トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

ピンポン外交50周年

今は亡き周恩來総理と後藤鉀二日本卓球協會會長
後藤氏も戦争の爪痕を負っている。1945年3月の空襲で1歳半のご長男を亡くされていることを。

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あの名古屋大会の直前に、毎日新聞の特集記事にこのような文章を寄稿されているのだ。
(ピンポン外交と後藤鉀二  鄭 躍慶)から引用させていただく。

「忘れもしない。12日の大空襲の夜。ジフテリアで名大病院伝染病棟に入院していた邦昌は、看護婦らに抱かれて鶴舞公演に逃げた。
しかし、猛火の外周の空気は急に冷えたために病状悪化、14日幼い命を断った。火葬場の満員をいいことに棺を抱いて私は寝ていた。
骨にするのにしのびなかったのです。18日に骨にした夜の空襲でした。火炎をのがれて池下へ来たとき、もう夜は明けかけていた。
いま、私は平和への祈りを込めて世界卓球大会の成功を祈っている。」
「国の援助を受けている卓球協会が、国交のある台湾ではなく、国交のない中国を招くのは問題ではないか?」と、周囲は中国チームを招くことには批判的だった。
1960年代の後半から70年代の初めにかけての「文化大革命」のため、中華人民共和国は国際舞台から遠ざかっていた。
しかし後藤氏は、「隣の大国である中華人民共和国との友好は、今後の平和のためにも絶対に必要なことだ」という信念のもと、
中国へ招待状を送った。しかし、中国政府からの返事はなかなか来ない。そこで後藤氏は自ら北京へ赴き、
中国政府に対し「卓球を通じて日中の友好を深めよう。それが将来の日中国交正常化の架け橋になる」と説得した。
対面したのは周恩来総理。当時最強の卓球王国とされていた中華人民共和国
後藤さんは、「世界最強の中国が来ないのでは、世界大会とは言えない」と中国チームを1971年の卓球世界選手権名古屋大会に招待を明言。後藤氏の熱意に打たれた周総理は
「後藤氏のような友好人士は支持しなければならない」と最終決断を下す。
さまざまな困難を克服し曲折(それまで加盟していた台湾のこともある)を経て、中国チームの名古屋大会参加が決まったのだ。
中国の卓球は再び国際舞台に復帰することができたのだった。
世界大会に中国選手団を招いた成果は、意外なかたちで実った。
中国代表団のバスに間違って乗りこんだアメリカ代表団の選手が、中国選手に親しく声をかけ、握手を交わすというシーンが生まれたのだ。
これをきっかけに、その後アメリカ選手団は北京を訪問。そこで受けた熱烈な歓迎は、中国側からの「中米関係改善を望む」というサインだったのだ。
アメリカ側は中国の意思を理解し、当時のアメリ大統領補佐官キッシンジャー氏の極秘訪中を経て、
1972年2月にはニクソン大統領の中国訪問が実現。それが1979年のアメリカと中国との国交樹立に結びついていった。
また、1972年9月には日本の田中角栄総理も中国を訪問し、日本と中国の国交正常化が果たされるのだ。
後藤氏の熱意が中国卓球チームの参加を実現させ、さらにそれが米中、日中国交回復という大きな歴史的転換点をつくりだしたのだった。
もし、この大会への中国選手団の参加がなければ、米中、日中の国交回復はもっと遅れ、中国の国際舞台への登場もまた後になっていただろうと。
中国と日本、アメリカの国交回復のきっかけにこれら成したことは生半可なことではない。
当時中国と国交を結ぶために尽力した人物は、松村謙三さん、高碕達之助さん、有吉佐和子さん池田大作先生など何人かの方が。

みんな命がけの決意と信念でやっておられ、後藤氏の例にかぎらず、いやがらせもあっただろうことは想像する他ない。想像を絶するという方もおられる。

BSジャパン周恩来 日本を最も愛した中国人」2011年9月18日(日)

 

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番組再視聴内容概略 
フィルムで紹介された主な人物
▼東京留学で出会った日本人、吉野作造
▼日本卓球協會會長、後藤鉀二
▼日中国交回復の信念を貫いた宰相、田中角栄大平正芳外相
▼日中国交回復を提言、中国人留学生を初めて受け入れた、民間外交の池田大作
 政治手腕と人間性から、今でも中国国民に“国父”と呼ばれ尊敬されている周恩来。様々な障壁を乗り越え日中国交回復を果たした中国の初代首相のことを中国人の
肉親、秘書、通訳、また周と接した日本人が語る秘話と貴重な映像、資料等から、 周恩来の果たした役割、日中友好にかける思い、日本への思いを紐解いていくものでした。

番組では触れられていませんでしたが当時、視聴した時は中国と国交を結ぶために尽力した人和歌山出身の作家有吉佐和子さん1931年- 1984年(昭和59年)

のことを思いだしました。


そして、今
ちょうど、ピンポン外交50周年の佳節。

 

米中のピンポン外交50周年の佳節だけれど、あんまりそれに、相応しいような明るいニュースはなくて、

中国指導部の尊大な振る舞いばかりが、目につくといったところ。


中国軍機25機が4月12日、相次ぎ台湾のADIZ防空識別圏)に侵入した。

中国は昨年、過去最多の380回も台湾のADIZに侵入しているが、台湾の独立を認めていない以上、「自国の上空を飛んでいるだけ」とシラを切り、威嚇行為を続けている。

これに対して台湾側は、ミサイル防衛システムで中国機を追跡すると発表した。
ここ数カ月、中国が台湾に対する嫌がらせを強化している背景には、中国国内のナショナリズムの高まりと、バイデン米政権による「アメリカは民主主義国である台湾を支持する」という、伝統的な外交姿勢の再確認がある。
4月半ばには、バイデン政権は、リチャード・アーミテージ元米国務副長官ら米政府の要職経験者3人を非公式派遣団として台湾に送った。
中国が実際に台湾に侵攻する可能性は依然として小さい。だが、中国指導部が冷静さを失えば、海か空での小さな衝突が、たちまち手に負えない規模に拡大する恐れも。

 

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民主党政権時の誤った対応のあったことも苦々しく。

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