トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

2025年から思い起こすEXPO70

ずっと上の世代のこと。

「昭和45年 、昭和46 とい うのは、 どんな年 と思 います ? だ、皆 さんの多 くは、生まれていないで しょ う。」若い世代を前にしての講演での教授の語り。検索した講演内容はほぼ理解。自分はその頃は生まれてはいたな。1969 には 「大学紛争」が ピー クに達 して、東 大安 田講堂 に立て籠 もっていた学生が、8500 の機動 によって封鎖 を解除 させ られていた。ずっと、ずっと上の世代のこと。テレビ画面でしか知らない騒動。学校から帰宅後、かじり付くようにして見ていた記憶はある。教授の語りの続きの部分は自己紹介も兼ねながら和歌 山大学で図書館長 もや り、学部長 もや り、文部省( ) の間に色々な交渉もあって、当時の時代背景を語っておられた。

 

自分とは縁遠いアカデミックな世界。続きの部分、教授いわく1970 72 日本 GDP リカ で世 2 でした。21 " " と思 「明 日とい う字 は明 と書 くの ね」 とい 日吉 ミの した りま したね。 さん らな ょう も長 「明 日」 とい う字 を書 たが 「明 るい と書 くの とは の歌 で初 て教 られ した。 とに く、 「明 日は るい と、 日本 「万 」で した の年 、公 「イ タイ イ病 の発 ものす ごい 問題 のですと。また、世界に目を転じれば リカが 「ベ トナ ム戦 し、 も苦 くな た。 して 71 ドル を切 り下 を得 くな った 、これが 「ニ ・シ ック」 。こ うした 社会情勢、 景を。簡 に。

 

日本経済は右肩上がりで 2GDP築かれる中で、他方、日本の「よ ど号 」という飛行機 がハ ック され 飛行機 がハイ ジャック され 、現 亡命 「帰 くる」 とか 「来 とか言 る赤 北朝鮮に向かった事件もあった年、政治的な話題では大阪府知事共産党の黒田さんという人がなるという時代の雰囲気。

当時のことを振り返って語る元教授の和歌山大学学長でもあった角山栄氏のその時の肩書きは確か 市の博物館 長。

 

経済学部で教鞭もとっておられた方だから、経済学にはそれなりの一家言の持ち主。

 

共産党 の言 って いるこ と、それはおか しいのではないかというのが底流にある。

 

ピンと反応してくれる学生もいました。響いた んですね。

 若い学生との討論でも真剣勝負 のお姿。印象に残している。私の講 義は今 も言 った うに「これ らの日本 どうす るか」とい うことな んです から、単な る昔 の経済史 の話 と違 うんです。大塚史学 の話 と違 うんです、と。大塚史学は 「今 、革命を起 こさない とい けない」 共産党 の言 って いるふうなこ とと変わらないことを言 っていたんですね。

 日本では、その頃 は、社会科学 の方法 につ いても、たいてい、大塚 さんの 『社会科学 の方法』(岩波新書) う本 を使 ってりま した。そ の点 ではものす ごい影響力 を持 っていた んです。高等学校 、中学校の教科書か ら大学 のテ キス トまで、皆、大塚 さん系列 のもの を使 って講義されてしまう訳です。 大塚 さんはイ リス経済史 ドイ ツの方 は松 田智雄教授 、それか らフランス は高橋幸八郎教授 とい う東大 の三羽ガ ラスが揃 ってい ました。それで 「日本 の経済史は、大塚史学で非 ざれば人 に非ず」 とい う時代だったんですよ。それはおか しいのではないか。私 は、それ に対 して敢然 と、 「それ は間違 ってい るんだ」 と主張 した んです。 その 当時 歴史学界の主流 は、「一 国資本 主義論」 「一国革命論」でや って きた わけですね。それ は間違 っていて、グ ローバル に物 を見 る見方が大事なんだ と。今 こそ 「グローバル」 「グローバ リズム」 と言 うけれ ども、私 は、そ の当時か ら、大塚史学 「一国資本 主義 」に代わるもの として、「世界 資本主義」 とい うこ とを言 ってお りま した。

などなど。懐かしくも振り返ってしまうのは、大阪での二回目の万博を迎えたからであろうか。EXPO70のときは、またまだ親に連れられての大混雑の中、はぐれないように巡ってはいたのだが。