トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

ブックレビュー

学生の頃はちょうどピンクレディーペッパー警部、ウォンテッド、UFOが流行っていた。其の他に耳にしたのはイーグルス(カントリー・バンド)のホテル・カリフォルニアだろうか。登場してきたときは鮮烈だった。

レデー・ガガがどうのこうの今もてはやされているようなのだが自分としてはそれよりはABBA(アバ)のようなポップ・ミュージックを聞いてみたいという_これもやはり世代なのだろう。当時の音楽が流れるとするとその時々の事件やら時代背景も眼に浮かんでくるのだ。社会人になってからのほうが本に向き合うようになっただろうか。ああ、あのときはこういうことに突き当たってそれにまつわる本なんかも次から次からと関連するように探していたなあと。陸奥宗光(下)PHP文庫、岡崎久彦。知られざる岩倉使節団 泉三郎。その他、経済小説高杉良の作品。「虚構の城」「明日はわが身」「懲戒解雇」等は司馬遼太郎の(竜馬がゆく)を夢中になって読み進むに似たような感覚だった。中国関連と政治向きの本は傾向としてずっと以前からあったけれど、その切っ掛けはというと硬めの内容の書籍ではなく、小説本だった。選択した本の一冊によっては中学生のときにクラスにいた女子学生のことを思い出すこともあるのだ。もっと会話をしてもよかっただろうにと。なぜ彼女は陳さんという姓だったのか。どこの国に由来した名前だったのだろうかと。

また、小学6年のとき学校の先生が黒板に書いていたお薦めの一冊というのもノートに書いていた。今ごろ見せても誰も笑って信じないだろうが(肉体の門肉体の悪魔)とちゃんと記している。読んだのは社会人になってからで、それも古本屋で見つけたのだ。これだと、ラディゲのものでなく田村泰次郎の作品。戦後の精神史を背負っている教師の内面が当時の数倍もの年月を経てやっと理解したのだった。

カメラに収めたそれ以外のもの、香港にまつわる作品と、あとは政治向きのもの。霞ヶ関帝国の舞台裏は室伏哲郎がいいのだけれど、もっと複数の視点を用意してみようと、_以下のように。タイトルは、ブックレビューのコーナーにするべきかの迷いもあったが政治世相というカテゴリーに限ってもすべて今日的問題意識を投げかけてくる作品なのだ。

 

「齋藤隆夫かく戦えり」草柳大蔵 令和の今こそ、このような政治家が求められているのでは。石橋湛山同様にリアリズムの政治家。政治家、斎藤隆夫の活躍を活写。(以前NHKで演説で魅了した政治家特集をやっていた。そのときの斉藤の声の印象はすこし高めだと記憶している。)

「粛軍に関する質問演説」「国家総動員法案に関する質問演説」「支那事変処理に関する質問演説」古文調に慣れないながらもほぼ理解のできる心打つ内容。

 

試練にたつ文明 アーノルド・J・トインビー著 「西欧文明は一見、世界を征服したかに見えますが、征服したのは、たかが物質文明だけであって、精神的な原理まで支配することはできていない。」西洋中心を脱した歴史観で東洋文明への期待にも言及が。「技術は、全人類に対して同じ精神的挑戦状を突きつけました。私たちは、精神のルネサンスを達成することによって、この挑戦にこたえなければなりません。もし私たちが失敗すれば、人類の前途そのものが暗いものになります」

 

香港の水 木本正次 著。日本のゼネコン西松建設を誇りにおもえるような歴史が。古本屋で副題にある(日本人の記録)というタイトルに吸い寄せられるようにしてたまたま手にした。読み終え、感動だった。

「香港の水」は大渇水に悩む太平洋戦争後の香港でダムなど上下水道施設建設に従事した日本人技師らの活躍を描いた物語。その後の以前耳にしたような汚職騒動ではさどや無念と、該当の経営陣と政治家に対してはOB達はさど憤慨していることだろうと思ってみたり。

戦後の日本が請け負う初めての海外工事への進出で、素晴らしいと思うのは、建設の流れを追っただけでなく、工事にたずさわる国籍を超えた心の絆まで深く描いてある部分。

戦争中に中国大陸で行った事への償いの気持ちからだろうか、中国人姉弟を支援しようとする日本人技師達の姿もそのひとつなのだ。この作品は、日本と香港の多くの人の間でもっと読まれるべきではないのかと思ってみたり。

木本正次の著作は他に(黒部ダム建設の)「黒部の太陽」がある。 

 

 

海の放浪者、阿部牧朗 徳間文庫 昭和五十一年十月、一隻のタンカーが瀬戸内海をさまよっていた。宮城県で廃油、廃酸などの産業廃棄物を積んで愛媛県今治港で降ろそうとしたが、危険物であるとして拒否され、それから十ヶ月、どこにも寄港できなかった実際の事件を題材に。NHK教育でかつて瀬戸内海の豊島に残る50万トンの廃棄物問題をとりあげていたが、ずっと以前にそれらの問題の発芽をすでに警告もしていた書としてこの阿部作品を推したい。そのジャーナリステックな筆運びは他の阿部作品とは趣が違うのだ。八方塞がりに追いやられていく海の男達の苦悩と対比して、著者は役人達の形式主義に怒りを叩きつけている。こざかしい縄張り根性とくさいものにはふたをしたがる身勝手さを厳しく告発し、呪っているようにも思える。

 

村山盛忠『コプト社会に暮らす』(岩波新書1964年から68年まで宣教師としてエジプトの地方都市に派遣された日本人牧師の滞在記。ちょうどナセル大統領の時代。「私にとってエジプト人の問題も日本人の問題も、それを掘り下げていく時、そこに共通の課題が存していることを知るようになっていた。」「例えば沖縄のことが眼に見えてきたのもエジプトにやってきてからである。」「(宗教)に対しても厳しさという観点から私自身の信仰を問い直さざるを得なかった。」(著書のことば本文より)

 

 

ロベルト・バッジョ自伝 ゴマブックス株 右膝十字靭帯断裂の大怪我。挫折からの復活。サッカーのファンタジスタ「ある意味で当然のことだった。ふたりとも敬虔なカトリックの家庭で育ったからね。ぼくは毎日、御本尊の前で祈り続けていた。彼女にとっては理解しがたいことだったと思う。でも、仏教がぼくの助けにな

ったのを見て、ぼくを理解してくれただけでなく、彼女自身も仏教に近づくことになったんだ。」(著書の言葉 本文より)

 

桑原武夫編『日本の名著』中公新書。選書にあたっての基準は示されていないが、序文に重要な指摘がされている。第1には伝統についての視線のことで、こう書いている。「伝統主義という言葉がある。ながくつづいた伝統には、つづくだけの理由がある。その理由の探求を怠って、これをいっきょに清算しようとするのは無理であり、またできることでもない」。第2にはその伝統の守り方への警告で、「わたしたちの人生の規範は伝統のなかに示されており、それを護持さえすればよいという意味なら、伝統主義は危険な保守主義であって、わたしたちは容認しがたい」。第3に、過去を見る見方である。桑原は端的に言う、「過去は現在に近いほど大切だとする歴史観が必要なのである」と。第4に、その現在に最も近い過去として「明治」を採りあげ桑原は、祖父母たちがおこした文化的受容がその後の日本にどのように定着していったのかをちゃんと見るべきだと言う。そしてかれらを云々するのではなく、祖父母に代わって、われわれ自身がその展開に責任をもつべきだと指摘する。第5に、「わたしたちは明治から1945年までの日本人の思想的苦闘のことを、どれだけ知っているであろうか。かえりみて恥ずかしく思わぬ人は少ないであろう」と結び、そのことを知るうえでも、近代の思想遺産を眺めるにはそこに多様性こそが用意されていなければならないと言い添えている。最後の画像は日本公共広告機構のもの。