トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

帰国子女という点では有吉佐和子女史が県代表のような・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に

今日、見に入った企画展のことを

(備考)有吉佐和子
代表作となる『恍惚の人』や『複合汚染』が大きな反響を呼び、いわゆる「社会派」作家としてのイメージを確立。

中央教育審議会委員に任命されたほか、参院選全国区に出馬した市川房枝の応援や、「四畳半襖の下張」裁判の弁護側証人として東京地裁で証言するなどの社会的活動も行った。また、しばしば国内外へ取材旅行に出かけ、59年-60年にかけてロックフェラー財団奨学金を得てニューヨーク州のサラ・ローレンス大学に9ヶ月間留学、70年 - 71年にはハワイ大学で半年間「江戸後期の戯曲文学」を講義している。68年には友人の文化人類学者畑中幸子が調査中だったニューギニア山中の村も訪れている。
また、中国との縁が深く、亀井勝一郎井上靖平野謙吉川英治らと国交回復前の中華人民共和国を訪問し、以後たびたび招待され65年には天主教(中国におけるカトリックを指す)調査のため半年滞在し、78年には『有吉佐和子の中国レポート』執筆のため人民公社にも入っている。

資料展示をゆっくり、見て回りました。彼女がカトリック信者であったことは、忘れてしまっていました。帰国子女であることは知っていました。

そこは資料にも。


横浜正金銀行勤務の父の赴任に伴い、小学校時代を旧オランダ領東インドバタヴィア及びスラバヤで過ごす。41年に帰国後、東京市立第四高女(現・都立竹台高校)から疎開先の和歌山高女(現・和歌山県立桐蔭高校)へ。その後、光塩高女を経て、府立第五高女(現・都立富士高校)卒業。東京女子大学英文学科に入学したが、休学後、52年同短期大学部英語学科卒業。大蔵省外郭団体の職員を経て舞踊家吾妻徳穂の秘書となる。
 大学在学中から演劇評論家を志望し、雑誌『演劇界』嘱託となる。同人誌『白痴群』、第15次『新思潮』に参加。56年に『地唄』が文學界新人賞候補、ついで芥川賞候補となり一躍文壇デビューを果たした。初期には主として日本の古典芸能を題材とした短編が多いが、59年、自らの家系をモデルとした長編『紀ノ川』で小説家としての地位を確立。

 

見ごたえある展示内容でした。

なんかやっぱり、垢ぬけている。視点も

生い立ちの、帰国子女というところにおうところもありそうな。