トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

2・26事件を新資料から再考察

f:id:bookcafe911:20190815214416j:plain

クーデーター実行の1週間前に海軍のほうで実行者も、計画内容も掴んでいたというのは、驚きでしたよね。

多くは今まで、陸軍資料から明らかに見てきたと思っていた事件、その全貌が。

f:id:bookcafe911:20190815214533j:plain

f:id:bookcafe911:20190815214923j:plain

f:id:bookcafe911:20190815215001j:plain

f:id:bookcafe911:20190815215041j:plain

f:id:bookcafe911:20190815215132j:plain

f:id:bookcafe911:20190815215201j:plain

f:id:bookcafe911:20190815215231j:plain

f:id:bookcafe911:20190815215305j:plain

f:id:bookcafe911:20190815215345j:plain

f:id:bookcafe911:20190815215447j:plain

f:id:bookcafe911:20190815215527j:plain

f:id:bookcafe911:20190815215619j:plain

f:id:bookcafe911:20190815215713j:plain

f:id:bookcafe911:20190815215756j:plain

反乱部隊中の一発の銃声。

それは自決に等しい自身の喉元にむけたもの。駆け寄る憔悴した残された隊員達と、その後の降伏。

 

裕仁天皇の回顧されるなかで、

その後のポツダム宣言受諾に比して深く

重く思い返さざるをえない一大事だった2・26事件。


 

反乱部隊のほうでは、しかるべく、隠密裏に

摂っていたという裏の追認というものも、

事件後、ハシゴをはずされていく。

追い込まれていく緊迫事態。

皇室への直接アプローチを

試みていた人脈も、

肝心のときには現れてもくれず、

最後は

覚悟の・・・

悲しすぎますが。のど元にピストルを

幕切れを描いた首謀者なりの引き金。

83年もこのことがうもれていたなんて。

あとは、皆の知るところの

逆賊とのお言葉

天皇の決断があって、内乱はさけられたにひとしい

はむかおうとするものにはっきりと対峙した天皇

 

決起隊に海軍からの参加の心配の無いことを

押さえていた天皇


天皇としての

実質的権威の確立。

その後その権威が軍部勢力に利用されていく

分岐点でも

あることが振り返られていく内容でした。