トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

国葬の9・27は自分なりの意義を求めて

ざっくりといえば、正体、語らない明かさないという手法みたところで警戒するのが普通であろうし、そこの点については向こうのほうが一枚上手。旧統一教会問題。

自民の方は、薄々、歴史からいって気づきながらも持ちつ持たれつの意識で来た悪いお方と、真正直に有難がって支援者の要請に足を運び、正体を知ってからは、忸怩足りと、従来の政治信条に背いた背信行為に恥入って、従来の保守層へのお詫び行脚の人も。笑っちゃう。
奈良に続いて御多分に漏れずこれらは地方でもと思ってみてもいたが、まあ、いずれかというと、東海圏含む大阪と、大都市東京のお話。和歌山もヤバそうと。
あんまり、比較はしたくもないが大阪では豊田商事事件が念頭にくる詐欺事件。利殖のいい話だと架空の金塊買わすのとなんらの違いもない。印鑑だの壺だのと、過去世の因縁つけて、買わそうとする手口、話が即物的
貢がれたおカネで、何が成されてきたかを、こういう社会貢献もあるとか、訴訟にいたっている件数もコンプライアンス明示以降が減少に向かっておりますとかいう説明の会見聞かされるよりも、みるべきはハッキリ言って南北統一を最優先課題、目的とする宗教の仮面を被った政治集団。
ビジネスもその一貫。久方の学生時代以来の懐旧談。相互の感想語り合いで岸田首相の稚拙さ、愚痴も含めて盛り上がりまくり。

「9月27日は、それまで、意識したこともなかったが、岸田の判断の思念の中には、あったとは思えない。偶然なのだろうか。」「それ、どういうこと?」
安倍国葬反対デモ
盛り上がりは、意識するとしないとに関わらず、日本の国際的プレゼンスの低下に結びついている。自分たちは、この重なりを、ある種、意味があるものとして受け止めている。
「旧統一教会叩き」が過熱する裏事情.メディア事情、わかる人知らないわけでもあるまいに
有権者、国民はおしなべて、メディアになびきやすく、今までだって、デモ参加者でなくとも、モリカケ、桜を
信じ込んじゃっている人は多数。ここは、大事。なにも、いかがわしい事、一切ないと言いたいわけではないということ。
高低浅深、ことの軽重を判断し、よって、その後の審判を受けて、選ばれての内閣がよりによって、死人に口なしをいいことに、あることない事、まことしやかに、虚実ないまぜにしてバッシングを受けている。
よりによってオリンピックにまつわる高橋某氏の汚職不祥事報道、安倍元首相と安倍派閥に繋がる森氏との関連、うがった印象操作もあって、岸田首相の国葬決断まで、問題視されるに及んでくると。
そりゃ、かつての週刊誌、旧統一教会問題、直接的かかわりとしての例の教団への祝辞メッセージいうならとりあげるのわかるけど、おじいさんの岸信介首相は関係あったんはわかるけど、
令和世代の安倍第二次政権以降、盛んにありもしないような、まるで、その後の政権が、統一教会に乗っ取られたかのような書きっぷり、SNSネット上の拡大解釈視るに及んでくると、心は寂しくもなる。
そりゃそうだ
議員も広告塔になるなんて
普通なら恥もいいとこ。
そうなるなんて、想像だにできませんでしたとか。いい加減、そりゃ、関連団体、名称も変えて化粧ほどこすのに巧妙になってきているものね。
学生の頃は、仲間内の皆が反自民だった。
どちらかというと、反体制の気質ではいたのに、皆が、皆、久しぶりでオンライン。ZOOMであれ、LINEであれ、近況はというと、お互いがそれぞれに与党支持者の顔になっていることを確認している。
昔がそのような立ち位置だったことに目をパクチクされる人があったとしても自分らにとっては自然な流れでもある。
一部には不思議な、複雑な心境の場合もあるかもしれないが、そうであったとしても、お互いが、このような反対デモを残念な景色と捉えていて、違和感も覚えているのがわかる。
気づいて話題にしたのはHだ。9・27について面白いことを発見したから言うんだけれどと、始まるのだ。

「9月27日は、ゾルゲ事件の一味が和歌山で逮捕されたのが事件解明の発端でその逮捕の日が1941年9月27日。和歌山で囚われとなった人は仮釈放、後に病死。諜報組織の解明の方は判然としないが裁判の上、首班と目される二人の死刑はその後の1944年ゾルゲと尾崎秀実ともにロシア革命の日である11月7日に処刑執行されている。

そして、もう一つHが話したのは9月27日についてのもう一つの、印象深い歴史の一コマだ。もちろん、お互いが生まれてもいないその日の出来事について語るのも妙な感じでもあるのだが。昭和天皇ダグラス・マッカーサー元帥と会見し写真におさまった日が何日か知ってるかい9月27日だというのだ。皆がメディアでなくとも、歴史書、ドキュメンタリー画面、紙面等で幾度か眼にしてきたシーンでもある。



教科書でそんな日付のことまで、あったっけ?「ネット検索よ」
「それだけじゃなく、なにか、言いたいことありそうじゃないの」という事から始まって色々と昨今の世情について話し込むことに。

俺たちは気持的にはそれぞれに濃淡はあるにせよ、話し込んだ意味はあったという結論で、これを文面に落とし込むのも難しいなと。そのような感慨。
自分の方はそれでも、記していくのも無駄ではないのではと、備忘録のつもりで、記しておくことにしてみようかと。

国葬を一人一人が、その迎え方を考えている。何も考えなくったって過ぎていくだけ。
それもよし。それでも
Hのいうのは天皇マッカーサー会見の出た時が、戦後の実質的スタートなんじゃないかという捉え方。
令和のほうでのスタートはそういう意味でも始まってもいるが、国際政治力学上の日本の新しい舵取りが始まる、そういう意味では
試される始まりの年だとの解釈。国際情勢の激変からいってね。
そのうえ、奇遇にも、中国情勢分析特異とした人物、記者出身の内閣嘱託、満鉄調査部嘱託職員でもあった人物の死、尾崎秀実のスパイ疑惑。話は趣味も似通った面もあって、すんなり理解。

死刑に処せられる世紀のスパイ網の一端が捕らえられた日がそれも9月27日。日本動静の軍部の南進政策もドイツ経由でソビエト赤軍第4本部に伝えられてしまっているとは後に明らかになること。知ってるよねと。

そのような切り出しでもあったなと。海外出張、香港から、最近は上海、武漢だものな
俺たちの学風からいって、汚名を着せられることのないようにしようぜと誓う意味もあったろう。

なんとか、レッテル張り大流行りの世間の不遜さもみつつ。kも、wもどうみても親中派なんか、とは対極の政治認識。いままでの披瀝されたもの聞いてる限りは。邂逅の内には嫌中感情も。ないことはない。

学生時代の頃、自宅に招かれてH、なんかの家は、特攻とか、海軍、とか士官学校とか、親類から、見えてくる風景は軍属一家みたいなものしか見えなくて

お邪魔したときに、視るともなく眼にはいってきたのは、そのような遺影の数々だった。それでも、隣国との友好平和には熱心だったことに変わりはない。学生時代の友好交流の時も、むこうから頂いた切り絵を今も大切にしている。
よって、聞くほどにやつの、このようなデモ風景、みたくもない。投げられた言葉の裏。それにはあの時、目にした遺影の彼らはの影、もっと、もっと、その後の日本を、威風堂々の誇らしき、つましきものとして願いながら死んでいったはずの彼らに替わってなにか申し立てたかったに違いないのだ。その彼らに申し訳ないではないか。
というものいい。発言のくだりにもそのような内容が込められていたなと。
世間はというと、国葬反対もそうだけれど、これ以上日本を貶めないでもらいたいというような。
法的根拠問うほど、国葬儀も、それまでのそれに近しい国葬とか、内閣国民合同葬の意味も
それまでのことだって厳密に法曹人だって
分けて捉えても来ていない。あらたに法を作らない限りはネと。
言ってたんじゃなかったのと。
岸田首相の説明、あれ以上、いえば、こじ付けで。あれが精一杯なんじゃないという程度。
審議しなおし。まさか。
した方がよい。仲間内でも同じではない
国際儀礼上、撤回してしまうことのほうがマイナスさ。
議論もそれぞれに。別に議論百出けっこうなんだけれども、それよりも、腹立たしく、メディアの劣化を意識させられると合致したのは以下のような件だった。

解説。沖正昌樹教授、宗教音痴の知識人。Hが発言。
政治と宗教にフォーカスしたような、TVバラエティ番組のコメンテーターの的外れな発言。
度たび、隔週ごとに入れ替わり、立ち替わり、現れる、三流宗教学者、その筋の専門家というその他、評論らしからぬ、ましてや、あっちの教会にも一時は入信していたなんて、告白まで聞くと、まだ、潜入取材していたと、告白されたほうが、聞けるけど、この人大丈夫と思えてきて吹き出してしまう。
そのうえ、入信していた当時は、被害実態、見聞きしていても、身近に自分事としての受け止め出来ていなかったことも明かされてはこの人の罪の意識は?そこは、評論家として厚顔ぶりにも、参ってしまう。

どういった対策が、有効だと思われますかの質問にも、しどろもろろの受け答えで、未だに向こうの教義を信じている信者の心境はこうでああでとの解釈がつづいていく。まるで、むこうの言い訳めいた講釈を述べる役割でもあるかのように。(どうな ってんの)
(もっと怒ってよ)大体が宗教音痴のメディアと宗教音痴の知識人との合作のシナリオをみさせられているような構成内容。お布施上限、規制の必要論みたいなのに発展していっちゃうのには笑ってしまう。

教祖の教えそのものが、信徒を平等に捉えていないのに、宗教の名に値するのかという問題。
日本の信徒が、韓国の教団運営をお布施で支えるのが目的。それが償いでもあり、その人の救いになるという教えだろが。

召される天国を信じる人は、それでいいんでしょうが、巻き込まれる人はいい迷惑で
教団責任者のほうでは、そうような者はサタン扱いで不信心者として批判に耳傾けるどころか寄せつけようとはしない。
平和とか友好をあくまでも目的とするならあの国際社会からみても核の脅威を突きつけられてきている北の金日成以来金正恩にいたるまで、面々と精神面のみならず、おカネの面でも新たに支えようとしてきているのは教団のほうでどういう言い訳をするんだろう。
信徒の構成いずれの国籍にかかわらず、平等ならいざしらず、一等、日本信徒に隷属を強いるようにして献金
お布施を求め、しかも、強要していくのはどういう訳、根本の教義
そのものに根ざしているとみた方がすっきりと合点がいこうというもの。
歪んだ人権意識を許し、冗長するような集団に法人格を与えた責任はないのか
下村vs前川で統一教会問題も同様に、白黒つけたら面白いのにと
まあ、こういう結論もってくると、前川批判するやつはおかしいな息がかかってるんじゃないか、で一笑する輩もいることは承知の上でもあるのだが、
同じデモるなら、そっちのほうに持っていくことにどちらかというと声援送りたい気分だぜ。という意見は同感。
パンデミックの世界共通のここは負の側面要素もかみあってストレスと
不満の矛先は近視眼的に増加傾向にある。リベラル自任する人、進歩派と自らを誇らしく信じているから、反対プラカード持つのにも違和感もないのだろう悩みはしない。
領土交渉も噴飯ものとこき下ろす口には乗る人もあるんだろうけれど、それには同調したくもない。
プーチンが臆面もなく、あれだけの弔意を示してきたのも、多少は悔やみきれない安倍氏の裏表なさに振り返っての自身の反省も込められていたのではないのかと。いまは、そのような余地もなく戦争をかの地でおっぱじめてしまっている。

かたや中国、EEZ内落下のミサイル試射。まず落下というよりは狙っている。ウクライナの次は台湾か。日本も舐められたもんだなあと。デモする連中そういう感想抱くこともなく、今回も、同じ顔ぶれで、自国の安全保障問題そっちのけで国葬反対と叫んでいる。
資源大国の優越感ちらつかせながら、レアメタルは政治交渉の領域に。並行して海洋進出、尖閣の主権は中国にいわせれば中国の核心的利益だと宣う。
批判の矛先を、軍拡勢い穏やかならぬ中国に向けるならいざ知らず、デモに集う側の多くは安倍軍国主義復活政権反対だの、戦争にむかう政権だの、戦争法案反対とかまびすしい。
安倍晋三元首相の国葬の招待状が届いていないことを明かし、「すごく悔しい」と心境を告白した。キャスター辛坊治郎氏(66)
メインパーソナリティーを務めるニッポン放送辛坊治郎ズームそこまで言うか!」その後も「すごく悔しい」と何度も口にし、「安倍さんの死を悼む思いは人後に落ちないつもりなのに」と吐露していた。

『辛坊さん、国葬どうされます?』と身近な知り合いから問い合わせがきたらしい。『なんで?』と聞くと、どうもその人のところには招待状がきていたらしいのだ。そして「私、いまだに来ておりません。」となって
「今回、完全無視だわ岸田さん…ダメだなこの政権は。最低だな!本当に!」と冗談のように言いつのり、不満を隠さなかった。
「この前、関西でやっているローカル番組で国葬にあまりポジティブな発言をしなかった。きっとそのあたりがへんに伝わったのかな」と招待状が届かない理由を分析している姿。その後も「すごく悔しい」と連発。(笑っちゃう)

このコメントには笑いました。
自分も安倍元首相の功のほうは、よく理解しているつもりです。いまこの瞬間に、それらにまつわること何をしゃべっても詮ないこと。
後々に、理解もされていくことでしょうし、静かに友の提案してみたとおり、解釈してみせたとおりの意味を噛みしめてみて、その日を迎えることとしましょう。

 

設けられたらしいですね九段坂公園の一般献花場所、できれば行きたいです。