虚弱体質で兵役に就かなかった三島がより武の心を尊ぶに対して、対象的なのは兵役にも就き、軍務から戻ってきてからは反軍思想の持ち主となった渡邉恒雄。
ずっとずっと上の世代の方。亡くなられて久しい三島由紀夫と、つい最近まで矍鑠とされていたかと思えばお亡くなりになられた渡邉恒雄。(三島由紀夫が1925年〈大正14年〉1月14日生まれ、で、一年下の渡邉恒雄が1926年〈大正15年〉5月30日生まれ)。改めて認識、お二人一歳違いの同世代のお方であったことを。
また、それから三島の学習院初等科以来の学友との語らい。いくつかの資料。
竹馬の友のいたことも。
母国を離れてみて文学の徒から
哲学の徒へ。
しかしながら、病みがたくもあり
舞い戻るように、最後の作品となった『豊饒の海』武士道であったり、天皇思想、さらには陽明学の影響もあったことはよく知られていますが、その最晩年には仏教にも強い関心があったという事なのか。
終生、戦争で亡くなった友の事を忘れずに心に仕舞い込みながらそれぞれの道を真摯に生きたという点では共通しているお二方。
まず三島のほうの人脈から。
学習院初等科以来の友、いわく
生前の三島は葉隠の思想から、迂回するようにして、かのインドの大地にて、命とは死とはとの問いかけから一旦は、目指すところの価値、輪廻転生、煩悩即菩提、価値創造の実践学に近づきつつはあった。しかし、心底向き合おうとはしなく残念という他ない三島の自死、竹馬の友の憂い。
価値は外部から与えられない。 人間の主体的行為によって創造される。竹馬の友が師と仰ぐ牧口が「幸福には再現性がある」と語った背景には、 カント的自律思想と響き合う 普遍法則としての価値創造の理法がある。
カントは『実践理性批判』において、倫理や価値を宗教制度の外に置いた。 人間は外部の権威に従うのではなく、 理性によって普遍化できる原理に従うとき自由である。
価値創造の実践学の解釈。
戦後政治を語るという場面。初めて、渡邉恒雄氏からの告白にもあった。戦地でも諳んじていたというカントの文章。『実践理性批判』からの一句。この時の放送でも知る事に。
やはりその世代の学生にとっては、避けがたい魅せられる古典の一つでもあったのであろう。 牧口にとっての哲学は宗教と同じである。教祖や指導者として教義そのものを布教するのではなく、 人間が幸福を獲得し、社会に価値を創造するための実践モデルとして宗教を活用する という立場。
彼にあるのは権威の宗教ではない。組織や指導者の権威を絶対化する宗教者の姿勢とは根本的に異なる。 牧口の宗教観は宗教の為の宗教ではなく「人間の幸福という目的を達成するための宗教」そういう把握、扱いなのである。三島の死を悲しんだ竹馬の友の観察眼。
西欧の哲人の問いも同じくして
立法の形骸化を憂いている。
いくら法整備が、文明が、制度が、といっても、民主主義は永久革命。そう見抜いている。放置していれば濁ってしまう水のようなもの。
しかしながら上からの民主主義に頼る時代ではない。
これからは、悪なんてなくなりはしないというぐらいに、
どこまでいっても、仏と魔との闘い。
ハッカーが裏をかくように、
法を整えようとしているさきから、法の裏をかいくぐっていこうとするのも人間。
性善説よさようなら。
性悪説もさようなら。
冷厳たる実相を
見つめる他なし。
いにしえの聖徳太子がみつめたように、命を解き明かしたという
いつぞや見ていた番組、注目してもいた。
100分で名著シリーズ「法華経」。続きは「カント』だった。カントも、すでに200年以上前、経典「法華経」に言及している。
法華経の文、そして、そのシリーズの延長線上にはカントのテーマ「平和論」があった。
カントいわく。「真の永遠平和は、決して空虚(くうきょ)な理念ではなくて、われわれに課(か)せられた課題である」
交易を通じての利害調整、法の拡がり、異文化理解、その延長線上にある国際協調、国際平和。国際連盟その後の国際連合のはしり。萌芽の哲理。
しかしながら、紛争は絶えないし、現実はというと抱いたような平和の実現も、怪しいのが実態だ。
NHKの独占インタビューでマイク向けられて
のそのときの読売新聞社社主兼主筆、渡邉恒雄が誦じた、カントの文章を味わいながら、終えるとします。
カントにおいて人は「何を知るべきか」ではなく「何をなすべき」かということに関心が移った。神は道徳法則に移し替えられた。 「我々は『物自体(真の実在)』を知ることはできない。我々が知ることができるのは、あくまで人間に認識できる形に変えられた『現象』だけである」
「だから、理性の限界をわきまえよ」と実践理性批判。
〝私の心を感嘆(かんたん)と畏敬(いけい)で満たす二つのものがある。それは、星の煌(きら)めく天空と、私の内なる道徳律(どうとくりつ)とである″
カントの叫び。
人間を”手段”にするな
「政治家の二枚舌(にまいじた)」と「偽宗教の聖職者の偽善」を批判せよ。
人間の価値とは、「どんな物を得たか」ではなく、「何を為(な)すか」にある。
不知恩のものは、われ賢くとばかり、食法餓鬼の姿に落ちていること気づかず。