トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

若き日の学舎の青空

銃弾に倒れて、一方は牢獄に死す

 

あまりにも自虐的な押し付けられ論に偏ることなく自尊、内発性あることを自覚したい

 

 

牧口、犬養ともに抱いた期待。どこかでこの二人は共感をし、そして僕たちにはわからないかもしれないのですが、なにか同じ目標、同じ理想が、この二人の目には映っていたのではないか。これは推測できます。古島が犬養と牧口をつなぎ合わせたということは、本当に犬養のことをよくわかった古島、本当に牧口のことがよく理解できていた古島が、接着剤のように、この二人が同じ思考法といいますか、同じものを目指す。同じものというのは、究極は一人ひとりの人間の幸福ですよね。教育の果たす役割ですよね。これをどうも近いものとして認識をして、この二人をくっつけたのではないかな、ということが十分に想像できます。犬養の考えは、明治政府の教育は忠君愛国ばかりだ。忠君愛国というのは非常時のことである。常時のことではない。常時の教育というのは立憲国民の教育、つまり憲法に基づいて一市民として生きていくということが非常に重要だ。そのことが疎かにされているのは非常に困る、と言っているのですね。これは牧口の教育観に非常に近い。犬養の教育観が、古島の文章で初めてわかりました。牧口と犬養の教育観の共通点が少しずつ見えてきます。という文言があります。つまり、巻頭の序の「天下に教ふ可からざるの人なく また以て教えざるべきの人もなし」という揮毫を犬養がしたためて、牧口の生涯の夢であった発刊に際して贈った源を辿ると、「古島氏の普通ならざる尽力に基づく」ものであった。牧口自身が書いている通りだと思われます。古島が牧口に犬養を紹介したということは間違いなく事実として確定できると思います。古島という人がいなければ牧口と犬養はたぶん結びついていない。

 

これは小説『人間革命』のなかで書かれていますけれども、出獄後、戸田はすぐに古島を訪ね、戦況を確認している。小説のなかで古島は弁護士ということになっていますし、「小島」になっていると思います。しかし、モデルは間違いなく古島です。それで戸田は7月3日出獄した後に古島を訪ねて、実際に戦争がいつ終わるのかということの確認をしているわけですね。古島が当時の政治の中枢で行われていることを把握していた。古島が把握しているということを戸田は知っていた。古島という人がそういう存在だということは、あらかじめ戸田はよく理解をしていた。もとを正せば、古島が犬養を牧口に紹介している時期から人間関係が続いているのですね。古島という人は信仰には入っていません。信仰しているわけではないのです。それにもかかわらず、これだけ牧口を護り、戸田との繋がりを継続してきたというところにポイントがありますね。

 

昭和33 年3月16 日に岸総理を呼ぼうということになったのは、まだ古島との関係が残っていたのではないか、パイプが残っていたのではないか。それが可能にさせたのではなかろうか、という推測が成り立ちますね。あくまでも推測です。可能性があったのではないか、ということです。これは今後の課題です。ここですこし視点をかえてみます。古島一雄は、長い期間にわたって犬養の秘書でした。犬養のことをずっと見てきたわけですね。犬養のことをそばにいて理解していた。

 

古島については、伝記をはじめとして、いくつかの研究対象が残っているのですが、それらの著述を読んでも、牧口との関係が一切出てこないのです。牧口と古島の関係について、確証がとれないのです。仕方がないので、古島が犬養をどう見ていたのか、我われが知っている牧口とどういう重なりがあるのかなと考え、このような手法をとることにしました。

 

犬養といふ人は打てば響く人だ、大きく撞けば大きく鳴る、小さく打てば小さく響く。党がどうしても犬養でなければならぬといふならば、誠心誠意を以て直ちに犬養の心臓にぶつかるの外はない」(「人間木堂の面影」、鷲尾義直編『犬養木堂伝(下)』、原書房1968 年、631 頁)。こういう人だということですね。

 

牧口と犬養は16 歳違う。同世代として生きたわけではありません。犬養は江戸時代の末期に生まれています。安政2年ですから。牧口は明治4年ですから16 歳違います。宗教がどうのこうのというよりも、むしろものの見方とか、友に親切。研究を通してみるとどうもそういうようなことが言えるのではないかと思います。「一面極めて優しい方であったが、其半面には又非常に負けじ魂の強い方でありました」「不慮の災難に倒れられたのは、教育改革のためにも真に惜しむべきである」牧口の犬養の死に対する感想です。

 

一方は銃弾に倒れて、一方は牢獄に死す。そのまなざしは等しく。二人の軌跡は未来に向けてのいろいろな大切なことを考えさせてくれます。

 

底流で繋がっていないとあの揮毫を贈るということはまずないでしょう。

 

陽明学という学問の「象詞記」のなかに、「天下にかわる可<べ> からざるの人なし」。世の中にピンチヒッターになって自分に代わる人がいるのかというと、それはいない。自分は自分でしかない。そういうような文章があるそうです。天下に変化しないような人は存在しない。自分に代わる人はいないし、自分で生きていくなかで絶えず変わっていくのだ。絶えず変化していく。変化していかない人はいない、という趣旨の文章があるそうです。これをもとに犬養が考えたのではないか、というのがひとつの説です。牧口常三郎犬養毅

 

政令の解釈講義

線引きした箇所

『徳政令

その他