トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

『よど号』とその後

2000 4月に彼等の現地での映像が放映された。彼等は現地で日本から渡った支援者たちと結婚して20人もの子供がいる。彼等はこの子供たちのためにも事件の精算を迫られて居るようである。しかしその映像に映る子供達が『父親のやったことは、少し常識を外れて居る、やり方として少し問題があった』と発言し、同席する親たちが笑い声を立てている。その親たちは『当時の乗客には申し訳なかったと思うが、日本政府や警察には謝罪の必要はないと思っている』と発言もしている。これらを見ると、全く懲りない面々とはこの連中の事かと思われ憤りが沸いてくる。

乗客の身代わりになって北朝鮮に飛んだ、時の運輸政務次官・時のヒーローになった山村新治郎代議士(36) 。事件後も名物政治家として1983農水相1989年運輸相になったが、1992 4月に次女に刺殺されて58歳でまさかの最期を遂げて居る。

そしてもう一人、この事件で時の人となったのは安全飛行『よど号機長・石田貞二・当時47歳』有名になったことで事件直後の19707 月に女性スキャンダルが発覚し、日航をやめる羽目に。その後の波乱の人生、お亡くなりに。

 

よど号誘導のミステリー

あの日、福岡空港を飛び立つ石田機長に渡された北朝鮮への地図は、中学生学習用の朝鮮半島白地図コピー一枚だけであった。1452分、その地図だけを頼りにしてよど号は、38度線を越えて非武装地帯に達するはずであった。その時、機内の無線に微かな応答が入った。『こちらビョンヤン ピョンヤン管制塔 これからピョンヤン空港に誘導する』との連絡であり石田機長はその指示に従って機首を大きく南に傾けた。1516分、よど号は無事にその空港に着陸した。空港には兵士たちが溢れ、チマチョゴリを着た女性たちが北朝鮮の旗を振っていた。しかし北朝鮮にしてはどうも様子が変であった。石田機長の目にも、黒人兵の姿が写り、犯人たちも異変に気付いた。犯人たちは、金日成の写真を持ってこいと要求した。この時の駐韓日本大使館防衛駐在官・塚本氏の記憶では『持ってこいと言われて、どこかにないか?と大騒ぎになった』との事である。益々不審に思った犯人が、機体を警備する兵士に英語で『ここはソウルか?』と聞くと何も打ち合わせのない兵士は『そうだ』と答えた。そこは平壌空港に偽装した金浦空港であった。何故よど号は韓国に誘導されたのか?マスコミは、日・米・韓の陰謀であると書いたが、もしそういう話があるとすれば、日本政府と米国CIAとの間に話があって、事後承諾で韓国が引き受けたものであろう。韓国側としても、人質を乗せたよど号をおめおめとそのまま北朝鮮に飛ばせるわけにはいかなかったはず。撃ち落とされてしまいかねない。

 

あの時代

そもそもの始まりは、1960(S-35)安保闘争からだろう。安保そのものはこの年に出来たのではない。1951(S-26)の対日講和条約の成立と同時に、日米安全保障条約は締結されているのであり、1960年は岸内閣によってその改訂が行われたのである。その改訂が日米の軍事協定を、より強固にしているとして、反米主張する左翼陣営から格好の攻撃標的になったのである。国会での強行採決に対して全学連デモ隊が国会構内に侵入し騒乱となり、東大生の樺さんが圧死する事故にもなった。翌年、池田内閣が誕生して所得倍増計画を発表してやや落ち着いた。1962年はキューバ危機、1963ケネディー暗殺もあったが、1964年には新幹線開通・東京オリンピックと社会は安定していた時なのである。

 

日本の世間並みの常識では、彼等のような重要犯罪容疑者の親族は、世を憚る生活を強いられる。しかし、支援者の演出もあるだろうが、全く憚ることもなくその帰国計画を数年前からちらつかせつつ、公表し、遂に実現している。それは、娘たちの問題では無く、既にテロ支援国と言われたくない北朝鮮にとっても邪魔者になり、相次ぐ死亡・逮捕でたった四人になってしまった彼等が、望郷と言う彼等らしくない生臭い心境の吐露。何とか無理無く『人道の名の下』に帰国しようする為の様子見であろう。おまけに、彼等も支援者逹も当時はハイジャック防止法も存在しなかったので、帰国して逮捕されても適用される罪状は精々監禁罪であり、悪くて10年、旨くすれば5年で出られることを計算済みなのであろうか。又、訳の分からない人権屋も活躍するのであろう。重信逮捕の時も気になったが、何故か彼等には支援者が付き纏う。重信の支援者の場合は、高槻の病院ぐるみと早くから分かって居ながら、證據固めのために長い期間泳がされたのち、逮捕されて居る。折りしも自民党・加藤派造反劇の真っ最中であった。(後に懲役8か月・執行猶予4年)                                 よど号犯人たちの支援団体は山中幸男事務局長が仕切る『救援連絡センター』。彼女たちは1997年に日本国籍を取って居るので、北朝鮮国籍はなくなっている。一時渡航証での片道切符であるが、日本でパスポートをとって、日本と北朝鮮間を往復する連絡役になっているのかも知れない。帰国を計画して居る彼女らの母親には、ヨーロッパでの日本人女性拉致事件が関係して居る疑いもある。その後、この帰国子女たちは、田中義三裁判を傍聴したとかのニュースはあったものの、世間は大した反応を示さない。その田中は受刑中に病死。あの事件は関係者のその後に付いても、いろいろな悲劇をもたらしている。

 

拉致犯、拉致に関わったとの疑いが極めて濃厚なな彼等家族のほうではそういった自由が獲得され、一方、未だ拉致被害にあった拉致被害者家族のほうでは、果たせていない帰国を、今か今かと老齢に鞭打つようにして、政府に頼らざるを得ない、やるせない現状。誠に苛立たしい限り

政治に関わる人には忘れてもらいたくないことでもある。