トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

絶望名人カフカ

うなってしまった。カフカの断片。編訳者はこう語る。「まずなにより自分が、カフカの断片を集め、訳してみたかったのだ。それくらいカフカの断片を愛している」と。この方は、病との向き合い、自身を絶望に追いやった潰瘍性大腸炎などをテーマに、精力的な執筆活動を続けていて、自身の実人生とカフカ文学とが相性よく誠実に向き合ってきたなりの響きあいがあったのだろう。「人は絶望しているときにこそ、絶望の文学が必要」と訴える。この人が熟読されたようには自分はその全てを理解したわけでもないが、そうだよなと、思える彼の書評にであって、この人の訳を改めて見てみたくもなる。ずっと、ずっと過去に読んだ「変身」「審判」。記憶に残る作品。今の世相とカフカの生きた時代背景は当然ながら違う。しかしながら、カフカを、軸にこの人のいうように、絶望の世界を世に紹介していくことも決して無意味なことでもないような気がしている。カフカオーストリアプラハに生まれ、法律を修め半官半民の労働者傷害保険協会に勤めながらドイツ語で小説を。40歳、結核で亡くなる。絶望さえ無縁の人もいる。豊かのようでいてそれでも決して豊かでない心貧しい人もいる。無関心ではないがなんとも無機質な、寛容なようでいて、非寛容な人。自由な人々はどこにもいない、中でも地球規模でも起こっている人類生存に関わる諸問題、今日的姿。カフカがもし今生きてこの世界に出くわしたら、また、作品の登場人物にも語らせたように、囚われてしまった感、あの正しい道筋を永遠に失ってしまった感。ふれるものが次々と壊れていく感覚。今も刺激的な作品。何気なく読み進めて、よく分からないところもあって、さらに.読み進めているうちに、宝石のように輝く断片に出逢う。

絶望名人のカフカ。作品の登場人物、それぞれにカフカの分身。病弱の人の視点、囚人の妄想。悲しみ、怒り.そうだ、自由の人はどこにもいない。わたしがふれるものは壊れていく。意味深長で、いかようにも解釈できよう。とはいえ、それぞれにある窮屈。囚われの人。人々は確信している.正しい道筋を永遠に失ってしまったという感覚。これは確かだと。彼はこの地上に囚われていると感じている。心の有り様。「逆張り」のようにそのことを気づかせてくれる文学。絶望の名人とも称された、カフカ文学がかすかに希望の光にも味わえてみえるではないかと。

 

「絶望名人カフカの人生論」 カフカ 頭木弘樹 編訳 新潮文庫