コロナ禍のオリンピック。
人類史はさまざまな感染病との闘いの歴史。
とはいえ、かつて経験したことのないパンデミック下のオリンピック開催。
中国のほうでは感染防止については完全に抑え込めたことを強調し、
自国の次回のオリンピックへの安心、安全を今からアピールするといった動きも。
技術面からも、さまざまな過去の大会でも、そのときどきの技術革新が
中継報道でも試されてきたという歴史がある。
今回の東京オリンピックでも、想像するに新技術が準備されてきたことだろう。
その準備がすべて生かせないのは残念なこと。
ふりかえって、過去の1964年の東京オリンピックのときだって、世界にさきがけてのお披露目的な計測、カウント、伝達、映像表示といった面における進歩もしめされてきたという要素がある。
今回の大会は、たとえそのお披露目の舞台も無観客でなくなったとしても、
多少のこと。そんなことは、大会が無事、スムーズにいくことにこしたことはない。
アンバサダーのスピーチにあったように、困難をまえにして、目標とむきあってきたアスリートの努力。
国民のおもてなしのたとえ一人に加わっていなくとも、勇気と感動を頂いて、
また、それぞれの向き合う個々人の人生の課題と前向きに、向き合える切っ掛けになる
そういうオリンピックになればいい。
いいスピーチで
そのとおりだなと。思いました。
オリンピックひとつとって話題にしても国民感情は分断のまま。
そのとおりの状況。否定のしようがない。
ありのまま、そうに違いない。否定する必要もないだろう。
あえて、完全制圧したことを力むような国柄とは背伸びするように
並ぶ必要もないだろう。
国家に統制されるように先端技術を独裁システムに利用していく生き方も
一方にある。
これは国柄の違いという他ない。
民主主義といっても、技術革新が頭一つとびぬけていけば、技術自体が、世界をまたにかけて、世を征服していくようなテクノオートクラシーの要素もはらんでいる。
自由経済社会ではその自由は企業にあるのだ。
しかしその競争を掌握する国柄もあるし、すでに制度的にできている国もある。
日本の場合はどうであろうか。
平時と有事との見合い。
人権とか、プライバシーとかの価値観も微妙に差があること
そういった強制力オンリーとでは国柄との違いもでてこようというもの。
今回の東京オリンピックが無事に終えることができたなら
あの困難な中での、民主主義的な価値観を活かしながら
よくぞやったと。
そういった価値観を大事にする自由で開かれた
多くの国の目指すべき希望ともなるでしょう。
ふりかえって、もし、称賛されることがあるなら、
そういう成功オリンピック大会として語られるような大会になればと思っています。
デジタル改革関連法の進捗ぐあいはどうなの。?
ものごと遅いとか、いいながら、そういうところの理解を頂いていかないと
理解するよりか反対決め込んでいるところがあるのかい?
それはあるにしても、
人流とか、スーパーコンピュータの活用なりはそんな程度で済ませている
政権与党の説明の足りなさのほうはもっとあるでしょうに