何事も主体となって取り組む立場の人からすれば見る風景も決して同じではなく、それぞれに、貴重なる経験、それは現在進行形ではあるだろうなと。
それなりの、敬意の念と傾聴されるべき、理念というものにも深く注視していかねばならないはず。
あの、万博が、人生を変えたという、体験を語る人、決して多くはないにしても、必ず何かの拍子に聞くこともある。
今あるのもその時に万博で抱いた決意がそうしたんだとか。今ある、仕事も、それまでは紆余曲折あったにしても、ようやくの
当時の夢を叶えたんだとか。
はたまた、その時の出会いが生涯の伴侶との始まりだったんだとか。聞けば、色々と出てきそうというのも、振り返っての万博の魅力のうち。
人生の、節目節目に、思い出すという起点に、必ずと言っていい程、万博EXPO 70が加わる。よって、これからの人も2025の、万博が、そういう位置を占めることもあろうというもの。
あの時を、もって、自分の人生の分接点だったなとか。飛躍の、一歩だったとか、はたまた、躓きの、一歩だったなんてことも、場合に、よっては。あるかもしれない。いずれにしても.良くも悪くも、世界全体が大いなる文節点に差し掛かってしまっている。
ガザ、または、ウクライナの戦火を、みても先々の不透明感は如何ともし難い。
ガザの、ときも。仲介と言いながらネタニアフの言い分に即した判断続いていくトランプ大統領。
ハーバードの学生の反戦運動には
意趣返しよろしく.兵糧攻めの助成金ストップですか。学生への非難言葉も、そういう時に
反ユダヤ主義の蔓延りを許さないとか
そのような言葉使うのですね?理解に苦しみます。ケネディの力強い明確さとの違い。
真っ直ぐな伝わるメッセージとそうでない違い。
キューバ危機の時も、思い返す。もし圧力に屈してたら、もし、ケネディの言葉がニキータ、フルシチョフの心を、動かせていなかったら。今頃われわれは核の冬に住んでいたかもしれないし、もっと悪くすれば人類が絶滅していた可能性だってある。核の脅威は
今再び、静かに進行してきている。
経済の危機も同時並行だ。
鉄鋼USスティールをめぐる司法省や連邦貿易委員会との対決、経営陣の背景にある労組との結託した要求。当時ケネディが飲まなかったこと。これなども今のトランプと、似ていて非なる行動。興味深く、面白い。
トランプの場合は経済合理に任せるべきところを介入。経営陣は合併を、望んでいたのに、ラストベルトの有力鉄鋼労組の票が欠かせないとの、判断もあったかもしれない。それにしても、元々からの、ブロック閉鎖経済が成立可能だと思っている節があって、鼻から、確信犯的、日鉄USスティール買収交渉阻止。
福音派もトランプの政策支持するくらいに、どこか、移民への、嫌悪感をむき出しにする。歪でもある。ラストベルト地帯に住む白人主体に信者の輪の拡大。トランプに共鳴.シンパシーを感じて応援していくグループとそもそも福音派の目指していたものとは?果たして肌合いがあうのか。?かくなる、疑問符も。
学生の頃、懐かしく思う事。
全てが、右肩上がりの、経済。それしか、知らないで、社会人となってからのバブル不況を、それ以降は、成熟経済とはよく言ったもので、悪く言えば、縮小均衡とまでは言わないにしろ、ギラギラした欲張った野心的な挑戦の空気感がどこか、引っ込んでしまったような、感じ。そういう声多数。
巡り合わせも、複数の伏線を、感じてしまう、それは税と憲法だ。
税収と使い道の関係。これは、税の、課題。
未来への投資が今以上にあったのが過去の万博ではなかったか。
憲法は安全保障の基本と関わる課題。
トランプの問いかけを一蹴してしまうこともできないのだ。片務性。矛と盾。日米安保条約の変遷.全く知らないで、日本に一方的に求めているわけでもないだろうに。日本はアメリカを守らないのになぜアメリカは日本を守らなければならないんだい。素朴過ぎて、だって?それまでの経緯知らないわけでもないのに、同盟国に今そこ?
関税交渉の俎上にそれ絡める?
関税だって、そのウチ、恥ずかしくなってくるのがアメリカの方で経済合理外れて、言い募るアメリカ当局がアメリカ国民から、ブーイングされるでしょうし、そのうち物価高で値をあげ、最終、時間軸では、中国に振り上げた拳も下ろさなくてはならなくなるのではないか?
それに
「世界の警察官の立場はもう辞める」とは。
アメリカの威信も落ちたもの。アメリカ自身が言い出すぐらいだから、あの輝いていたケネディの時代とはもう違ってしまっている。
かつての熱気を取り戻そうとするイベントに変わってきた感のある万博、日本の現在の経済環境は「70年の時とは全く異なる」。日本が高度経済成長期にあった70年代は「経済的な奇跡として歓迎されていた」その後、「日本は90年代初めの不動産・株式バブル崩壊以来、経済が停滞。人口は減少し、急速に高齢化した。債務は膨れ上がっており、経済成長見通しは現在、米国との貿易を巡る緊張の高まりで一段と危機に直面している」という見立ても。その通りかもしれない。現在、関税ディール米国との貿易を巡る緊張の高まりはまさに、その通りだ。国内においては「メタンガスが検出」「警備員が土下座した」「まだパビリオンの開館が間に合わない」といったネガティブ情報、デマや不正確な情報も飛び交うのも不幸なことではあるなあと考える。持続可能な開発目標(SDGs)達成への貢献、または日本の国家戦略「Society5.0」の実現を目指すというからにはそれなりの仕掛けも期待している。まだ、会場に足を運んではいないにしても関西圏におる身、それだけで、波及効果らしき空気感。人手不足の悩みやら、賃金上昇への期待値も自ずから増していく方向に。55年前、高度経済成長期を象徴した大イベントになった大阪万博は「人類の進歩と調和」がテーマで、会場は「夢」と「希望」が充満していた。1970年の大阪万博よりもウキウキ感はあるかと問われれば、そこまでは自分の場合はないのだが。それでも、行って見ればそんなに、悲観したものでもないのかも知れない。悲観しなければならないのは、そういう、ネガティブな感情、そのものなのかも知れない。テーマは「いのち輝く 未来社会のデザイン」なのだから、もっともっと、そのテーマに思いを傾けようとすればいいのかもしれない。そうする人もいれば、それはそれとして、とにかく、楽しもうぜとエンタメ中心に各展示館を駆け巡るという人もいるでしょう。まあ、それぞれにあっていい。
世界最大の木造建築「大屋根リング」にも関心が集まるかもしれない。それでも誤解を恐れずに言えば、やはり1970年の大阪万博よりも全体として見劣りする点は否めないのでは。
人口減・超高齢社会に突入している日本、過去の成功パターンにすがりつこうとする向きなしとも言えない。受け取りかた、これも、人それぞれだから、自分と違ってそう見えない人もあって当然なのだが。
そんな成功パターンすら知らないよ。若い世代の取り組み。それらからしたら、おじさんの勝手な言い分、物言いに聞こえてしまうかも知れない。
ウクライナ、ガザの件言うけど、過去の大阪万博の頃に紛争、戦争がなかったわけではない訳で。ベトナム戦争を思い浮かべもする。あの時は、ベトナムを北と南を分ける冷戦、派兵するアメリカ。
背景にある米ソ冷戦。共産主義のベトナムへの影響、各地への浸透波及ドミノ現象を嫌っての判断。
ウクライナの今回は、ロシアからの一方的な
侵略。コレは真逆の自由主義化の風を嫌っての判断。
防戦すべき、自由陣営の、リーダーであったはずのアメリカ。世界はその持てる対抗手段を発揮したとは見ていない。
侵攻を事前にキャッチしたはずのアメリカが。ケネディ時代のようにうまく対応できていない。比較するのに過去の『キューバ危機』ケネディ政権誕生時期の時点に絞ってかえりみたほうが分かりやすいのかも知れない。その成果は、核戦争一歩前までいってたのを引き止まらせたと言われるだけのことはある。フルシチョフの心を、動かせたのだから。
ちょうど巡り合わせなのか、フランシスコ教皇の死の報道ニュース、それもあって、映像の世紀番組では、カトリックのコンクラーベで選ばれてきた歴代の教皇の顔ぶれと、冷戦構造の歴史、紐解いてゆく。番組映像の世紀バタフライエフェクト。政治と宗教のアングルで時の国際社会とバチカンの対応の変遷、多様化とまた、それとは違った、諸外国の特にアメリカの福音派に対する取材内容も。トランプ所属の福音派という独特の集団、その信仰にアプローチされていた。
政治と宗教。ケネディ政権がクローズアップされていたのも、教皇の死もあってか焦点は、ケネディはカトリック教徒であった点。カトリック教徒だったということで背負っていた側面。アメリカではプロテスタントが主流だから、大統領になれるなんて周囲からは思われてもいなかったんだとか。良くは思わない国民の側の心配に、何があるかと言えば、アメリカの大統領が他国のバチカンの影響下に入ることになりはしないかという危惧の念だ。ふむふむ。
それらの巷の評価を塗り替えていくような選挙選と彼ケネディの演説、遊説のカメラ映像が重なって、ついつい、魅入ってしまう。
なるほどと。
スピーチや記者会見はその人の教養や洗練された、歴史観や人生哲学までも表すことが往々にしてある。日本の政治家には少ない言い回しの数々。文化的背景の違いもある。それでも、日本の政治家に多いのは哲学や、歴史に、興味も持たず.経済のことしか頭にない人間からの多くはそんな中身しか感じないことも多いことから、それとは、対極にあるケネディの発せられた言葉には味わいがあることを再度、実感してしまった。番組では、ドイツの、ベルリン訪問して歓迎をうける演説シーンだったけれど、過去に読んで感銘した国際ジャーナリスト落合信彦の著し『ケネディからの伝言』という伝記本をも思い浮かべたりしていた。
理路整然とした中にも感情に、アピールすることも忘れないケネディ。
プロテスタントが多いアメリカで彼、カトリックのケネディが大統領になるなど当時は誰しも考えられなかったという中、ケネディは不利を承知で挑んでいく。自由と民主主義の存立の危機。ソ連との闘い。 大統領選を左右する、本来は、宗派、宗教の別とは関係のないはずの様々な為にする誤解と批判。
彼の反論はこう。「もし真に重要な政策をめぐる論争をして選挙に敗れるなら本望。私は全力を尽くし、公正な審判が下されたという満足感を、もつて、上院に戻る。しかし、もし、この選挙が4000万人のアメリカ人が洗礼を受けたその日に大統領になる機会を、失ったという考えのもとで決められるなら、それは世界中の、カトリック、非カトリックの目から見ても、歴史から見ても、そして我々自身の、目から見ても、それは真の敗北者はこの国全体ということになる」これなどの文学的表現。凄い。
日本の政治家のスピーチなんかは貧弱に感じてしまう。
いかに文化や言語が違おうとも共通した普遍的な次元の話はあるはずで、日本人にしか通じないような慣習や固有の自慢話をしていては軽蔑の的となりかねない人が多すぎます。石破茂首相の現地で記者質問に、受け答える形で仮定の質問には答えないのが日本の流儀であるかのように、それも受け狙いだったのかしれませんが、はぐらかす仕草がどう伝わったものか、決して感心はしなかったです。ケネディの場合を、引き合いに出して申し訳ないですが、彼のトークは時にユーモアもこめて、反語的に意図を正しく伝えていく。例えばこう。東西ベルリンの境に一夜にして、鉄条網の壁が作られ、コンクリートの壁の建設が始まった。これに対してケネディは、頑として、容認することはなかった。あの当時、どこかで米ソがぶつかればあそこだろうといわれた一つがベルリン。だから、西ベルリンを訪れてまで人々に呼びかける必要性も感じたのだろう。出向いていく。ベルリン市民への励まし。東側のソ連からの圧力、東西分断の圧力、高まる中、広場での呼びかけ
「恐怖をもって人を脅す者は恐怖から自由になれない」という言葉を思い出すべきである、
わらわれは、私のものは私のもの、あなたのものは交渉次第という連中と交渉することはできない。危機の時に破られることはない。もしこの誓いを破るようなことになれば、われわれがこれまで努力して作り上げまできた集団安全保障体制は意味を失ってしまう。我々は平和を求める。しかし.決して降伏はしない。これが今回の危機の意味であり、合衆国政府の、政策の核心でもある。あなた方を始めとして自由を愛する多くの人々の、助けによって、この危機は克服されよう.自由は必ず勝利する。そして、平和は存続するであろう。」安全保障と自由貿易は表裏のとらまえかたで、今の関税交渉と、比して言い得て妙。
自由をもとめて、NATO加盟の希望段階にはあるものの、含まれてはいないウクライナの件と安易に比較できないかもしれない。そこは割り引いても、ケネディとトランプは真逆。ベルリンの市民に寄り添ったようにトランプはウクライナに寄り添う前に、ロシアに寄り添うかのようなロシアの言い分に耳を傾け始めている。
今後の日本外交の、立ち位置。微妙。
対話とスピーチの効能。
紐解いた歴史の一旦。
聞くものの心を動かしたとかは安倍首相を除いてその後に、あんまり聞かない。
未来の政治家のスピーチ、日本にも期待したいものです。