よど号ハイジャック事件 作家三島由紀夫の割腹自殺もこの年の出来事だった。1970年。2025年の大阪万博がどういう巡り合わせか、走馬燈のようにそれまでの生活のあゆみを考えさせられる。
あーおい地きゅうは誰のもの 『70年代われらの世界』万博の人気はアメリカ館の“月の石”、「人口増加や環境汚染」その頃から『成長の限界』は議論されていた。
時のテーマは「進歩と調和」だった。あれから、それほど進歩があったとも思えない。月へ人を送って、万博のアメリカ館では、その月の石が展示されてもいたし、今度は、火星の石だと言われても、それほどの驚きもない。
近畿財務局の、職務も時の経過を経たとしてもそれ程の変わりもないようにも思える。
時々のニュース、不祥事にしろ、疑惑にしろ、政治家との関わりにしろ、死人に口なしを良いことに、いい加減うんだり、するような、飛躍したこじつけ記事に遭遇してしまうことも多い。
人々の見方、考え方、いつの時代もそれぞれに、ある。確かに、分断と対立という視点では、より、その度合いを増していっている。
資源の有限が、叫ばれ、進歩と調和が問われていても、エネルギー問題は時々の顔を変えて、難問として立ちはだかっていくばかり。
その上、ウクライナといい、ガザといい、当時も紛争、戦争はあったにしても、その悲惨さは更に度を増していっている。
学生の頃はそのような事、見つめない訳でもなかったが、とにかく世の中のことより、井上陽水の、歌詞のように、今の事、傘がない、行かなくちゃ、行かなくちゃと目の前の
手に入れたいことに奔走していたなと。
お金を稼ぐといっても、お金を粗末に扱っていたら、お金が、寄りつかない。お金は大切にする人に、寄り付いて、分相応に杖となってくれる。
そんな自分も当時は反体制気質でいたのが、周囲から不思議がられる程に、今では、与党側寄りの意見の持ち主。ふふふふふ。自分でも可笑しく思うぐらいだ。
あれほど、若い頃入れ込んでいた、哲学書やら、マルクス資本論にも飽きがきて、今では、スペインのオルテガの書が一番しっくりとくる按配。オルテガの生の哲学。大衆の病理、社会学分析がお気に入りで、たまに再読するぐらいではある。
当時併せて、丸山真男の日本政治思想史なんかにも、執着していたなと。鎌倉時代の
法制史、宗教史も浮かび上がらせて、興味津々の日々、懐かしくもある。
よく遊び、よく学べよ。言われながらも、社会へ出てからのほうが、何故学ばなかったんだろうとの悔いから、読書遍歴が始まる訳で、それなりに、自分の偏りの部分を反省、反芻し出す始末。
身近に苦言もらえる身内が居ての安心感。
加えて、言えることはその一点かもしれないなぁと。
三島由紀夫が市ヶ谷で自衛隊員を前に、当時と今も、その改憲問題、横たえたまんまだ。
護憲を旗印にするのも、なんだか、違和感ありまくりの、昨今。
憲法審査会、始まったものの、立民議員からのサボタージュに等しい態度も頂けない。
世の中、あんまり、進んでいきませんね。
「淫に世を儚むな」という当時、の仲間内のサークルの寄せ書き、瞼の裏に。
思うこと多し。相互関税にはノーベル経済学賞受賞の米クルーグルマン氏も呆れていた。イエスマンばかりの共和党「狂っている」と。