その後の父は、自身の選択した宗旨で兄たちを弔ってきたはず。
靖国にこそ、参ってないが。
戦死した真ん中の兄。生き残って敗戦後戻ってきた、一番上の兄。復員の遅れとその後の価値観の反動でか、一旦は愛想つかした国家でもある。
しかし国とか集団に、一旦は愛想つかしたはずの兄のほうも戦後の復興と同時に、企業人として、組織人として、執行役員にまで。
それを親父は(弟の眼から見て)どうみつめてきたことだろうか。
その変化とその兄の生涯、死を見届けて。
靖国に参るのも、参らないのも信仰の自由。
親子というものは近くでいながら、あまりにも知ら無さ過ぎる面もあることにしばし、気づく。
そうだったのか。と。
そういうことも今までは知らなかったなあ。
日本がボロボロになる前の、ときのことだ。余裕あったのだろう。
まん中の兄の戦死の知らせに。遺骨が丁重に。敗戦間際であったなら、有り得なかったかもしれない。名誉の戦死とか言われて、凱旋祝いでもあるかのような周囲の万歳に、複雑な胸の内だったことをも想像している。
オヤジにしてみれば、大好きだった兄が、あわれにも、ちっちゃな、函に収まって帰ってきたのを見詰めてどう思ったことだろうか、そのとき。両親を早くに亡くしてきた末っ子のオヤジだからこそ、いつも見つめてきたのは、兄弟の絆の確かさだったのかもしれない。親父の世代の兄弟の歳の開きは大きい。ジャムスで真ん中が戦死して、長兄と末っ子の親父が、生き残って戦後を歩み出す。
オヤジに成り代わって、見つめてみようと思う。世の流れ。
すでにオヤジは亡くなって久しいのだが。まあ、黙して前を向いて生きていくことだけを。恨みがましいことも言わずに、失った兄たちの分までを生きることで。息子の自分は、親孝行はできなかったけれど、孫がその分。最期は孫に囲まれて幸せだったのでは。
東京の市ヶ谷。靖国通り。
『アメリカの鏡・日本』という書。
これなんかも、複眼視ということの重要性を教えられる、ちょっと、印象深いものだった。アメリカ人でありながら
よくぞ、こういうことを言ってくれましたって感じで、
マッカーサーが当時、禁書に指定するだけのことはあると、そう思った刺激的な書でした。
「戦後生まれの君らがどういおうが、君らのように戦争秘史はしらないが、俺らは
戦争の悲惨さだけは、肌身で知っている。」
もっと、もっと、亡くなったオヤジからも聞き足りなかったことも、あるかもしれないし。あの世代の方たちのほうでも語り足らなかった部分はあったかもしれない。
いまはこれらの書から、戦争に挟まれた世代の、過ごしてきたという歴史観含めて、それらのことを複眼視している。
国家神道のもと、鬼畜米英と叫んでいた時代
戦後の信教の自由と憲法。
根幹。理解している政党は本質的には少ないなあと。
それと
複眼視ということの重要性も含めて思うこと多し。
墓石にある彫られた
確認できるところを。
卒業年月日戦死年月日、それから叔父の戦死地、満州
佳木斯(ジャムス)



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