当時は高度経済成長の渦中でもあり、学内の雰囲気としては過激派学生運動の屋城にみられている趣きもなかには。
それでいて、そのようなことには我、関せず、とにかく、卒業して、就職して親を安心させること、ただそのことを遂げるために、通っていた。
洋館に和室を併設した木道平屋。
左手の部屋は天井が高く、暖炉や椅子、テーブルが並ぶ。

右手に進むと、急に天井の低い和室がある。
後に、増築されたもので、和洋折衷の珍しいものだという。戦後は、大学の学長や教員の宿舎として使われていた。
普段は館内に入ることはできない。
敗戦後の引き上げで、学び舎を無くしていた教員たちにとって、願ってもなかったという軍事教練施設の開放から転がり込んできた校舎の取得。
戦前は大政翼賛下にあったはずなのに、内地と違って上海では自由にマルクスの資本論も自由に読むことができるといった、そのような学風。それほど、軍に協力的だったとも思えない。

戦後はGHQから、決めつけのように八紘一宇の急せんぼう格のように疑われ、自分らの世代は知るよしもないが監視の目がついたともいう。共に語り合い、遊んだ海辺の砂浜。洋の東西、哲学と宗教、誓いとエール。自分らにとっては新たな出逢い。
親兄弟の心象風景との比較。
真逆の校風ではあっても共通の価値観の繋がりはある。
果ては、法事の時に耳にした、
5・15事件。
明野陸軍飛行学校時代の写真、
里を離れる前から昭和維新の歌を廊下で口ずさんでいた等々の話。
聞くともなく聞こえていた。
ああ、皇国少年、そのものではないか。と言った感慨。
ちょっとはあの時代でも、ラディカルな一面。少しでもにじませる何かが法事で聴けるのかと思いきや甘粕大将の名前さえ聞いてしまった。
なにしろ、尊崇していただなんて。嘘だろうと、思いたいくらいのショックだったこと。とおいとおい昔の記憶の断片。現役の頃にはできなかった反批判。途絶えていた安易な宗教アヘン論、学舎から遠く離れて、振り返るあの頃からの絆。思い出。反体制気質だった学生の頃とうって変わっての与党支持、それぞれの今の近況。それぞれの側面、別な新たな奮闘の始まり。
