
左側に卒業年月、右に満州佳木斯(チャムス)昭和18年3月2日戦死とあった。
伯父の墓参りのときに見つめた墓石に刻まれた戦死月のこと。

自分は戦争を知らない世代ではあるが父らの世代は兄弟がそれぞれに軍務に復し、
生き残った者はあの戦争をそれぞれに回顧している。
父のすぐ上の兄がもし亡くなっていなければ100歳は超えているだろう。航空士官学校でどのように過し、戦地でどのように散ったのか。
3月という月はそれぞれの節目にあたる月でもある。転勤、昇進、また学生であれば入試の合否判定、卒業月でもある。
NHK総合テレビNHKスペシャルでは過去に太平洋戦争特集番組が組まれていた。
日本が戦争へと突き進む中で、新聞やラジオはどのような役割を果たしたのかについての特集内容だったことを思い出す。
第3回「"熱狂”はこうして作られた」というタイトル。
番組は開戦70年の年に問いかける意味ある内容だったと思える。
特筆すべきは当時の日本放送協会の代表も近衛首相が兼ねていたということをあらためて認めている番組内容で、
そのうえで、政策の決定に大きな影響を与えた「世論」の実体に迫ろうというものだった。
メディア側からの戦争加担の実態を認めたことから出発している点にその取り組みの姿勢の真摯さを感じた。
メディアと庶民の知られざる側面。時には政府や軍以上に対外強硬論に染まり、戦争への道を加速させたという、また両輪の一つとなったともいう、
当時の“空気”の正体を追っていくものだった。
新聞記者やメディア対策にあたった軍幹部が戦後、開戦に至る時代を振り返った大量の肉声テープが証拠。
あわせて新聞界にいたというむのたけじ氏の振り返っての肉声も聞くことが出来た。
戦後に立ち上げた「たいまつ」というむのさんの新聞を学生の頃読んだこともある。そのむのたけじさんは最近までご存命だった。
世界大恐慌で部数を減らした朝日新聞等新聞各紙が満州事変を機に拡張に転じていく実態、
さらには次第に紙面を軍の主張に沿うように合わせていくという社内の空気、それから紙面やラジオに影響されてナショナリズムに熱狂していく庶民、
その庶民の支持を得ようと自らの言動が縛られていく政府と軍の幹部たち。
その様子を活写していた。最終回はタイトルは(開戦・リーダーたちの迷走 )開戦を決定した1941年に焦点があてられていた。
なぜ日本は無謀な戦争への道を選択したのか。
新聞の論調の責任の大きさが理解できます。
そして、同じような轍を踏もうかと感じてしまうのは
今度は真逆の意味で、あまりにも平和ボケみたいな、左傾化論調が昨今の大新聞の誌面を飾ってしまっていた。
これが自分の受け取り方、危惧だった。
特に安保法制批判の朝日、毎日には違和感を感じていたことを振り返ります。
そして、戦後80年、NHKスペシャル「シミュレーション〜昭和16年夏の敗戦〜」
ドラマの方の配役は
近衛文麿首相(北村有起哉)、東條英機陸相(佐藤浩市)宇治田(池松壮亮)
前編に続いて、後編も期待。
