ときを経て、立憲君主制や、あるいは日章旗や君が代をスケープゴートにしたてていく風潮もなかにはあるが、日の丸や君が代の問題も同じで、天皇の戦争責任を考えるときに、忘れてはならないのは、それを望んだ国民がいて、政府が決めて軍が実際に戦争を遂行したという流れである。
『NHKスペシャル昭和天皇二つの「独白録」』 (過去に放送の)は確かに見ごたえあったこと思い出す。
大東亜戦争の遠因として昭和天皇は、第一次世界大戦後の平和条約の内容に伏在している、としている。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず(国際連盟で過半数の賛同を得たにもかかわらず、議長国アメリカによって廃案にされた)、黄白の差別感が残存したこと、カナダが移民を拒否したこと、青島還附を強いられたことなどが日本国民を憤慨させたとして、「かゝる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上つた時に、之を抑へることは容易な業ではない。」と述べられている。
A級戦犯だけが戦争をやりたがったかのように言われているが、実際には、軍縮条約を統帥権干犯だと突き上げたのも、天皇機関説の件や、さかのぼれば「君、死にたもうなかれ」の詩を詠んだ与謝野晶子をバッシングしたのも、内村鑑三の不敬事件も、上からではなく下からだった。政府は何もしなかったのに国民とマスコミが叩いたのだった。
開戦について昭和天皇は「東条内閣の決定を私が裁可したのは立憲政治下に於る立憲君主として已むを得ぬ事である。若し己が好む所は裁可し、好まざる所は裁可しないとすれば、之は専制君主と何等異る所はない。」また、もし内閣の開戦決定に元首として反対を表明すれば「国内は必ず大混乱となり」、田中事件でさえ「宮中の陰謀」と言われたくらいだから「私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証できない。それは良いとしても(元首を倒したあとには)結局強暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行はれ、果ては(玉音によって整然と鉾をおさめたようにはいかず)終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になつたであらうと思ふ。」と述べておられる。では天皇には責任はなかったのか。言われる人もいるが
もし日本が専制君主制だったなら、責任は君主にあるだろう。しかし日本は、帝国憲法下でも「立憲君主制」だった。天皇は、輔弼者である内閣が上奏するものを裁可するだけだったわけなのだ。