


(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」2025年12月5日放送)のあのハンター通りのハンター邸、と関係あるのでは?と思い出して調べてみたら、そうでした。
移築され120年の歴史を持つ「旧ハンター邸」の謎 耐震工事後は北野へ戻る可能性も 王子動物園で見られるのは年内で最後かも
とのお話
【兵動大樹の今昔さんぽ】
という番組、一枚の古い写真片手に、その地を尋ね歩いて探し出すといういつものパターン。
兵動大樹さん:ハンター坂って坂もあると思ったらハンター邸、王子動物園に移築されてました。が、そこからも、移転する予定でしたね、確か。耐震補強とともに北野へ改めて移築することも検討しているというのが有力案だとか。この旧ハンター邸は明治40年(1907年)に建てられた約120年の歴史を持つ建物。元々はグレッピーさんという方が建てた建物をハンターさんが買い取り、部材を使って建て直したもの。約120年の歴史を持つ建物ということで、また、その威容を見てみたいもの。「旧ハンター住宅」の内部公開は、12月28日にて終了。公開時間は朝9時30分から16時まで。(動物園の入園料は必要)。4月の桜の季節までは、外部は公開が続く予定。その後は仮囲いされるため、外部見学もできなくなるらしい。日本とイギリスにルーツを持つ実業家ってことで、関係ありましたね。昨日の放送と12月の5日の放送内容が繋がりました。
E・H・ハンターは数多くの基幹産業を経営すると同時に、神戸市発展のため公共事業にも貢献。幕末に結ばれた不平等条約の改正も英国本国に働きかけるなど、力を尽くしたとは知りませんでした。
日本の近代化に長年尽くした功績により、1909年(明治42年)に勲五等双光旭日章を贈られている。当時の外国人としては破格の栄誉だった。晩年は神戸市北野町3丁目の高台に構えたハンター邸で余生を静かに送り、1917年(大正6年)6月2日に心臓麻痺で他界した。74歳だった。
範多龍太郎
(はんた りゅうたろう、1871年1月2日明治4年1月2日)実業家、造船技術者
1871年、イギリス人実業家E・H・ハンターと、平野愛子の間に生まれ、平野龍太郎として日本の戸籍に入る。龍太郎は神戸市で育ち、神戸一中、神戸商業講習所を卒業後、ドイツのオーデルキルヘン中学に留学し、さらにスコットランドのグラスゴー大学で造船工学と土木工学を修めて、1893年(明治26年)に帰国した。その直後、係累の途絶えていた範多才助なる戸籍を紹介され、同年12月31日付けで範多姓を継承して、範多龍太郎と改名した。平野姓を名乗っていた範三郎弟妹たちも範多姓に改められた。
範多範三郎
通称 Hans Hunter ハンス・ハンター
日本とイギリスにルーツを持つ実業家で東京アングリング・アンド・カントリークラブの創設者。
見立錫鉱山は最盛期には1500人もの従業員を擁するようになり、社宅が多数並んだ。ハンターは従業員の福祉を大切にする経営を行っていた。


宮崎県日之影町の見立地区には見立錫鉱山の資料館「英国館」があり、そこに従業員らと仲良く映るハンス・ハンターの写真が残っている。戦争という個人ではどうにもならない大きなうねりに巻き込まれて活躍の場も奪われ、独りで酒をあおる日が増えていったという。1945年に終戦を迎えたが、その2年後の1947年に脳梗塞で死去。64歳だった。
備忘録として記す。

