維新議員、元々、古参議員は自民党議員。
「二重党籍は今後、認められない。党から除名された場合は復党できないが、自分から党外に出るのであれば戻ることは可能だ。だから地方選挙であったとしてもひとまず自民党を離れろ」。この指令を機に自民党所属の議員は自民党を離れて、維新を名乗りだした党の歴史。
2010年4月の大阪維新の会立ち上げに参加したのは、橋下知事(当時)のほか、松井氏、浅田氏などの府議27人、大阪市議は坂井良和氏がたった1人、それに堺市議5人の計33人だった。所属政党は、自民党が大多数を占めていたが、民主党や無所属から参加した人もいた。大阪維新の会は当初、「ローカルパーティーなので既存政党との二重国籍(党籍)も可」としていた。「大阪を再生させる」という一点で志を同じくする人であれば国政に関する考え方は問わない、という姿勢だった。
維新の会が発足した翌月の2010年5月に福島区で、7月に生野区で大阪市議会の補欠選挙があった。福島区は自民、共産、民主などを相手に、また生野区では民主を相手に、大阪維新の会が勝利した。
そして2011年4月の統一地方選挙である。この選挙は大阪維新の会の将来を決める試金石だった。維新の会は候補者を広く公募することにした。ところがここで自民党との間で摩擦が生じた。
自治体なので課題は具体的である。関西空港の赤字問題、地下鉄の民営化、府と市の二重行政の打破など、実務課題が目白押しだった。実際に行政を掌握し数字や実態を見てわかったのは、多くの課題が放置されてきた原因が府と市の二重行政に由来するということだった。府と大阪市は制度上も予算上もばらばらで、おまけに首長が二人、議会が二つある。そのため一貫した都市経営ができていなかった。
維新は純粋な意味での野党ではない。もともと「自民党維新の会」を名乗っていた。
今では大阪自民は抜け殻同然。維新がとって代わって府市共に行政に取り組んでいる現実がある。
だから大阪では、他の地域で言うところの「政権与党の自民」の意向を伺うという感覚とはちょっと違って、根っから与党内野党の感覚、それ不思議でもない。
自民と連立政権組んでいる公明に対しても、
大阪でやたらに強い保守勢力の一翼という捉え方。大阪では2011年の春秋の選挙で知事・市長のほか議会の多数派を獲得し革命政権を樹立した。その後は改革型ベンチャー与党として、地下鉄民営化や財政再建等の難題に取り組み自民党と激しく戦いながら改革に手を付け、そしてその成果は地元では誰しもが認めるほどになり、結局、衆議院の19小選挙区では全員が維新というほどの支持を得てしまっている。
抜け殻同然の自民党大阪と一緒に厳しい審判を受け続けていく公明選挙区の議員も、それに関しては危機感。元はと言えば、橋下徹出馬の応援団の側でもあった立場の公明。都構想を巡ってのその後の立ち位置の違い。
維新が国政に出なければならない理由は公明党との対立などほかにもいろいろあったが、大筋の経緯はそれなりにある。維新は左翼系の革新政党ではなく、自民党が出自の議員が多い保守系政党だ。だが「保守が保守であるためにこそ、現状は変えなければならない(でないと都市は衰退する)」という現実認識があった。この17年間の大阪の維新改革はまさに保守系与党による大胆な改革だった。
改革型ベンチャー与党である維新の会の特徴は次の3つだろう。
第1に仕事師の議員が集まる集団である、第2に大阪での15年間の政権運営と改革の実績がある、第3に既得権益と戦うスタンスをより強固に固める事。大阪の自民党は2010年に松井一郎氏らの改革派(自治体経営再建&分権改革推進派)とその他の守旧派(既得権益容認&中央集権依存派)に分裂したところから始まる。
ちなみに維新を旧民主党になぞらえる向きがいまだにあるが全くの間違いだ。そもそも維新は保守政党であり労組と連携しない。また大阪府市の政権を獲得した後、旧民主党のように政権運営に失敗していない。
立ち上げに際し作成した党の綱領「大阪再生マスタープラン」には、「府市統合」「広域行政の一元化」など、その後、今日までに取り組んだテーマがほとんど書かれている。
維新の会の目的は大阪都構想の実現であり、これを議員の1期4年間で貫徹することになる。だから市議については「あなたたちは最後の市会議員になる。それでもいいか」と覚悟をただした。そして「事を成就することだけに集中し、その後をどうやって生き永らえるかは考えないでほしい」と要望したという。
今回の連立の意味、自維連立をどう見るか。
ある意味維新は権力の強さも弱さも知っている。我が国において政党とは「陳情集団」「利益団体」を意味し、政策に向き合う仕事師は少なかった。第2に維新は国政与党と対立する立場でありながら、日本第2の大都市で政権を15年も維持・運営してきた。府知事と大阪市長の2つのポストを得て議会で多数派を形成し国政における自民よりも強力な基盤を得てきた。
敵は既得権益であり、時代遅れの規制であり、そして中央集権体制である。大阪では維新が国政における「与党自民党」と完璧に入れ替わって、安倍政権の時代には官邸は大阪維新(主に橋下・松井時代)と連携していた。その意味で今回の自民政権と大阪維新の連携は初めてのことではない。両者の連携にはそれなりの経験の蓄積が確かにあると見たほうがよい。
大阪で維新は、大阪市役所の長年の労使癒着からの決別、関西空港と伊丹空港の統合・民営化(国による改革を主導)、市営地下鉄・バスの民営化、府立と市立の大学統合、子育て・教育予算の大幅増など、この12年間に大玉改革を続々と実現させたと強調するだろう。
実のところは、間にいた公明側の政府サポートあっての側面も抜きには出来ない。例えば教育無償化等々。単なる身を切るだけで出来ることでもないのだから。
維新は大阪を刷新し、日本を刷新し、自民を刷新する存在になりうるのか?かつて維新の馬場前代表が「維新は第2自民党」と発言し各所から批判を受けたが、その含意は、受け取り方によっては意味深。
どちらに染めるか、染まるかで、昨今の地方議員どころか、国政の維新参議院での秘書給与搾取詐欺事件など見ていると、元の木阿弥に感じない訳にもいかない。過去に処分された辻元清美の秘書給与搾取となんら変わりがない不祥事続き。
政治とカネの件で紛糾してきた、直近の国政選挙の審判。自民側に改善を求めてその回答得られず公明与党離脱の後には、すんなりと、どういう折り合い付けたのかも不透明な
維新の擦り寄り。そのスタンスの経緯、決して支持者からの全面了解を取り付けた風でもない。
維新は大阪府市の両議会で過半数の議席を得、また大阪の街の姿の変貌ぶりを知る奈良県民は自民ではなく維新の知事を、そして和歌山の有権者も補欠選挙で維新を国会議員に選んだ。
和歌山においては、その後、党内運営の独裁ぶりを見て、離党届け騒ぎ、拒まれて受理はされていないらしいが、その前後でも各地で離党者、パラパラと。これも、あんまり、リサーチされてもいない。高市政権発足ハネムーン人気ムードにかき消されてしまっている。
府と大阪市は制度上も予算上もばらばらで、おまけに首長が二人、議会が二つある。そのため一貫した都市経営ができていなかった。
そこで目の前の改革だけでなく、大阪都構想の実現も目指す必要があった。そしてその実現のためには地方自治法の改正が必要であり、そのために国会に議席を持って与党と渡り合う力が必要だという認識から事ココに至ったという維新側の説明。それも、ほぼ肯定的に有権者には受け入れられつつある中、今後、どうそういった維新勢力の動向を見ていくのか。
「大阪維新の会は政ポビュリズム」
の正体 吉弘介金著 ちくま新番
なんかの記述を読んでいれば、かなりのヤバい内容も。
(失職し、出直し知事選に立候補 を表明した兵庫県の斎藤元彦前知 事は、「大阪雑新の会」の危うさを体現していたのかもしれない。 政策の中身や成果よりイメージ 優先で、陣頭指揮をとる姿をいか にマスコミに報道させるか。常に 心を砕く一方、批判には過剰に反 応し、公益に関わる通報であっても徹底して潰してきた。傲慢で独着的な権力行使は維新の創設メ ンバーだった橋下徹元大阪府知事 が、「気にいらない記者は袋叩き にする」と語っていた管理手法に通じるものがある。 著者は、「維新の政策の本質的 性格」を、人、モノ、カネからなる「財政政策」によって分析、ロ ーカルな「地地政党」が、10年余 りで全国的な人気を獲得するに至った秘密をはじめて解き明かした。
看板政策である「身を切る改革」や「大阪の成長を止めるな」といった「イデオロギー的粉飾をはき取った」先にあった ものは、公共の利益よりも「個人 の利益に焦点をあてた財政ポピュリズム」であった。 人気取りの手段としての財政ポ ピュリズムは、マジョリティの意向を尊重するため、マイノリティ を踏み台に使う。「所得制限を設 けない、私立高校の完全無償化」 は、税の還元として府民から喝采 を受けた。しかしその裏側で、心 身上のハンディキャップをもつ児 童・生徒が通う」特別支援学校の 各種教材費や肢体不自由生徒の補 物スタッフは「ひっそりと削減されていたのである。 「大阪の成長」にしても、「部分 的な経済データ」を都合よく切り取り、「一部の地域や事業に偏っ た」成長を欺瞞的に述べていたにすぎなかった。 公務員制度をやり玉にあげ、公 務員の既得権益を削減するといっ た政策も、窓口業務などを「大手 の人材派遣会社に付け替えたも ので、あらたな利権臭すらする改革だった。 )とある。行政の本来の役割を歪めた維新の「財数ポピュリズム」は、やがて「私たち全体を貧しくする」との警告は暗示的でさえある。