学園祭が終わって、サークル棟のピロティで一息ついてた時の景色が思い起こされる。
当時は、反体制気質そのものといった感じだった。自分もそうだけれど、周囲だって。
それでも、多少の意見の差は持っていた。
周りでは、日本のリーダーの日本不沈化空母発言をやたら批判していたが、自分は、そうでもなかった。
それに、日中友好ムード、国交回復の外交でも、政治が動いた時代でもあった。
ときの政権の柔軟さには一目もおいていたのだ。
学風の影響もそれはあったろう、
なにせ、山田純三郎、孫文との縁もある関係もあって、学生の多くは、大なり小なりとも、隣国には関心のある者が占めていた。
しかしながら。学外の学生との議論なんかになれば、それは、温度差の感じることも多かったのだ。
学外の面々の選択には、中国語を授業で選択することはまれで、まず、そういう仲間はいない。
関心の多くは、パンダブームの影響はあるとはいえ、隣国で起こっている、文化大革命の事件も公式報道鵜呑みの連中ばかり。
政治に関心の多少あるメンバーでさえそういう感じだった。
学生活動家が学内の自治会を仕切り、
学園祭で催される種々の講演会なるものも、
左傾的要素に集約されたものが大手を振るっており、彼らの解釈する、造反有理と自分の解釈は違っていた。
真っ向、皆のように礼賛も出来なかった。
周囲は、毛沢東を崇めることはないまでも、
反革命に対する革命として、それでも、文革を擁護する論を、述べる者、大半だったのだ。
別に学生だけでなく、当時の政治評論家の言うことも全部間違っていたわけで、学生だけが、非難されるべきでもない、口移しのように真似ていただけなのが多かったのだ。
その後に明らかになっていく真相。
文化大革命の本質。
改革、革命を看板とした、
権力闘争。悲惨な見せしめ。
いずれの側が、権威の
トラのイを、手中に収めるかの問題。
粛正の嵐。
今ならなんとでも言えることの多いこと。
周囲の多くの面々達。
当時は見抜けていなかったことのほうが大半だったのでは。