トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

ワイドショー化する国会

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桜を見る会」でワイドショー化する国会

 
国民民主党森ゆうこ議員

立憲民主党会派の今井雅人議員や柚木道議議員

野党議員の話を聞いていても、そこらのコメンテーターとなんらかわりのないことから、飽いてきて、予算委員会で時間つぶして、いつまで、この問題で、

ひきずられなきゃならないのという不満も。

水害復興いまだ、道半ばの途上でもあり、


その方々にすれば、国会のジュウタン踏みしめる議員たちのまあ、いい気なもんだなあという感想も

その通りだなと。

自分の場合は、肝心のところは、

十分すぎるぐらいに野党議員の主張も耳にするが

どうしても、予算案を組んだ側の与党議員に向かう。

勝手に送られてくる野党支援関係筋からの動画を視聴しても

野党は政策論争をあきらめたのだろうとしか思えないのだ。

政治家にとって大事なのは政策論争ではなく、次の選挙で生き残ることでもあるということなのか。

数字ばかり出てくるむずかしい問題より、マスコミがすぐ取り上げてくれる問題。

マスコミも野党の政策には興味をもたないのも、野党の出す法案が実現する可能性はないからでもあろう。

社会保障議論。直近の財源論議を脇に置いて。

そのような、込み入った、数字の話より。

目立つという手段。よって野党も、マスコミ受けする話題

対等に戦えるのがスキャンダルという判断なのか。

 

 

政策を知らない有権者でも、政治とカネの問題には敏感だ。

まあ、そう考えれば、ネタさえあれば、選挙戦術としては合理的でもある。

新聞も部数が減る中で、刺激的な社会部ネタが重視されるようになっている。政治ニュースにも面白さが求められているのだろう。

そもそも分裂、離合を繰り返してきた違いのある各々が、共に、今更、政権構想を共に抱こうなんて、気の長いような、つまり胆力もなくしてきているから、

ここぞとばかり、目立つパフォーマンスに終始しがちになるのかもしれない。

それにしても、国会質疑の内容が荒いというか、

吠え方も理詰めというよりか、武闘派的なというイメージが昨今目立ちがち。


民主主義ってまだ、まだ、上っ面な、根っこのすわりきっていない状態なんだなあと。

ころっと、メディアのさじ加減。

効き目、イチコロ。国民を誘導するのもちょろいものなのか。

とんだ、今では、マスコミが第4の権力に充分、いすわりつつある。

政治家は禊ぎがあるが、

マスコミには審判が下ることはない。

やらせ等の問題で、BPO審議会で諫められるぐらいで、その程度。

誤報も謝罪ですませれば、

のうのうと、その間違った報道で苦しみを受けたという人の人生にまで

忖度することもない。

肝心、忖度しなければという、人権感覚を磨くことなおざりにして、

取材力の劣化状況をあたかも核心をつかんだかのような印象操作。

ときの一国のリーダーの人格攻撃にまで転化してしまう。

普通人の忖度観念を、貶める、までに。

「桜、見る会」報道で費やされた貴重な
日本にとっても大切な時間。


金正恩のほくそ笑む顔が浮かぶというもの。

彼の同民族南の韓国でのデモの

プラカードもみていることだろう。

情報はすべてリアルタイムに。

安倍人形が焼かれている。

反日カードはかの国でも同じく、喜ぶところでもあるんだろう。

日本の法曹界の一部にも、教育無償化で、朝鮮総連傘下の分裂をしかける日帝安倍を糾弾とか。

いつの時代の話、まさか、金正恩のチュチュ思想にでもかぶれたかのように。


Gisomia韓国破棄の動きで、波乱ぶくみのときでさえ、各チャンネルで、ニュースは流れても、

影響はそれほどないの解説は信じても、

はたして、突っ込んでそうだろうか、その先どこまで、そう構えていれるだろうかとまで、

心配する議員がどれだけいただろうか。

国民がどれだけいただろうか。

徴用工問題現金化って、報道で、テロップ問題視されるように流れたって、

そりゃ、韓国がいかんだろうということは口についてこぼすだろうけれど。

あれだけ、慰安婦合意で取り結んだ財団、一方的に反故にされたときに、

安倍批判する以上に、むこうの、韓国に向こうのデモ以上に

怒ったろうか。

海上保安庁海上自衛隊が、

自国の安全のため、不法イカ釣り魚船を取り締まるためにお互い損害を最小限におさえるような

救命活動もあわせて行っているのに、野党の関心はそこになく、予算案に反対してきた党が海上警備のかくなる厚みを国会質疑で厚顔にも糺す始末。

おしなべて、そのような調子で、

マスコミ界の遺伝子は若返ったとはいえ、全共闘世代の遺伝子を継いでいっている。

保守的、新保守の論客もいながらも、主流はそういう遺伝子を継いでいる。

反安保、岸辞めろというのが、反安保、安倍辞めろというステージに変わっているだけなのではという。

当時の吉田安保にしろ、岸安保にしろ、ふりかえれば、反対運動があったにしても、結果それがあったことで、よかったとの評価に落ち着いているのが現実。

だから、あの騒いだ、安倍安保も、今にしてみれば、そのような半島情勢の危機に、有効であったと、過ぎれば後世にふりかえられることになるという推察が、妥当なところかと。

マスコミは、そういうところは、押さえたがらない。

押さえたい所は、一強、長期政権は、腐敗をはらむという、あくまでも構えは、それが、マスコミの基本路線であるかのように。

もちろん、ときの政府との距離をおいた、ある一定の緊張関係は必要なことは理解しているつもりではありますが、

日本の国益をどうとらえているのか、

マスコミに生息する種族という表現なんか、使いたくもないのですが、

質疑に事欠いた議員の懐柔よろしく、メディア主導の出前勉強会講師派遣請負。


それで、政権交代可能の夢を本気で見てしまう、議員の質もそう。

本気で受け取る議員も議員だが、

かえって、そういう議員はメディアからも下にみられていることだろうなと。

議員自らの、肌身に感じて起こりくる時々刻々の

発信もできなければ、国際政治の変化に、ついていけていないはず。

良くも悪くも、よく安倍批判できるものだなあと。

インバウンド効果の縮減には懐具合からも、困った、困ったはいうが、大陸からの覇権主義的な尖閣実体的な占拠状況についてはあんまり、懐具合にピンとこない面もあってか、

旨くやってよというぐらい。

憲法改正いうぐらいだったら、支持するかどうか、考え直します程度で、

本質的なところにまでは踏み込んでいかない。

全共闘世代がそうであったように、反米という歪みも根底にマスコミ界のこっているようで、軍産複合体の資本の論理から、説き起こそうとする人までいる。

だから、アメリカとの歩調は、彼らの論理では、短絡解説に走ってしまえば、アメリカ追従の日本になり、

それは、日米の共通の利益というよりは、アメリカの世界戦略の補完でしかないだのとの自虐的な言説が続くことに。

そのくせ、民主主義は敗戦によって、これは、アメリカから、与えられた有難いもの。それまでまさか、なかったものとでも言いたいような、受け取り方で、よく、それで、マスコミ人ですと

胸はってるなあと、いうような、なかには人も。