トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

親日派のための弁明

100年前の日本統治を肯定的に評価したというだけで韓国国内でのバッシング受けた著者キム・ワンソプ。

 

言論不自由ということにおいては日本国内では想像できない言論弾圧下にちかい状態での最初の刊行。

実感は我々日本人にはピンとこない。

 

韓国での「親日派」とは、日本統治時代に日本に協力した者という意味で、「売国奴」「民族反逆者」という非難を込めて使われるぐらいの時期もあったというから余計にそう思う。

 

命がけで言論を展開するというのは、そういうことなんだなと。思うしかない。著者の冒頭の言葉から。本書によって韓日関係の未来にあらたな希望が生まれるなら、私は正しい仕事をしたという誇りをもてるでしょう。

 

金玉均(1851-94

伊藤博文(1841-1905)

朝鮮の文明開化のために殉じた

二人の霊前に本書を捧げる

 

とありました。韓国にこのような人がいるんですね。

これは例えていうなら中国で堂々と共産党批判の書を出版するに等しいくらいの、勇気のある行為に近いとの評価も。一介の物書きが身の危険を感じなければならない現実は、いろいろな意味で考えさせられます。

 

 

振り返って第一次トランプ政権の北朝鮮との非核化交渉の頃を思い出している。自分はキムといっても、一方で政治的プロパガンダを繰り返す人の口からでるところのものに、耳を傾けるのではなくして、

今は、日本でベストセラーにもなったという、金完燮(キム・ワンソプ)という韓国人青年の書いた「親日派のための弁明」という書をあちらの韓半島の人達も、もっと読むべきだと感じている。一方で、ムンジエインの安易な融和政策に当時、危惧の念を抱いていたことを。

 

 

トランプ。構えは、自国の中間選挙がまずは最優先といった、また、ポピュリズムの人気取りが優先であるかのような構えがちらつきだしてきているトランプ政権。

南北会談は朝鮮半島の融和の動きにだまされてしまいかねないような流れ。

 

経済制裁でとうとう南北融和でしか生き残る道がない事を悟ったのだろうか。そうではないだろう。はたして、会談に至るまでの道筋。それまではというと、国際情勢、日朝関連では北からの挑発もあった。バスに乗り遅れた日本であるかのような北からの嘲笑。

 

永久にそのままではチケットがもらえないぞと、おどすかのような言動。

それもこれも、ピョンチャン五輪以後のシナリオ通りの行動をとっているまでの話で、特に騒ぐ事でもないだろう。ムンジエインの引いた絨毯の上を歩いてすべてが解決すればそれでよし。

あの時も日本は北の出方を見極めて適切に、それから行動すれば良いという感想しかなかった。

 

結果は北はやはり核を放棄する決断はしなかった。

手離せなかったのだ。

 

それでも当時の手前までの加熱な世紀の会談とかの報道、盛り上がりもあって、北の側では、逡巡もなかった訳でもなさそうなのだが、敢えてそこで、反対に国際社会を脅し、国際社会を翻弄して見せて、政権としては威信を保ちつつ、最後にはカネを出させるというストーリーは捨ててなかった。

 

国際社会からカネを引き出すというのが本筋であり、そのために核開発などという面倒な芝居を続けてきたというのが本筋かもしれないではないか。北朝鮮サイドからすれば、もちろん反論もあるんでしょうけれど。

ブラフがこれまで上手く効いてしまって、それこそ、重油エネルギー支援等々と取りつけた影で着々と核開発、本腰の段階へとまで辿り着いてしまった。

 

為政者の保身でいうところの

体制保障。

トランプにしたら、軍事的担保はアメリカが保証しよう。

お金が欲しければ、それは、日本に

出してもらおうとでも言うのだろうか。

 

もう、世界の警察官の役割り果たすのも疲れた。

今後は世界のことより米国第一。

内向きだと言われようが、

もうそれぞれの国が、それぞれに、自国の安全保障の

手立てを考えていってくれとでもいうような感じなのかもしれないではないか。

 

拉致問題金正恩の言動のブレ。

 

「周りばかりが言ってきているが、なぜ日本は、直接言ってこないのか」の言質。拉致問題は終わった問題、解決済みとそれまで言っていた北の言動こそ、

もっと問われなければならないのに。その口の乾かないうちにいい加減な言動の数々。

 

「韓国やアメリカなど、周りばかりが言ってきているが、なぜ日本は、直接言ってこないのか」と語ったという拉致の件。

 

この発言は韓国側から伝えられたもので、政府は、金委員長の発言の真意を慎重に見極めることにしているという。メディアでは、同種の融和ムードに乗り遅れてはならないとまで言いだすしまつ。

 

 

なんら実行における確証もない段階で。あの時、笑ってしまった。

 

 

非核化への具体的な言質はなおざりにして、平和ムードの拡散だけが先行していっている。日本国民の怒りがあの北に轟くようなインタビューにならなければならない時に、

隣国、韓国。意図的にやっている融和政策が、シビアであるべき交渉当事者まで影響を受けていることはないだろうか。日本の国民の声はナイーブに映ってんじゃないの、と心配になるような空騒ぎ。

 

それに極端な一部のメディアのなかには安倍をヒトラーに例えたりして嘲笑しているのにぶち当たることも。「まあ、それこそ、ヘイトではないの」と思ってもみたり。

 

馬鹿も休み休みに。

 

賛同と納得をどこまで得られるものなのだろう。

 

拉致問題はありえないという、どちらかいうと、今の人は知ることもないんだろうけれどあちらの肩もっていた感がつよかった、共産党。それに対して被害を述べるほうの関係者の声に寄り添うような動きをして除名された、元党員の兵本氏のことは覚えている。告白手記なるものも読んだ。

 

徐々に真相が明らかになるにつけ、方針を転換せざるを得なくなっていく共産党

 

それまでは信憑性が疑わしいとか、南のデマかもしれないなどとも言っていた社民党、もと社会党

 

それとよく似た発言者もその後はそのようなことも知らないで受け皿になった、参議院民進とかに混ざって、そのころそのようなこと吐いたこと忘れたかのように振舞っている。

 

立憲民主とか、希望とか、面々の多くは知らなかったはず。

 

テロ防止法、共謀罪と呼ぶのもいいが、先の安保法案を戦争法案、叫ぶのと、同じぐらいの勢いで、北朝鮮の国家テロ、拉致犯罪を許さないぞとか、中国の不法な海洋進出を許さないぞとか、叫んだことあるのだろうかとも思っていた。北の微笑み外交に惑わされている韓国に、右へならえして、圧力の北風路線は失敗だっただなんていいかねない野党もあったくらいだ。

 

野党の森友に関しての非難。官僚の不祥事は不祥事として、ここは与党の丁寧さこそを問われなければならないところにきているのは、それはそのとおり。

 

が、しかし、今後の日本の、踏ん張りどころが試されてもいる。

 

日本国内のまとまりかた、拉致問題への結束した在り様の如何も、問われていくかもしれない微妙な関係国の力関係。

 

国民が、どう怒っていくのか。一強多弱から少数与党と言われてしまう現下の政治状況。

 

愚昧なる大衆に翻弄される弱い基盤の政権は内外、共に軽くもみられていく。国会審議においては「首相、何時おやめになるんですか。」と、偉そうにも迫ってもいた野党。

 

質疑内容も、聴いていたけれど、野党の自説の演説が主に述べられていくばかりで、最後にその一言、そのような問いかけですか?と笑っちゃうことばかり。

 

まあ、何を質そうと自由だし、国民からの票をいただき、信任を得てもいるんだからそれもいいんだけれど、いずれの野党も多少の差はあっても

 

政権打倒の声はこの程度で五十歩百歩。最近は、審議拒否から、一歩前進。議事進行、運営委員長解任決議くらいか。

 

そのような必要性があるとも思えないが、野党の結集の掛け声もちらほらとTV画面から

 

現実的でない選挙公約ばかりを掲げる野党をいくら束ねてもなんら展望は見通せない。なにしろ実現可能な図式は未だ見せられた試しもない。先の解散総選挙にしてからが、日米安保廃棄と在日米軍撤退を叫んでいる共産党と、その公約さえ綱領さえ違う政党がいくら、選挙協力して、現政権打倒を叫ぼうが、判断のしようがないというところ。国の根幹にもかかわる基本的政策においてすら、このような態様できただけに仮に選ばれたとして日米安保廃棄で、どう北からの脅威にむかおうとするのか。

 

まともな野党が存在しないことが国民の不幸であろうという識者の声もある。

 

著書の韓国人はいう。

「ドイツは徹底的に過去を清算して謝罪しているのに、なぜ日本はそうしないのか」

「ドイツではいまだに機会があれば首相が隣国に謝罪L、教科書でもナチの罪悪を徹底して教えているのに、どうして日本はそうしないのか」

「なぜ日本はドイツをみならわずいまだに我を張っているのか理解に苦しむ」

だがドイツと日本は第二次大戦にかけての数年間、同盟関係にあったことと、ともに敗戦国であるということ以外に共通点がなにひとつないのだから、日本がドイツとおなじ行動をとるぺき理由はない。さらに日本は明らかにまちがったといえるものがないのだから、謝罪する理由といっても思いあたらないのだ。

むしろ大都市である広島と長崎を、新型大量殺傷兵器である原子爆弾の性能試験場として使い数十万の民間人を虐殺したアメリカのほうが謝罪してしかるべきなのかもしれない。アメリカは終戦まきわに開発した原子爆弾を日本人相手にテストし、たとえば200キロトンのウラニウム爆弾で何人の人間が殺せるか、被害は半径どれぐらいまでおよぶかを綿密に観察した。2日後、長崎にはプルトニウム爆弾を投下して、まったくおなじ実験をしたのだ。

 

 

日本は台湾と朝鮮を統治しながら、植民地を単純に搾取の対象としてあつかうのではな〈、投資と開発、教育を並行しておこなったことで文字どおり共存共栄する政策をおこなった。大東亜戦争をはじめたのち、日本は解放された植民地に自治政府をつくり、大東亜共栄圏に属する地域の指導者を集めた大東亜会議を日本で開催するなど、実際にその理念を実践に移そうとした。当時日本の意図どおり東アジアに共栄圏が実現されていれば、アジアはいまよりはるかに発展した社会を実現できたかもしれない。

 

 

日本と朝鮮の関係をイギリスとインドの関係と比較してみればわかるように、アジアを侵略したヨーロッパ人は植民地での自生的な産業発展を阻止し、どんなに低次元のものであれ産業といえるものが育たないようにした。これにたいし日本は、台湾と朝鮮の遅れた杜会構造を解体してたちまちのうちに産業革命の基礎をつくり、圧縮された成長をめざす政策をとった。アジアとアフリカを侵略したヨーロッパ人は、この地域で資源を収奪し、この地域を工業製品の市場にするという目的があった。したがって植民地住民の生活水準が向上して賃金があがり、資源採取のコストが高くつくことを望まなかった。ましてやヨーロッパ人は植民地の経済が尭展産業革命がおきて工業化することなど、まったく願っていなかったのである。(キムワンソプ)