
何度か処分を促され、古本屋行きにまとめるも、結局のところ手元において置くことになった愛着捨てがたいこれらの数冊。
カナダ人実業家のタイトル『ビジネスマン、生涯の過し方』
「苦役列車」で第144回芥川賞受賞された西村賢太作の作品。手元にあるのが『二度はゆけぬ町の地図』角川文庫。
日雇い仕事で生計を立てる19歳の主人公、貫多の日常を描く。友人も恋人もいない貫多は、
単調な労働の日々の中で同世代の専門学校生と知り合う。だが、彼女に恋人がいることへの嫉妬や学歴コンプレックスから、
自虐的で暴力的な言動を繰り返してしまう。作品には閉塞感と滑稽味が同居する。
『特命交渉人用地屋』のほうは成田空港問題裏面史だ。事実を自分に都合よく改変してあるところもあるかもしれないが、それを差し引いてもアンタッチャブルな特命
だ。 興味本位の暴露本でないことだけは言える。『翳ある落日』戸川幸夫作や、『戦時下日本のドイツ人たち』 (集英社新書)や『バルト海のほとり』または『神谷美恵子 聖なる声』
はすべて戦争にまつわっている。『戦時下~』は偶然にも当時の日本に暮らすことになったドイツ人たちの証言。貿易商、教師、留学生や兵士として、遠い日本で体験した彼らの日常生活は、ほとんど記録に残っていないというが、
それだけに聞き取った貴重なもの。大物スパイ・ゾルゲの素顔やヒトラー・ユーゲントの来日で沸く軽井沢など、意外なエピソードを豊富に紹介しながら、
大小の日常的事件を、24人のドイツ人が、おおらかに、そして真摯に語っている。戸川幸夫の『翳ある~』のほうはまさにそのゾルゲが主人公の事件を小説化したものだ。
自分の場合はいろいろ読んだがどのようなゾルゲ本よりも戸川のものが腑に落ちるのだ。『バルト海~』は、ムーミンの訳者として知られる北欧文学者であり、同時に、第二次世界大戦前から大戦中、ヨーロッパで日本の情報活動に従事した陸軍武官の妻でもあった小野寺百合子氏の貴重極まり無い回想録。
佐々木 譲 の「ストックホルムの密使」をあわせ読んだほうがいいかもしれない。中立国を仲介とした終戦工作がどのようなものだったか。『神谷美恵子~』のほうは終戦後の連合国との通訳として奮闘する
女性としての神谷の姿が記されている。戦前は父前田多門とともに海外に暮らしている経験が。
ときに再読したりもするのだが、筆頭は『天皇ヒロヒト』レナード・モズレー高田市太郎訳だ。再読していた背景には例の一ヶ月ルールを逸脱して外国の賓客の接遇を
ねじ込んだと騒がれていた時期。それもあって、皇室と政治の関係に思うことも多かったのだ。
最悪だったのはやはりマスコミの前での例の恫喝発言。「君たちは憲法を読んでいるのか。」と、あれは逆切れでは。それに「天皇陛下にお伺いすれば、
(特例会見を)喜んでやってくださるものと私は思っております」とまた繰り返す政治家、なんなのだろう、この政治家の思い上がりは!と
そのような感慨に。自分が訪中のときに歓待を受けたいばかりに、それとの交換で天皇会見が取引されたのではないのか、もし巷間伝えられているのが事実であるとするなら
、これはきわめてゆゆしき問題だと思えるのだが。これが天皇の政治利用でなくして、他になのがあるだろうと。
「天皇陛下の行動は内閣の助言と承認によって、行われる」だから、陛下にも動いてもらえばいいじゃないのと不遜に聞こえるのだ。
この文脈でいえば天皇への敬意を示さず、単に天皇を道具として扱うような危険があるのだ。天皇陛下に勝手に成り代わって自分の意見を述べる、
(民主党の小沢一郎幹事長が、天皇陛下の「お気持ち」を勝手に述べている。)
そして国民に押し付けるというのはたいへん卑劣で傲慢なことではないのか。政治家と宮内庁の喧嘩では宮内庁のその官僚のほうに気骨あるところをみたのだ。
、まあ、これらの騒動、時間と共に忘れ去られてしまう事件かもしれない。愛着捨て難い本の話にもどるが、皇室と政治の関係なんてそうそう、
考えることは少ないのが普通ではないだろうかと。
まあそれらの騒動は別にしても、きっかけはなんであっても天皇伝記本のひとつ、レナードのものは、ひとりの人間がそれも国運を双肩に担われ、
類を見ない波瀾の時代に歩まれた政治思想史として読まれるべき価値は大いにあると、ここでは記したい。
またいずれの思想信条の人であっても、たどり着いたいまの憲法下、象徴天皇制に暮らす国民として過去と将来を知る手立てのひとつとしても
よい読み物だと思えるのだが。
法の支配を象徴する君主と、その意味を知る自立した国民が次の世界を開いていくはずだから。
その他、日本人以外の著作物としては、ロシア貴族エリセーエフの日本滞在日記、戴季陶(たいきとう)の日本論。(戴季陶は中国国民党を代表する政治家で、
孫文の右腕として活躍。日本留学経験があり、日本語が堪能だった。そのため近代東アジア史の激流の中に身を置きながら、日本との関係に悩み続けた片鱗が。)
これらのことを理解出来る人から教わりたいものだ。手元から離さないとすることにする。小説本は再読することはほとんどないが、このようなものはあらためて
再読すると、わかってくる部分もあるのだ。
加えて『赤露の人質日記』
ペトログラード大学(現在のサンクトペテルブルク大学)で日本語の講師となったエリセーエフが、
ロシア革命が勃発後、ブルジョワであった為、ソビエト政権が成立するに至って一家を伴いフィンランドに亡命する、
この間の苦難に満ちた生活についてが、『赤露の人質日記』に詳述されている。
銃殺されずに出所できたのだが、拘留中は、家から持ち出した夏目漱石の『三四郎』『それから』『門』等を読みふけってたことが記されている。
早熟で当時の社会主義思想には本質的にはやくから幻滅していたようでもあるなあと感ずる。『経済論戦の読み方』は目次だけ記しておく。
はじめに エコノミストは役に立たないのか?
第2章 経済論戦の見取り図――構造改革とマクロ経済政策
第3章 日本経済の「新しい局面」の見方
第4章 日本の財政破綻はありうるのか
経済学は不向きなのか。感想書く用意がない。ただ、ケインズに学ぶ「需要創造と構造改革」シュンペーターに学ぶ「不況対策と技術革新」
マルクスが遺した宿題「国際経済における対立」ガイブレイスに学ぶ「市場経済へのチェック・アンド・バランス」などは普遍だろうと、それは思うのだ。