トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、TV番組感想、政治への関心、家庭菜園のブログです。(和歌山県)

あ・お・い・く・ま

f:id:bookcafe911:20171206233750j:plain


死は前よりもきたらずかねてうしろに迫れり

そういった「死」の表現を
身近に心筋梗塞とかの症例で亡くなったという話を聞くにつけ、あらためて、読み直してみることも。

たしか吉田兼好のはず。

 「死は前よりもきたらず」


  つまり、死は、前方から徐々に近づいてくるのではなく、

 「かねてうしろに迫れり」と。

 つまり、 背後からぽんと肩をたたかれ、不意に訪れるものだというわけである。


あらためて、読み直してみることも。


ピンピン、ころりは理想とするが、

 


逝くときはさっと、逝きたいもの。


しかし、そうはいっても、死にたいようには簡単には死なせてはくれない。

 


そして、死ぬにしても
楽しい思いをできるだけ、できるだけ味わって死にたいという気持ちも正直なところ。

そして、より楽しい、思いったって、ひとそれぞれに。

その願いが完結して終われるものでもないことを。


ちっぽけな、楽しみでよければ、そんなに苦労というか、苦闘もすることはないだろうし、


より、深く、より楽しい思いをと、求めていけば、それなりの覚悟と苦闘はつきものなのかもしれない。

まあ、それは理のあるところで、今までに多忙にして触れることも少なくしていた、古典からも、

自身の抱いていた感覚と合致するような、もって、瞑すべしというか、天命として受け入れるしかなかろうというところに

落ち着いていく。早合点の人はこれを諦めの護符のように。

そうではなくて、一皮むけるような挑戦があってということ。人と人、社会との係わりの中でというところが、やはり、観心なところかと。

仏のいうところの、世間と出世間と、それから、また世間と。娑婆即寂光。

ものまねで、お笑い界のコロッケが紹介していた、家訓、思い出しています。今やお笑い界のエンタテイナー。

常に前を向いてこられたのはこの母の教えがあったからと。と明かされていた言葉。


「あせるな、おこるな、いばるな、くさるな、まけるな」頭の文字をとって「あおいくま」――と覚えてきたんだとか。

究極のところ、笑いを絶やさず、常に前を向いていれば、、悔いはなく。

という、これに尽きるのではと。