1970年11月25日 市ヶ谷 ― 番組の核心は、三島由紀夫 市ヶ谷事件でした。
1970年11月25日、三島は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入し、幹部を監禁。隊員を前に憲法改正を訴えたものの、反応は得られませんでした。
その直後に割腹自殺を遂げた三島の最期は、昭和という時代が抱え続けた矛盾を象徴しています。
三島は戦後民主主義と国家観の間に立ち、文学者としての信念を突き詰めた結果、この劇的な行動に至りました。
番組放送内容では、文豪たちの言葉が印象深く引用されました。
敗戦を迎えると、日本はGHQの統治下に置かれます。
それに伴い、戦時中に国家に協力した文章を書いた作家は一斉に批判されました。文豪たちが残した“言葉”の重さがそれぞれに問われることに。
次に別の番組で、感銘を受けたのはEテレ。
わたしの自叙伝 山本茂實〜野麦峠への道〜」
1980年放送された、再放送だった。
戦後へと続く日本社会の変化を、ひとりの作家がどう受け止め、どう記録し、どう作品に昇華していったかが浮かび上がります。
山本茂實という名前には心当たりがあり、視聴する最初に当たっていることが分かりました。山本茂實は『あゝ野麦峠』の作者として広く知られていますが、彼を形作ったのは「農村」「戦争」「戦後の若者」「庶民の声」という、大きな日本史の流れそのものであることを番組を見ることで得心していきます。
早稲田大学文学部、聴講生としての戦後。
戦後出発の思い。戦後の混乱の中での10代後半から23歳までの多感な時期に考えて来たこと。
それらを綴って投稿したら読んだという沢山の方からの感想がきて、同じような悩みの友達からの作品も自宅に届くという、思ってもみない反応。読んでみると、自分より、これはすごいではないか、という感慨深い心境に。
これは、そのままにしておくのはもったいない。それが雑誌創刊へと繋がっていく。雑誌の名前は「葦」。
山本は、文学だけでなく哲学・社会思想・民俗学にも触れ、
「庶民の暮らしを記録することが、未来のためになる」
という考えを強く持つようになります。
パスカルは人間は考える葦である。と。
山本にとって
葦との格闘。踏まれても、かってもかっても
生い茂ってくる、農民としての日常があって
仲間との議論も有って、心の内にはこのタイトルを付けることを決めていたとも。明かされていく様々な、戦後ヒストリーでした。
学歴・生活環境を問わず、一般の若者が中心の内容の文学雑誌。「葦」その時代を生きる若者たちの、生の声。インテリでは決してなく、今で言えばSNSのない時代に「若者の自己表現の場」をつくったような役割に近かったのか。風にしなやかに揺れながらも折れずに力強く生きる人間。そのような雰囲気が伝わる内容。