の価値、地と人と世界の関係。長々と引用しましたが哲学者カントが交易を通じての文化理解、その道筋そのものが平和への希求に繋がることを目指したのと同じく彼に地理を教えられた子は瞬時に世界との繋がりを感じた事でしょうし、生徒と向き合う彼のほうも人々の息遣いを思い浮かべる事が出来る広い視野を持った教育者であったことが想像できます。